【報告】国際シンポジウム「変身とカタストロフィ」
10月31日から11月2日にかけての三日間、ソフィア大学で国際シンポジウム「変身とカタストロフィ」が開催された。
今回の会議は、小林康夫、ボヤン・マンチェフ、ダリン・テネフの三氏によって企画された、東京大学とソフィア大学による共催シンポジウムである。東京、ソフィアから参加した計15名ほどの教員と学生に加え、フランスからは昨年『創造的アノマリー』を刊行したばかりの哲学研究者カミーユ・ファラン氏が参加した。
10月31には、小林康夫(UTCP)によるフランス語の講演会« Ne jamais céder le vide » : une pensée de désastre d’après la catastrophe (ou l’impossible métamorphose vers le sage) が開催された。続く11月1日と2日には、東京大学とソフィア大学、およびその他の大学に所属するメンバーによる三つの研究発表のセッションが設けられた(使用言語は英語および仏語)。折しも、ソフィア大学では政府への抗議運動のために学生がキャンパスを占拠中であったが、特に大きな騒乱もなく、シンポジウムは終始静かな熱気に包まれた雰囲気の中で行なわれた。
なお、今回の会議において中心的な役割を担ってくれたボヤン・マンチェフ氏は、かつてUTCPの招聘により、東京で開催されたワークショップ「フランス現代思想の地平」と、西山雄二監督の映画「哲学への権利——国際哲学コレージュの軌跡」上映・討論会に参加していただいたことがある。また、ダリン・テネフ氏は、かつて東京大学大学院言語情報科学専攻に留学していた経験を持ち、今回東京から参加したメンバーとはUTCPの研究会などを通じて以前より交流があった。今回、このような素晴らしいシンポジウムを企画し、ブルガリアを訪れたわれわれを手厚く歓迎してくれた両氏の友情に深く感謝したい。
また、Miglena Nikolchina、Dimitar Bozhkov、Kamelia Spassova、Maria Kalinova、Enyo Stoyanov、Deyan Deyanovの各氏をはじめ、今回ブルガリアから参加してくれた方々とは、シンポジウム中だけでなく、食事の時間などに充実した議論の時間を持つことができた。今回のシンポジウムの開催にあたって尽力してくださったすべての方々に感謝したい。以下、今回の発表のためにソフィアを訪れた東京大学の学生たちの報告をお届けする。(星野太[UTCP])
山岡利矢子(東京大学大学院総合文化研究科博士課程/UTCP RA)
初めて降りたったブルガリアのソフィアは、3日間に渡り秋晴れの美しい空が印象的であった。ブルガリア国際会議のテーマは「変身とカタストロフィー」で、ソフィア大学からは9名、東京大学からは6名の計15名の発表者が参加した。政府に対する抗議運動でソフィア大学が学生たちによって占拠されていたため、急遽開催場所を変えざるを得ないという状況の中、第一日目、小林康夫氏の基調講演 « Ne jamais céder le vide » : une pensée de désastre d’après la catastropheをはじめに国際会議がスタートした。会場は多くの聴衆で満たされ、この会議に対する学生や大学人の関心の高さを感じた。思えば、かつては文学理論で世界的レヴェルにまで達し、トドロフやクリステヴァ等の著名人を輩出した国である。新しい思考や知的活動に開かれた姿勢は、参加者との対話や会話からも読み取ることができ、現代思想を学ぶ者にとって深く共鳴するところがあった。
