破急風光帖

 

★   日日行行 (119)

2017.11.18 Permalink

* 素晴らしい旅でした。心満ち足りて、パリのロワシー空港を飛び立ちました。南仏のビオット、アヴィニョン、パリをめぐる1週間ほどの旅から、昨夜、帰国しました。

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★   日日行行 (118)

2017.11.08 Permalink

* 「水のパロールは〈演〉であり、水の眼差しは〈演〉である。この野生の身振りは、そのあらゆる意味におけるテクネー以前の、すなわち〈技〉以前の演技であり、しかし〈技〉によってしか〈演技〉として実現され得ない戯れjeuなのである。そして、それはまた、あらゆる演技ーー形あるものの相互の戯れ、形あるものと形なきものとの婚姻、見えるものと見えないものとの交錯ーーを裏打ちしている限りでは、それらの変わることなき舞台であるだろう。こうして、水は、絶えず世界を、そしてわれわれを演じており、それ故に、水を聴き、水を見ようとしさえすれば、われわれはそこに世界そのものを、また、われわれ自身を見出すこともできるのである」

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★  日日行行 (117)

2017.11.07 Permalink

* 11月のこの透明な光。好きですねえ。この光の向うにあるカオスについて語るということになるのか、11月24日の夕方、駒場でブルガリアからボヤン・マンチェフを招いてUTCP講演会を行います。アナクシマンドロス以来のアペイロンについて、あるいは「雲」について、語りあうことになっています。(UTCPの本サイトにポスターと情報をアップいたします。5時から。101号館研修室です。駒場祭ですが、その雰囲気のなかで楽しく対話を行いたいと思います)。

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★   日日行行 (116)

2017.11.01 Permalink

* 昨日は、東京オペラシティ・リサイタルホールで近藤譲さんのコンサート「七十歳の経路」.1975年の「視覚リズム法」から2015年の「変奏曲(三脚巴)まで8曲。近藤さんが長い時間、どのように存在しようとしたか、とてもよくわかって、深い共感をもちました。

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★   日日行行 (115)

2017.10.19 Permalink

* 池尻大橋と渋谷のあいだの田園都市線車内で、ちょっと泣きました。いや、フランスの詩人フィリップ・ジャコテのモランディ論「Le bol du pèlerin』(巡礼者の器)を読んでいて、ほぼ末尾の「われわれが実際みな死すべき存在であるからといって、なぜ絶対に、死こそが生よりもより真実であるでなければならないのか。なぜ光だけが「欺瞞的おとり」であり、暗闇はそうではない、ということになるのだろうか。」という箇所を読んでいてのことでした。

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★   日日行行 (114)

2017.10.14 Permalink

* もう2年半前になりますが、駒場の最終講義のあとに、サックスの清水靖章さん、舞踏の工藤丈輝さん、ダンスの山田せつ子さんの助けを得て、ダンスを踊った。その友人たちの公演が先週、今週と続きました。

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★   日日行行 (113)

2017.10.07 Permalink

* 昨夜は、ホテル・オークラで行われた「小林秀雄賞」の授賞式・祝賀会に出席。國分功一郎さんの『中動態の世界』(医学書院)の受賞をお祝いしました。

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★   日日行行 (112)

2017.10.05 Permalink

* 「日高理恵子は、人として美しい」ーーという一文ではじまるテクストを書きました。今週、刊行された画家の日高理恵子さんの作品集「Rieko Hidaka 1979-2017」(ヴァンジ彫刻庭園美術館/Nohara)に収められたテクスト「木蓮の木の下で  不可能な距離にさわるように」です。

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★   日日行行 (111)

2017.09.30 Permalink

* 「眼には見えないのだが、雲のなかには、夜がある
 誰も、誰でもないもの以外の誰も、感じることができない、かぎりなく軽やかで、ほとんど無であるような
 それでも、そう、ときどき、どうしてなのか誰もわからないのに、
 その無限小のほとんど無がぐるぐると回りはじめる
 ぐるぐるぐるぐる、速度をあげ、ついには激しい渦巻きとなって
 すると、〈稲妻・・・そして夜!〉
 夜が一個の稲妻として渦巻くのだ」

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★   日日行行 (110)

2017.09.26 Permalink

* 「船出する! この浅い硝子の川をどこまでも渡り/溢れるばかりの光を汲み 無数の日々の破片を掬い/約束された再会へ ひそやかな歌の開花へ その出現へと」と書いているのは、なんと40年前のわたし自身。

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