【報告】上廣共生哲学寄付研究部門オープニングシンポジウム「Ethics in Change 新たな共生の方位」
2012年6月16日、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)上廣共生哲学寄付研究部門のオープニング・シンポジウムが開催された。
2002年に東京大学の駒場キャンパスに設立され、文部科学省の21世紀COE、およびグローバルCOEプログラムとして10年にわたって活動してきたUTCPにとって、2012年度はいわばその第三期目の初年度に当たる。「Ethics in Change 新たな共生の方位」と題された本シンポジウムは、上廣倫理財団のご寄付によって設置された上廣共生哲学寄付研究部門のオープニング・イベントとして開催された。
本シンポジウムは梶谷真司(UTCP)の総合司会によって進行し、東京大学大学院総合文化研究科副研究科長・教養学部副学部長である伊藤たかね教授と、UTCPセンター長の小林康夫、事務局長の中島隆博の挨拶によって幕を開けた。伊藤教授は、ご自身の専門である言語学の観点から「共生」をその名に掲げるUTCPの活動に言及され、小林・中島両氏は、UTCPのこれまでの活動を振り返りつつ、現在の日本の人文学が置かれた——おそらくある種のカタストロフと言ってよい——状況をあらためて確認した。たんなる形式的な「挨拶」にはとどまらない、このシンポジウム序盤のやりとりにおいてすでに、現在の人文学が置かれた状況を見据えるための多くの問題が提起されたと言える。
シンポジウムの第一部では、UTCP・上廣共生哲学寄付研究部門のL2プロジェクト「共生のための障害の哲学」のコーディネーターである石原孝二と、東京大学大学院教育学研究科の星加良司氏がそれぞれ講演を行った。星加氏の発表「近代的概念としての「障害」概念」は、ご自身の著書である『障害とは何か』(2007)を下敷きに、近代における「障害」というカテゴリーの成立について論じるものであった。なかでも、産業社会、およびポスト産業社会における労働力の個人化や身体の規範化といった問題を中心に、医学的に同定された「障害者」というカテゴリーが本質化されていくまでの歴史的な経緯が浮き彫りにされた。
石原氏の発表では、L2プロジェクト「共生のための障害の哲学」の概要が紹介されるとともに、しばしば「共生」という言葉が「障害者」と「健常者」の差異を前提してしまうという事実に対する警戒がなされた。石原氏によれば、「共生のための障害の哲学」という営みは、そうした差異を強化してしまうおそれがある。しかしそれでもなお、こうした差異の「解消」を目指すのではなく、共生へと向けた障害の基礎理論を提供することこそが、本プログラムの目的であるという主旨が述べられた。
「共生の東西哲学対話」と題されたシンポジウムの第二部では、中島隆博(UTCP)の司会のもと、英語と日本語による3名の発表が行われた。まず、石田正人氏(ハワイ大学マノア校哲学科)の発表「環海と砂漠と——対話は何処へ行くのか?(Surrounding Seas and Deserts: Whither the Dialogue?)」では、ハワイを中心とする豊富な事例をもとに、いわゆる「東西」とは異なる「環太平洋」という視点が導入された。紹介された事例は、ハワイにおける障害者研究、子どものための哲学教育、アジアにおけるイスラム哲学研究などさまざまな領域にわたっていたが、それらを貫いていたのは、ハワイから日本というトポスを捉え直すという先述の「環太平洋(Pacific)」的な視点である。それは「東西」という従来の地政学的なフレームの再考を促すばかりでなく、沖縄やアイヌといった諸地域の問題を、環太平洋という地理的なコンテクストのもとで再考することへとつながるだろう。
林永強氏(東京大学教養学部)の発表「文化横断的倫理——近代中日哲学の教え(Transcultural Ethics: Lessons from Modern Sino-Japanese Philosophy)」では、とりわけ日本語と中国語における「倫理(学)」という語をめぐって、文化横断的倫理と共生の問題が論じられた。大きな枠組みで言えば、そこで強調されていたのは自他弁別的な「比較による(comparative)」アプローチに対する、ハイブリッドな存在としての自他を前提とする「文化横断的な(transcultural)」アプローチの重要性である。
最後に、石井剛(UTCP)が「孕孳於廢墟:物與名的倫理契機(廃墟においてうまれ、ひろがる——物と名の倫理的契機)」と題する発表を行った。石井氏の発表は、ジャ・ジャンクーの映画『三峡好人』(邦題『長江哀歌』)を手がかりに、中国哲学における「倫理」と「名」の政治を論じるものであった。一方の「倫理」について言えば、中国哲学の伝統的なコンテクストのなかでのそれはきわめて限定された関係であり、自然に芽生える親近感としての「仁」とはまったく異なった仕方で規定されている。また他方の「名」について言えば、孔子のテクストに代表されるように、そこには「名を正す」ことによって「名」と「物」の秩序回復を図ろうとする政治的な作用が見出される。石井氏は、『三峡好人』における登場人物たちが、こうした既定の「人倫関係」や「名の秩序」の外側にいる存在であることを指摘し、そこにある「語られたことのない哲学の皺」(武田泰淳)を語る必要性を指摘する。
以上の濃密な発表に加え、各セッションの後半では活発な質疑が行われた。より正確に言えば、日本語、英語、中国語をはじめとする多言語環境のなかで、専門を異にする多くの参加者が、それぞれみずからの「立ち位置」から意見や質問を投げかけるという充実した場がそこに成立していたと言ってよい。このエントリーの報告者である星野太(UTCP/上廣特任助教)は、上記ふたつのセッションの終了後に発言の時間をいただき、駒場におけるこれまでのUTCPの活動から多大な恩恵——ないし負債——を受けてきた者のひとりとして、着任の挨拶をさせていただいた。
シンポジウムの最後には、上廣倫理財団の事務局長である丸山登氏に、英語でスピーチをしていただいた。これまでの上廣倫理財団の助成活動から、これからのUTCPへの活動への期待にいたるまで、さまざまなことを語っていただいた。長時間にわたるシンポジウムに出席して下さり、最後に締め括りの言葉をいただいたことに深く感謝したい。
(報告:星野 太)