二日目は、東京大学の学生とソフィア大学の講師陣、さらに哲学者のボヤン・マンチェフ氏による発表が行われた。東大側からは主にブランショ、デリダ、ナンシー等の思想をめぐって「変身」と「カタストロフィー」について思考した発表が多かった。ソフィア大学側においては、ギリシャ神話における「カタストロフィー」の在り方を現代の共同体の問題と照らし合わせた発表、2人一組で精神分析的な視点からこのテーマに取り組んだ発表等、個性的で大変興味深いものであった。とりわけこの会議の主催者であるマンチェフ氏の発表 « Le double obscur de Prométhée : désorganisation et catastrophe »は、ギリシャ神話における変身とカタストロフィーの問題を、「犠牲」という視点から捉えたものであった。それは、このテーマの本質に迫る思考であったと思われる。科学技術の時代においても未だこの「犠牲」は支払われ続けているものであり、そこから人々を救う新たな思考を生み出すことの必要性を氏の発表から考え、話し合った。私自身は、デリダの反復可能性とブランショの中性的なものの概念から、主体性の変容について発表した。ブランショの著作において他者との関わりで大切なのは「共苦」であるとデリダは指摘しているが、まさに他者の苦しみを共に感じ取ることが主体性の変容の一形態として重要なことではないだろうか。それは決して至高なるものへの犠牲ではなく、「友愛」としての他者との関係性において感じ取る苦しみであると思われる。
三日目は、UTCPの助教である星野氏、哲学研究者のファラン氏、ソフィア大学に関わる教師陣の発表であった。各人の専門的な立場からこの会議のテーマに関する発表は、大変意義深いものであった。そして、この日の終わりに学生により占拠されていたソフィア大学の講堂で、小林康夫氏が、学生たちを鼓舞する演説を行った。それは、68年の再来かと錯覚するようなある意味で歴史的一場面であった。
三日間を通して、一つのテーマについて充分に議論し、対話し、思考するという本当に充実した時間を送ることができた。このような素晴らしい機会を与えて下さったソフィア大学並びに東京大学の関係者に深く感謝をしたい。とりわけ、ソフィア大学側が、我々を家族のように温かく迎え入れてくれたことは本当に嬉しかった。今後に続く良い関係を築けたのではないかと思う。
桐谷慧(東京大学大学院総合文化研究科/ストラスブール大学博士課程)
今回のシンポジウムは、ソフィア大学のボイヤン・マンチェフ氏がその著書において論じている「変身」に関する議論、および小林康夫氏が初日の基調講演にて展開した「カタストロフィ」に関する議論、この2つの軸となるテーマに対して、各参加者が自らの研究領域から応答を試みるという形をとって行われた。
本報告者は2日目の研究セッションにおいて、「ジャック・デリダにおける終末論の問題について」というタイトの発表を行った。マンチェフ氏はその著書において、ヘーゲルに代表されるようなある種の思想を「メシア的論理」と名付け、変身を還元するものとして批判的に論じている。これに対してデリダは、主に90年代以降のテクストにおいて、「メシアニズムなきメシア的なもの」や「終末論」という語を、特異な出来事や予測不可能な「未−来」を名指すために用いている。本報告者の発表の目的は、デリダとマンチェフ氏の議論の差異を際立たせることによって、終末論的な思考の可能性について議論をすることにあった。マンチェフ氏からの応答は、極めて注意深く思慮に富んだものであった。彼は、デリダの議論にみられるような、予測不可能な出来事へと開かれた「メシア的なもの」というテーマに一定の共感を示しつつも、それがある種の「決定的な出来事」と関わらざるをえないことによって、「出来事のその後」を考えることを難しくするのではないかという懸念を語った。これはデリダやベンヤミンの思想を考える上で、非常に重要な論点であるように思われる。本報告者としては、マンチェフ氏の懸念を共有しつつ、今後の研究を通してこの問題をさらに推し進めて考察する必要性を痛感させられた。
この日のセッションにおいては、本報告者の発表以外にもベンヤミンとヤーコプ・タウベスにおける終末論の問題、デリダとブランショにおける変身とカタストロフィの議論、アリストテレスやリオタールにおけるカタストロフィの問題、『変身物語』の読解などが各発表者によって提起され、多様な観点から議論が深められた。このように発表の内容は多岐に渡り、まさに変身とカタストロフィというテーマの広大な射程が示されることとなったのだが、同時に議論が散漫となることは少なく、小林氏、マンチェフ氏、ダリン・テネフ氏の巧みな舵取りのもと、変身とは何か、カタストロフィとは何かという問いが繰り返し変奏されることとなった。発表後の意見交換においてもソフィア大学側の参加者と極めて有益なやり取りをすることができた。本報告者としては、とりわけテネフ氏からデリダ研究に関する数々の興味深い教示を頂いたことについて、ここに感謝を記したい。
