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【UTCP Juventus】荒川徹

2010.09.08 荒川徹, UTCP Juventus

UTCP事務局員/日本学術振興会特別研究員(DC2)の荒川徹です。現在は主に芸術経験のパースペクティブ性をめぐる研究を、以下のパラレルな3つのトピックのもとに行っています。これまでの研究紹介は、第1回第2回 をご覧ください。

1. セザンヌ研究
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セザンヌ《割れた壁の家》(1892-94年、81 x 65.1cm、メトロポリタン美術館)

ポール・セザンヌの後期風景画を中心とする研究を、修士論文執筆以降も断続的ながら継続しています。この7月に1890年代の風景画に関して、東京藝術大学で発表しました。セザンヌがル・トロネ周辺で制作した、石切り場、貯水池、未完成の工場跡地、廃墟などの孤立した建物といった、打ち捨てられた建造物のモチーフは、彼の次第に孤立するロマン主義的心性を反映したものであるといまだに語られており、過剰な心理的性格を付与されてきました。わたしの研究の主眼は、情動的トーンの所在を孤独の形象にではなく、人工物と自然物の絵画面上の相互作用に見出すことにあります。実際の作品を分析すれば、独立して存在するかのように見える抽象的形態をもつ人工物は、周囲の自然と多様な角度から相互に触発し不可分なものとなるように、画家がいかに骨を折っていたのかが分かる。複数の時間スケールを突き破る力、そして自然/人工の境界消失の情動的な表現こそが、1890年代以降のセザンヌの風景表現の根底をなしています。この研究は、一方で下の3のピクチャレスク・ツアーの実践と並行して展開してきました。

2. ミニマリズム研究
 昨年から、1960-70年代アメリカのミニマリズムの美術を遠近法主義的な観点から分析する研究を行っています。われわれが実際にある一つの物体を見るときは、その現れは物体とわれわれが作り出す角度や距離、光といった関係に応じてたえず変化し、一切の視点を排除した物体を直接に経験することはできない。この研究は1960年代以降のアメリカ現代美術におけるミニマリズムと呼ばれている動向において、そのような視点性の問題に作家たちがいかに取り組んだかを明らかにするものです。たとえば代表的な作家であるドナルド・ジャッド(1928-1994)も60年代中葉に、見る角度やアクセントの置き方に応じて構造がまったく異なって知覚されるようなメカニズムを自らの作品に組みこんでいました。この研究は明確に、抽象的物体の美学ではなく、そのような視点変化の経験の理論的解明に重点を置いています。これまでのミニマリズム論でも提起された知覚の視点性という問題に留まらず、作品経験の成立をめぐる感覚や認識までもパースペクティブの問題として追求していくことができると考えています。この研究は博士論文としてまとめていくことを計画しているところです。

3. 近代化遺産研究
 上記の美術研究の方向性は、一方で近現代美術作品だけでなく、工場やダム、廃墟といった建築物全体へと拡張することで、より具体的に考察することができます。わたしの目下の関心は、おもに建築物、およびその過程における残存物の関係を対象として、近代化という経験の残存する古層を掘り下げることです。

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〈ホテル山〉撮影:著者(2010年)

ひとつ実例を。栃木県宇都宮市大谷には現地の人々によって「ホテル山」と呼ばれている石切り場があります。これはフランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテル(現在は一部を明治村に移築)で使用された石材を掘り出した岩山です。原型を想像する余地もありませんが、山が地図の切り絵のようになるまで切りだされ、地形ともアースワークともつかない特異な構造が残存している。芸術作品ではないのに、現地の周囲でこれほど芸術的質を主張する構造体もありません。どこかに建物がたてられると、かならずどこかが削られている──石切り場を感覚することは、その当たり前の有限性という事実を想像可能なものにします。「ホテル山」は物質と作品をめぐる関係を、きわめて多様な角度から検討しうるモニュメントになると考えています。これは単に研究活動だけではなく、制作活動として展開することが次なるステップとなるでしょう。

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