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日韓次世代学術フォーラム 第8回国際学術大会参加報告

2011.09.04 小松原孝文

日韓次世代学術フォーラム第8回国際学術大会が、2011年8月22日(月)~23日(火)、釜山の東亜大学校富民キャンパスにて開催され、UTCPより小松原(近代東アジアのエクリチュールと思考プログラム・RA)が参加させていただいた。

 このフォーラムは、毎年日本と韓国で交互に開催されており、今年は6月に東京で開催される予定であった。しかし、3月11日の東日本大震災の影響で、電力供給等の見込みが立たず、すでに準備が進んでいたにもかかわらず、一度は開催を断念したという。しかし、「このような時期だからこそ、日韓が協力して開催を」という関係者たちの熱い声により、急遽韓国で開催されることになり、引受先として東亜大学が名乗りをあげた。天災という大きな困難にもめげず、日韓の交流を絶やさなかった背景には、このようなドラマがあったのである。限られた時間のなかで準備に当られた関係者の皆様には、本当に感謝というしかない。同時に、震災という日本の苦境にあたって、韓国側から様々なご配慮とご厚意をいただいたことは、非常に感慨深いものがある。その意味で今大会は、大会そのものが日韓の絆を強く感じさせるものであったといえるだろう。ちなみに震災の被害が大きかった宮城県、岩手県、福島県の大学からの発表者および討論者には、大会期間中の滞在費が支援されている。

utcp_nikkann1.jpg (大会のパンフレット)

 一日目の学術大会では、国際関係、政治・法律、経済・経営、歴史、言語・文学、社会・ジェンダー、宗教・思想、民族・人類、文化・芸術という9つの分科で、報告および議論が行われた。これらの会は司会、発表、討論のすべてが若手研究者の手で行われ、通訳者によって日本語の発言は韓国語に、韓国語の発言は日本語に翻訳されて進められた。まず発表者による報告が行われ、それに対して討論者が応答し、さらに会場の参加者から発表者に対して質疑が提出された。会の参加条件は日本語もしくは韓国語で議論ができることであり、日韓以外の国からも学生が参加し、発表や討論に加わった。
 私が参加させていただいたのは、分科5の言語・文学である。発表内容については、在日ディアスポラ作家、防人の歌から見る東アジアの家族像、『雨月物語』の人物分析と「恨」の日韓比較、日本占領下の日中文化交流など東アジアにまたがる問題設定をもつものから、張赫宙、津村節子、高見順など個別の作家を取り上げるものまで多岐にわたっていた。普通学会では、同じ時代や専門領域をもつ者が集って会が開かれることが多いが、本大会では国籍だけでなく、学問的にも様々な分野を横断していろいろな発表を聞く機会を得た。このような国際性と学際性をともに可能にしてくれるのも、本大会の大きな特徴といえるだろう。

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                                         (分科会の様子)

 午前と午後の学術発表にはさまれる形で、昼には基調講演が行われた。講演に先立つ開会式では、張済国フォーラム代表の開会の辞、曺圭香東亜大総長の歓迎の辞に加え、余田幸夫在釜山日本国総領事からも祝辞をいただいた。基調講演では、中央日報常任顧問/国際問題大記者である金永熙氏より、「東アジアの安定的発展のために」というテーマでお話があった。今日は、リーマン・ブラザーズショックや国債の格付引き下げなどアメリカ経済が揺らぎを見せる一方で、中国が急速な発展を遂げている。そのような国際情勢をふまえたうえで、金氏は日韓関係についてもパラダイム・シフトが必要だという。中国の台頭を念頭に置きつつ、金氏は東アジアの安定的発展のためには、力による覇権的な態度ではなく、同等の力で緊密な関係を築くことが重要だという。そのためには何かと衝突の多い日韓関係にも真の「和解」が必要であり、関係改善に向けて日本側の努力を求めた。また、金氏は、双方の対立や敵対をいたずらにあおるような挑発的な言動は慎むべきだと強調した。このメッセージは日本側にも、韓国側にも向けられたものである。
 私も金氏のおっしゃるように、何らかのパラダイム・シフトが必要ではないかと感じた。そのなかで上述の講演に応答した司会の申光澈先生の「ともに共有する価値」という言葉が印象に残った。「共有」するということは、何も違いをかき消して意見を同じにすることではないだろう。意見の相違については、お互いの主張に耳を傾け、歩み寄ることができる。もちろん、なかには決着の難しい問題もあるかもしれないが、議論を尽くすのであれば、それはそれで納得いくものとなるだろう。それは相手の言葉を聞かずに一方的に自分の意見を押しつけ、自分たちだけで満足することとは違う。そのような相手を顧みない態度は、互いの不信感を増長させ、双方の溝を深めるばかりであろう。こうした悪循環から抜け出すためにも、お互いが納得できる「価値」をいかに「共有」できるかが、重要な鍵だと思った。それはこれからの日韓関係だけでなく、東アジアを含めた世界との交流関係においても、不可欠な考え方であるだろう。我々のような若手研究者の交流も、このような「共有」できる「価値」の創出へ向けて貢献していく必要があると考える。

utcp_nikkann3.jpg (金永熙氏の講演)

 二日目は、調査旅行として慶州へ行った。地元出身の郭大基先生が案内役を務めてくださり、詳しい解説を交えながら我々を引率してくださった。まず、訪問したのが国立慶州博物館である。慶州は新羅の宮廷があったところで、博物館には慶州の各地で発掘された遺物が展示されている。国宝や重要文化財(韓国では宝物というらしい)、また新羅の宮殿や文物について郭先生の説明を聞きながら、ガイドにもないような情報を我々は知ることができた。例えば、新羅の金冠には翡翠の勾玉が装飾としてついているが、郭先生によれば、これは日本からきたものだという。このような日韓の古くからの交流の跡を見学しつつ、周りでは現地の子どもたちが、夏休みの宿題であろうか、展示物を見て絵を描いていた。
 昼食をはさんで午後は、新羅窯で壺作りを見学した。これは新羅の作り方をそのまま再現したもので、足で轆轤を回しながら巧みに壺を作っていた。また、東里・木月文学館では、小説家金東里と詩人朴木月についての展示を見学した。ここには王や僧侶など、新羅の偉人についての展示もある。館長のご厚意で、参加者全員に「신라의혼」(Spirit of Silla)という詩集が配布された。最後に訪問したのが、世界遺産でもある仏国寺である。本殿のある境内へとつづく階段は、今では保護のため使うことができないが、全部で33段あるという。これは、日本では煩悩は108だが、韓国では33だからだそうである。この日は、雨が降ったり止んだりとあいにくの天気であったが、郭先生の詳しい説明と地元の学生がスタッフとして親身にお世話をしてくださったおかげで、慶州についていろいろと学ぶことができた。

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                                     (国立慶州博物館にて)

 領土をめぐる政治的な対立や、文化流入に対する反動的な動きなど、日韓関係については、対立的な局面がクローズアップされがちだが、裏を返せばそれだけ韓国が日本にとって重要な存在になりつつあるということであろう。今回このフォーラムに参加して、日韓が互いを理解しようとする交流が着実に進んでいることを実感することができた。特に今大会は、最初にも記したように、会そのものが日韓の絆を確認できる大きな意義をもつものであった。こうした交流が今後も継続されることを、ぜひとも望みたい。ちなみに来年は、一橋大学で第9回が開催される予定である。興味を持たれた方は、ぜひ足を運んでみてはどうだろうか。

(小松原孝文)

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