また、ソフィア大学で生じた政府への抗議行動によって、今回のシンポジウムにおける「政治的なもの」の側面がはからずも明確化されたように感じられた。ソフィア大学における政治行動の現状の分析、展望、政治における「態度」の問題、そして政治的変身とは何かということ等について、様々な場面で参加者の間で非常に熱のこもった議論が交わされた。ある意味では「通りすがりの者」に過ぎなかった我々であるが、この政治的現象を思考するにあたって、共同の議論を通して少しでも寄与できるところがあったならば何よりの幸いである。
最後になってしまったが、ソフィア大学の方々による本シンポジウムへの貢献はまさに驚くべきものであった。彼らはあらゆる場面において限りない協力、友情、そして献身を示してくれた。ここに感謝の意を表すとともに、その謝辞が彼らへと送らなければならないであろう無限の感謝に対しては到底釣り合わないものであることを認めざるをえない。私は、秋が深まりつつあったソフィアの街において、「奇跡的」な歓待を受けるという幸運に恵まれたことを証言したい。
高山花子(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
2013年10月31日から三日間、ブルガリアのソフィア大学で行われたシンポジウム「変身とカタストロフィ」に参加する機会を得た。夏にはじめて企画を聞いたときは、開催地がブルガリアで、仮のテーマが変身と再生/復活であるという大枠しか情報がなかった。それゆえ、なぜブルガリアでこのテーマなのか?という素朴な疑問が浮かんだ。が、同時に、作中に変身のモチーフが多数現れるモーリス・ブランショの初期作品『謎のトマ』を改めて読み込んでいたこと、ブランショにおける身体感覚あるいは物理的な問題に思いを馳せていたこともあり、「変身(métamorphose)」という言葉に極めて純粋に惹かれる自分もいた。鍵語のように並んだ幾つかの企画段階の言葉には、ミシェル・セールを想起してしまった部分もあったのだが、実際にはジャン=リュック・ナンシー等の思考に対して、ボイヤン・マンチェフ氏が「メタモルフォーズの存在論」という切り口で展開する昨今の仕事が今回の企画の背景にあると判明する。どこまで主旨に応えられるか甚だ不安だったが、準備を進めた。
ソフィアで何よりも衝撃だったのは、わたしたちが個々で準備してきた題材だけでなく、日頃の研究関心までが、ソフィア側の参加者と絶妙に重なり合っており、次々と思考が絡み合ってゆく運動を実感できたことだと思う。自分自身は、「『謎のトマ』におけるアンヌの体と変身」と題し、発表を行った。ナンシーの論考「ブランショの復活」を踏まえた上で、あえてトマではなく、登場人物の女性アンヌに生じる変身の分析を試みた。アンヌをめぐっては、病の問題はもちろん、感情や、生きることへの欲望、さらには愛の問題が立ち現れる。変身を思考する際に、改めて生身の体とそれに付随する問題を思考する必要性が浮上するのではないか、というのが大筋である。問題背景が説明不足になってしまった反省があるが、質疑応答では遺骸的類似をはじめとするブランショにおけるイメージ論と比較検討するための手がかりをマンチェフ氏が提示してくださった。また、ダリン・テネフ氏は作品の細部にかなり踏み込んだ上で、非人間的なものをめぐる読解と突き合わせる可能性等を指摘してくださった。はじめてフランス語で発表したため、どこまで伝わるか心配だったが、このようなフィードバックを得られ、休憩時間や食事の席でも互いの研究について情報交換出来たことは望外の喜びだった。自分が最近興味を持っている研究者がマンチェフ氏の友人であることが判明するなど、思いがけない収穫を得るまで話が広がったのは、周到に準備されながらもあたたかだった雰囲気と、小林康夫氏や他の日本側の参加者の助けが大きい。そして、原稿のコリジェのおかげだと思う。この場を借りて、エリック・ジュモン氏には感謝を述べたい。
