【報告】L2プロジェクト「共生のための障害の哲学」第2回研究会
2012年7月10日、上廣共生哲学寄付研究部門L2「共生のための障害の哲学」プロジェクトの第2回研究会が開催された。発表者の岩川ありさ氏は大江健三郎の小説『臈たしアナベルリイ総毛立ちつ身まかりつ』の中に描かれている主人公サクラのトラウマに関する考察から始めた。この小説では、サクラが幼い頃の性暴力によって受けた精神的外傷とどのように向き合っているのかが描かれている。岩川氏が注目したのは、擬声語や擬態語によって表現されたサクラの「叫び声」だった。そして、その「叫び声」はトラウマを表現する。岩川氏の専門は日本文学、トラウマ研究、クィア批評であるが、この発表はその三つの研究分野が融合し、障害とその当事者研究の分野への新たな方向性を見せた。
『トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事』の中でキャシー・カルース(2005:7)は、トラウマを「外に向けて叫び声を発する場であり、それ以外の方法では伝えることのできない現象や真実をわれわれに語ろうとする試みそのもの」として捉えている。岩川氏によると、「トラウマという現象」は、恐ろしい出来事を経験すること自体ではなく、その意味をはっきりと把握することができなかったことによって、悪夢のような出来事を生き延びた者のもとへと繰り返し回帰する現象のことである。つまり、大江の小説に出てくるサクラがあげる「アーアー」という声はトラウマを表現し、彼女の内面的な「痛み」を外に発する叫び声として捉えることができるのである。過去に起こった出来事を把握することができないまま大人になったサクラは、その叫び声によって、「自分にはっきりと把握できなかった出来事」を後年になって把握しなおそうとしているのではないだろうか。「トラウマを負った当事者は、瞬時に捉えることができなかった出来事を自分のものとしてつかみとるために、ゆっくりと時間をかけて、トラウマについて語りなおす言葉を見出す」のである。
その後、トラウマの話と関連付けて、大江健三郎のエッセイ『ヒロシマ・ノート』(1965)への言及があった。大江は、『ヒロシマ・ノート』の中で、1945年8月6日の原爆投下後の焼け野原に立ち、自らも傷を被りながらも救護活動に従事した医師たちの姿を描いている。医師たちの目の前にいた被爆者たちは、苦痛に耐えながらこの世の不条理さを嘆いたが、自分たちに何が起こっているのかも分からないままそこに存在した。つまり、人間が発する「うめき声」は、擬声語/擬態語で綴られ、言語では決して語ることのできない経験・感情として表現されているのだと岩川氏は主張する。
原爆投下後の広島・長崎では、トラウマをもちながら生きている人びとが多く存在するのだろう。岩川氏は次のように問うた。「トラウマを負った人びとが、外傷的な出来事について証言する声に対して、私たちは、どのように応答できるだろうか。また、一瞬にして死した者の、「痛み」が結晶したような擬声語/擬態語に対して、私たちは、いかに応答することができるだろうか」。この問いに対する答えはそう簡単に出せるものではない。大江健三郎のテクストの読解を行った後、岩川氏はここから当事者研究へと話を接続させる。トラウマは、客観的に見えるわけでも、聞こえるわけでもない。どのように苦しいのか、その当事者の語りを聞かなければ、周囲にいる他者には、わからない。その際、専門家(医療者)には心の傷である精神的外傷を見ることも、トラウマの声を聞くこともできないこともある。従って、当事者同士の経験を語り合うことから見えてくる「知」というものもある。とくにトラウマという主観的な経験についての「知」を構築するには、「当事者研究」が必要になると岩川氏は主張した。痛みやトラウマについての「知」は医療者から当事者へと一方的なものであってはいけない。むしろ、当事者が経験している現象の語りを聞きながら、専門家(医療者)と当事者が相互関係を築くことが大切になるだろう。
今回の研究会では、10名ほどが参加して、興味深い議論を進めることができた。トランスジェンダーと性同一性障害の考え方の対立等が論点になり、性や障害の概念、クィア理論自体も変わりつつあることが分かった。文学と当事者研究を接続してできることとは、苦しみや生きづらさを語ることで、見えなかった抽象的な感情が徐々見えてくるようなるプロセスを行なうことではないだろうか。岩川氏が中心となって進められているL2のシンポジウムが7月28日(土)に開催される。シンポジストとして、発達障害の当事者研究を続けている綾屋紗月氏、脳性まひの当事者で小児科医の熊谷晋一郎氏を迎えて、新たな展開を迎えるのではないだろうか。今後、岩川氏が文学と哲学の研究領域を広げて、障害を多元的な視点から考察できるようにすることが期待される研究会となった。
(報告:稲原美苗)