Blog / ブログ

 

【報告】2013年度ハワイ大学―東京大学夏季比較哲学セミナー(3)

2013.09.25 梶谷真司, 中島隆博, 東西哲学の対話的実践

引き続いて、ハワイ大と東大の比較哲学セミナー、3回めの報告です。今回は、4日目(8月8日)の講義と能楽鑑賞について山口さんに、第1週の最終日8月9日の講義と、週末の11日(土)、12日(日)の課外活動のようすについて東家さんに、それぞれご報告いただきました。

今回は、セミナーも早4日目となった8月8日(木)の様子について、今回セミナー初参加の山口がお伝えします。

この日は朝7時(!)から、東文研のセミナールームで、ハワイ大学からの参加メンバーの博士論文審査会が行われました。東大からは、佐藤と山口の2名が参加し、その様子を見学しました。東京に滞在中のハワイ大学のエイムズ先生、石田先生、そしてハワイにいる他の審査官の方々がインターネット通話システム(スカイプ)を介して論文審査を行うという、これまで例のない試みであり、東大とハワイ大学のパートナーシップ発展を象徴する出来事となりました。

会話の聞き取りが難しかったこと、さらに(以下ご報告します)能楽鑑賞企画準備のための睡眠不足がたたり、わたし自身は満足に集中して聞いていられたとは言えないのが残念ですが、それでもこのような場に同席できたことは大変貴重な経験となりました。

講義スケジュールはセミナー初日と同様で、午前中は中島隆博先生、午後はロジャー・エイムズ先生のそれぞれ2回目の講義が行われました。中島先生は、日本における科学と宗教の関係をテーマに、西田幾多郎、西谷啓治そして務台理作の思想についてお話されました。また、エイムズ先生は儒学文化の世代を超えた伝達をテーマとして講義をされました。

IMG_6839_resized.jpg

講義終了後には、折角の来日の機会にぜひ日本の伝統芸能を楽しんでもらおうと、山口の企画で能楽観賞会が行われました。東大からは学生数名、ハワイ大学側からは先生方をふくむメンバー全員が参加してくれました。約半数の参加者が能を見るのが初めてということで、まず山口が能舞台の構造、能楽の歴史や曲の構成等について30分ほどの発表を行った後、途中で軽食をとりつつ皆で渋谷・松濤にある観世能楽堂へ向かいました。

図らずもこの日の演目、能「放下僧」(ほうかぞう:室町中期以降に現れた、主に僧形で大道芸を行う芸能者のこと)の題材は、今回のセミナーに多少なりとも関係のあるもので、父の敵討ちを目論む弟が禅僧である兄を説得し、二人で放下僧に扮して相手を油断させつつ見事本懐を遂げる、という筋でした。見ながらストーリーが追えるよう、詞章の英訳を作成し配布しておいたことが功を奏したのか、「孝」について弟が中国の故事を引きながら兄を説得する場面や、禅問答など今回のセミナーのテーマと重なる場面についても、台詞を理解しながら楽しんでもらえたようでした。兄弟がついに敵をとる場面では、敵討ちの相手はすでに舞台上から姿を消しており、笠によってその存在が暗示されるなど、能らしい抑えた表現にも触れてもらうことができました。

セミナーを振り返ってみると、先生方の講義、そのやり方、また特に他の学生との議論から本当に様々な刺激を受けました。3週間のあいだに詰め込んだものを消化するにはまだ時間がかかりそうですが、良い形で今後の研究の糧としていきたいと思います。

(文責:山口)

******

8月9日(金)午前中は石田先生の第2回講義。道元の世界観について検討した。石田先生はボードに図を描いたり、具体的な経験と関係づけたりしながら「時」、「仏性」、「生死」、「縁起」といった概念について丁寧に解説してくださった。その中で印象に残ったのは、「生より死へうつると心うるは、これあやまりなり」という道元の概念であった。「生」と「死」を独立した事象として捉える観点は、「時の流れ」の中で移り変わる出来事に感慨を持つことの多い私にとっては驚きでもあった。

あらゆる事象が独立し完結した世界であるという道元の概念はライプニッツのモナド論と相通じるものがあるという観点も興味深かったが、道元の世界観と道元の倫理観に整合性が見られないように感じるというクラスメートからの指摘にも共感した。まずは「現成考案」を読んでみようという思いが生まれ、研修旅行への意識も高まってきた。

