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【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」2011年度第8回セミナー

2012.01.06 齋藤希史, 小松原孝文, 近代東アジアのエクリチュールと思考

中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」のセミナー2011年度第8回目は「麗と淫:六朝文学理論における「情」の再構築」と題し、林青青氏(発表者:比較文学比較文化・研究生)、小松原孝文(ディスカッサント:言語情報科学・博士課程・UTCP)を中心に行われた。(発表の部:11月4日、討論の部:12月2日)

【テキスト】興膳宏「中国における文学理論の誕生と発生―六朝から唐へ―」『中国文学理論の展開』(清文堂、2008)

◆発表の部(11月4日):林氏は、「麗」と「淫」という二つのタームから、六朝文学理論の一側面を検討する。まず、漢の揚雄から晋の摯虞や陸機を経て劉勰に至るまでの文学史を確認したうえで、摯虞や陸機のころに意識されつつあった表現技巧が、それ以降さらに発展し普遍化していく様子をたどっていく。林氏によれば、六朝の「淫」は、表現技巧が発展していく時期に起きた一つの文学現象であるが、このような表現技巧の発達のなかで、六朝期には「淫」を解消するための「情」という概念が構築されたという。六朝期には表現技巧を規範化し理解しようとする動きが見られるが、その過程で文の煩わしさである「淫」の問題が生じ、それを解消するため「情」が持ち出されるのである。こうして六朝時代には、元来別々に論じられていた「物」「情」「辞」の間につながりがつけられ、「物」を感じると「情」を発し、それを「辞」で表現するという構図ができあがる。このようなやり方を通して、六朝文学は「麗」への道を正そうとするのである。
 これに対して、「情」が「物」と「辞」をどのようにつなぐのか、またそれによってどのような効果が生まれるのかという質問が出た。また、「物」という外のものを設定して成立する「情」の意味についても議論があった。

◆討論の部(12月2日):林氏による原典の補足に続いて、討論者の小松原からいくつかの質問が提出された。まず、報告では「淫」や「情」については、様々な文献から語の意味の変遷が確認されているのに対し、「麗」についてはそのような作業がないという指摘が出た。また、単なる表現技法の発達というだけでなく、歴史的になぜ「情」への着目が六朝期に行われたのかについても質問が出された。これについては、先生からの補足も含めて、次のような応答があった。漢代には皇帝をほめる場での共有感情を問題にしていた賦が、魏の時代にはそのような場から乖離し、天子の悦びのためではなく、自分の才能を表現する創作となっていく。そうした背景には、木簡・竹簡から紙へのメディアの移行も関係していると考えられる。
 また、「志」と「情」の区別についても議論があった。「志」は気持ちを指すものであったが、そこから「情」を分離することで、ある方向性をもった気持ちのことを指すようになる。しかし、「志」から分離した「情」は、そのような方向性の維持がなく、そのつど「物」に触発されるものである。これについては、例えば宣長の「もののあはれ」とも通底するのではないかという指摘も出た。

(文責:小松原孝文)

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