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【報告】ベンヤミン、あるいは都市の書法

2007.12.11 田中純

「ベンヤミン、あるいは都市の書法」と題された田中純(事業推進担当者)、大宮勘一郎(慶応義塾大学教授)両氏によるトーク・イヴェントが昨日開催された。田中氏の『都市の詩学――場所と記憶の徴候』(東京大学出版会)、大宮氏の『ベンヤミンの通行路』(未來社)の刊行を機縁とした対談である。

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40人の定員一杯となったジュンク堂書店新宿店の喫茶にて行われた対話は、ドイツ科の学生時代からの旧知の仲である二人だけあって、冒頭から表現の細部にまで及ぶかなり忌憚のない意見が飛び出し、話題も多岐に渡った。なかでも印象的であったのは「自伝」をめぐるやりとりである。もちろん、『ベルリンの幼年時代』を書くベンヤミンの身振りが焦点となっていたのだが、翻って書物を自ら書くということにまで問いは付き返されることになった。田中氏はアルド・ロッシのいう自らのアイデンティティーを失う方法としての「自伝」を書くこと――ヴァールブルク的なヨーロッパの自伝を書くという試みもまた参照されていた――について肯定的な立場を表明したのだが、大宮氏はそれに留保を示しながら、ベンヤミンが実践する(自らを)「語る erzählen」という行為がもつ奇妙な構造に注意を向けた。ここにベンヤミンに刺戟を受け続けている著者たちの思考の振舞いがもっとも鮮明になっていたように思う。残念ながらその違いについて掘り下げられることはなかったが、ベンヤミン読解の核心にも触れるだけに再び二人が相対することに期待したい。
(報告 森田 團)

これについての私的感想は、個人のブログに書きましたので、ご参照ください。
(田中 純)

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