道元の思想と中国老荘思想との関係についてその類似性を指摘する声が上がったことから、道元が中国で修行をしていた当時の中国における仏教思想の傾向や道元と原始仏教との関係、道元研究の状況などに話が及んだ。最後に石田先生は哲学研究をすすめていく上で大切な2点――理論だけでなく実践も重要であること、また研究対象に対する自己見解については丁寧に慎重に検討する必要があるということ――を私たちへのアドバイスとしてお話くださった。哲学が専門ではない私にとっても心に刻んでおきたいアドバイスだと感じた。

午後は梶谷先生の第2回講義。今回は「自然」であることを究極的な根拠にして、あることが真であり善であると考える「自然主義」に着目し、出産・育児における「自然主義」の歴史的変遷を振り返った。導入部分として先生が紹介して下さった江戸時代から明治時代にかけての出産時の様子を描いた二枚の絵からは、現在とは随分異なる出産事情が看取できて面白かった。当時の母親は出産直後に「気」の循環をよくするために1週間座った状態を保っていなければならないということを知って驚いた。

IMG_6871_resized.jpg

江戸時代、裕福な家庭の女性は同じ階級出身の乳母を雇う習慣があった。その時代に「自然」であることは、階級をまたがないこと、その哲学的背景として身分の差は自然の法則に沿ったものであり、身分の差が気質・体質の差と結びつくという概念があったという。その後、西洋近代化が課題となった明治期から戦後の本格的な大衆社会の到来、高度経済成長へと移り変わる歴史のなかで、「自然」であることの捉え方や授乳習慣も変わっていった。現代では母乳と粉ミルクという二つの選択しかないが、明治期には母乳、乳母、牛乳、人工乳の4つの選択があったということだ。ある意味で明治期は大らかな時代であったのかもしれない。

西洋式近代化・産業化に対する疑問の声が高まりつつある昨今、「伝統的・日本的」なものへの回顧の流れが見られる。それと並行して母乳育児を評価する「自然主義」も高まりつつあり、それが母親たちにとってのプレッシャーとなっているとのことである。その自然主義は果たして子供への純粋な配慮なのか、それとも西洋近代化に対する反発の現れなのか。ハワイ大学の学生からはそんな疑問の声が上がった。

梶谷先生の講義を通して、「本来あるべきこと」が何なのか、何が「自然」であるのか、今一度考えてみることが大事であると感じた。また「自然」という言葉に限らず、自分の用いる言葉には敏感でありたいと改めて思った。

8月11日(日)は鎌倉・横浜日帰り旅行。スタート地点の北鎌倉には12人が集まった。予想通りすでに朝から汗が流れるほどの蒸し暑さだった。我々一行はまず東慶寺へ向かった。東慶寺では西田幾多郎や和辻哲郎の墓参りをし、森林の中の涼しさと静けさを愉しんだ。

kamakura_1_resized.jpg

鎌倉駅にて昼食をとった後、一行は鎌倉大仏で有名な高徳院へ。炎天下の中での見学となったが、折角なので大仏様の中へも入った。そのおかげか、長谷駅までの道中で食べたソフトクリームの味は格別だった。

鎌倉駅に一旦戻り、鶴岡八幡宮、道元記念碑、小町通りを巡って鎌倉ツアー終了。余力のあるメンバーが横浜中華街へ向かった。

横浜中華街へは西側の善隣門から入り、予約していたレストランにて夕食をとった。台湾人シェフによる美味しい中華料理を囲んでの楽しいひとときだった。レストランを出たあとは中華街を横断し山下公園へ。そこからシーバスに乗ってゆっくりと横浜駅東口へ向かった。途中からデッキに出てみなとみらいの夜景と浜風、潮の匂いを満喫した。

kamakura_2_resized.jpg

長い一日であったが、日本の古さと新しさを五感で楽しむことができた贅沢な一日であった。また一日の旅行を通じて参加者同士が楽しい時間を共有し、素敵な思い出を作ることができたのも大きな収穫であった。

(文責:東家)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】2013年度ハワイ大学―東京大学夏季比較哲学セミナー(3)
↑ページの先頭へ