【報告】 UTCP in NYU ヴィレン・ムーティ氏講演
3月22日から31日にかけて、UTCPの小林康夫、中島隆博と若手研究者(デンニッツァ・ガブラコヴァ、井戸美里、王前、平倉圭、吉田敬)とUTCPの前メンバーであり、現在はハーヴァード大学大学院の橋本悟さんによって、ニューヨーク大学への研究交流遠征が行われた。
本遠征はニューヨーク大学大学院総合文化研究科と東京大学大学院総合文化研究科との学術交流協定の調印も兼ねており、両者の関係のそもそもの始まりが、ニューヨーク大学比較文学科・東アジア研究科の張旭東さんとUTCPの中島との緊密な研究交流であったため、張さんのゼミ、また、比較文学科・東アジア研究科の大学院生を中心に組織された、グラデュエイト・カンファレンスに参加するという形で行われた。
UTCPのニューヨーク遠征の口火を切ったのは、3月24日に行われた、ヴィレン・ムーティ(オタワ大学助教授)さんの講演"Historicizing Time and the Problem of Perioridization"だった。ムーティさんの講演は25日に開催された「時代」ゼミで本来、話されるべきものであったが、諸般の事情により、ムーティさんの講演のみ、前日に行うということになった。
ムーティさんの講演内容をうまくまとめるのは、専門外の筆者にとって、難しいことだが、筆者の理解するところでは、ムーティさんの考えでは、我々は線的時間、あるいは抽象的時間というものを前提としており、そこでは全てのセグメントが形式的には同一とされるが、それぞれのセグメントは内容的には唯一の存在である。ムーティさんはそうした線的時間、あるいは抽象的時間の構造と資本主義の歴史的出現を関連づけて、論じようとする。アリストテレスやカントの時間概念に言及しつつ、ムーティさんは、マルクス主義者が時間を変化から独立した変項として捉え、抽象的時間という概念を歴史化していないと批判する。ムーティさんの考えでは、抽象的時間を歴史化する可能性をマルクスの『資本論』の中に見いだすことが出来る。更に、ムーティさんによれば、前近代社会と資本主義社会との間には、決定的な断絶があり、資本を歴史の主体として捉えることが必要であるとのことである。
ムーティさんの講演に対しては、資本主義に対するマルクス主義的批判は何か重要なものを生み出すのかどうか、あるいは、我々の現実というものは未来に対する一種の思弁、計算、あるいは投機に基づいているのではないかという疑問が提示され、興味深いディスカッションが行われた。ムーティさんは今年、来日される予定なので、UTCPで更に議論を深めることが期待される。
(吉田敬)