このように、ソフィア側の参加者が非常に近い研究領域に取り組んでいることがわかったゆえに、彼らのブルガリア語による仕事に即座にアクセスできない事実とどう向き合うべきかという問いが、もどかしさと共に今なお心中を去来している。とりわけ、テネフ氏の博論や、彼が最近刊行したというデリダ論の内容は、話を聞く限り大変興味深かった。ブルガリアという土地の歴史と彼らの他言語習得の背景、翻って自分がフランス語や英語、日本語で書くという行為についても考えさせられている。
ソフィア大学の占拠の静けさもそうだが、街の静けさと美しさもおそろしいほどだった。フォーラム最終日、夕暮れに鈍くもけたたましく鳴り響いていた聖堂の鐘の音の切迫感が忘れられない。ソフィアの方々には言葉に尽くし難いほどお世話になった。ひと月が経とうとする今なお胸が震えている。素晴らしい機会を頂けたことに改めて感謝し、再会を祈念しつつ、学んだことを今後の糧にしてゆきたい。
南俊輔(東京大学教養学部)
本報告者は今回のシンポジウムにおいて『これは「変身」ではない――ジャン=リュック・ナンシーを巡って』という題のもと、フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーにおける、特に近年の〈キリスト教の脱構築〉と呼ばれる一連の仕事(特にNoli me tangere (2003) やLa création du monde ou la mondialisation (2002))において「変身」あるいは「復活」の持つ意味を、「世界」という概念との関わりから探ることを主眼とした発表を行った。本報告者が行った発表は、初日の小林康夫氏の基調講演およびそれに対するボヤン・マンチェフ氏の応答と、内容的に連関したものであったように思う。特にマンチェフ氏が「世界の変身のアポリア」と称した問題について、すなわち世界の変貌を創造的契機と捉えるかあるいはカタストロフィと捉えるかという循環的な問題に対して、本報告者はナンシーの思想を、そうした外部−世界の環境の変化に対して自己を変容させることで、一種の創造性としての変身を抵抗の手段として肯定的に扱うドゥルーズなどに代表される思想と対置させた。そして特に福島での原発事故以降の日本に生きる者として、カタストロフィにおいてナンシー的変身=復活が、「無rien」という概念ともに、一種の希望なき希望として別の仕方での変身の可能性を私たちに提示しているという主張を行った。
本発表に対して、マンチェフ氏より、ナンシーの概念の宗教性、キリスト教的基調の問題に関して、ナンシーの思想を脱‐宗教的に取り扱うことの重要性を指摘して頂いた。本報告者はこの問題について、ナンシーによるジャン=リュック・マリオンの神学的現象学への応答、あるいはナンシーとの類似を見せるデリダの否定神学論との関連の中で今後探求すべきテーマとしていきたいと思う。
今回のシンポジウム全体において、通奏低音としてデリダの聲が響いていたように感じている。シンポジウムと半ば連動しているかのように勃発していた学生達の大学の占拠運動もまた、先の「アポリア」へのひとつの態度ーー小林氏が講演で強調した言葉だーーだったように思う。本シンポジウムの参加者達も、占拠中の学生達も、世界の「変身とカタストロフィ」という目の前に突き付けられた課題に対して責任=応答可能性を真剣に感じていただろうことだけはここに記しておきたい。「条件なき大学」を彷彿とさせるかのような占拠中の大学のなかに開けた空間のなかで、小林氏が学生達に向かって語りかけ続けた「ここは大学であり、ゆえに学ばなければならない」という言葉は、本報告者の耳にデリダの晩年の著書『生きることを学ぶ、終に』と共鳴して響いた。知的遺産の継承を巡って紡がれたデリダの「学ぶ」べき言葉達は、本シンポジウムの参加者全員が共有した思考の運動へ、確かに継承されていたと感じている。
最後に、学部生という身分でありながら本シンポジウムへの参加を提案して下さった師・小林康夫氏、および本報告者を様々な面で支えて下さった東京大学からの参加者の方々にまずは多大なる感謝の念を申し上げる。特に小林氏の導きが無ければこの奇蹟的な体験は味わえぬものであったように思う。そして本報告者の未熟な発表に熱心に耳を傾け、真摯に応答して下さったマンチェフ氏・テネフ氏をはじめとするソフィア大学からの参加者の方々にも、熱く御礼の念を申し上げたい。彼らの「歓待」こそ、極めてデリダ的な、すなわち極めて「不可能」に近い筈の奇蹟的なそれであったのではないだろうか。