【学会参加報告】 Brain Matters: New Directions in Neuroethics
2009年9月24日から26日まで"Brain Matters: New Directions in Neuroethics"と題した国際会議がカナダのハリファックスで開催され、UTCPから事業推進担当者の石原孝二および研究員の小口峰樹と西堤優が参加した。
Brain Mattersは当地に拠点を置くDalhousie大学のNovel Tech Ethics研究所を運営の中心とする国際会議であり、同大学のFrançoise Baylisと Jocelyn Downieの両教授を共同議長とし、Walter GlannonやJudy Illes、Eric Racine、Neil Levyなど著名な研究者たちを運営委員に擁している。本会議は、昨年に第一回大会が開催された脳神経倫理学会よりはやや小規模ながら、それに伍する位置づけをもつものである。運営委員の一人であるEric Racineによると、来年はモントリオールでの開催が予定されているという。
会場となったLord Nelson Hotel
発表者は、講演が38人、ポスター発表が20人の計58人である。石原准教授は"Neuroethics in Asia: Current situation and future views"と題された二日目のパネルセッションに登壇し、脳神経倫理学の研究を推進するうえでの日本の社会的・文化的条件の影響に関する講演を行った。小口は同じく二日目のパラレルセッションで口頭発表を行い、西堤は一日目にポスター発表を行った。以下、本会議や各人の発表について、小口と西堤からそれぞれ報告を述べていきたい。
(以上、小口峰樹)
西堤優 "Does the 'Iowa Gambling Task' really verify the somatic marker hypothesis?"
2009年9月24日から26日の三日間にわたり、カナダのハリファックスでBrain Mattersの第一回大会が開催されました。私はポスター発表者としてこの会に参加しており、ここでは会全体の印象や自分の発表を手短に報告したいと思います。この会の目的は、脳科学の進展に伴い発生すると考えられる問題を、倫理的、社会的、政治的観点から考察し議論を深めていくことです。この会の参加者は世界各国から集まっており、その専門分野は倫理や哲学にとどまらず、生物学や医学、法学にまで及んでいました。その多岐にわたる分野からの参加者を見る限りでも、この会に対する関心の高さが窺いしれた次第です。
私は今回のポスター発表で、神経科学者A. R.ダマシオによって提唱されたソマティック・マーカー仮説(Somatic marker hypothesis)が、その実験的証拠として提示されている「アイオワ・ギャンブル課題」によってどの程度確証されるのかを検討しました。ダマシオは、前頭前野腹内側部(VMPFC)という脳の特定の部位を損傷した患者にとりわけ注目しています。VMPFCは情動を生じさせるために決定的に重要な部位です。VMPFCを損傷した患者は、知能を測る様々な心理テストにおいては健常者と変わらない成績をおさめることができるにもかかわらず、実際の行動場面では適切な意思決定や行動選択ができません。ダマシオはこれらの事実から、情動が意思決定において重要な役割を果たすと結論付けています。これがソマティック・マーカー仮説の基本テーゼです。ダマシオとその同僚たちは、この仮説を実験的に検証するために、「アイオワ・ギャンブル課題」を考案しています。
私はソマティック・マーカー仮説の実験的証拠であるこの課題に関するダマシオの解釈を巡って、今回のポスター発表で考察を加えました。私の結論は、この仮説のテーゼを支持するためには、単なる思弁的な考察だけではなく、認知科学や神経科学などによる更なる経験的な探究が必要であるということです。私のポスター発表に対しては、用いているデータが古すぎるなどの手厳しい意見もありましたが、ソマティック・マーカー仮説そのものに興味を持っている方が多く、たくさんの貴重なご意見を頂くことができました。また、この仮説に関しては、私自身もまだまだ勉強すべき点が多く、ここで得られた示唆は今後の研究に大いに役立て行きたいと強く思っている次第です。
⇒ ポスターをダウンロード [PDF 801KB]
(以上、西堤優)
小口峰樹 "Neuroethical Considerations of the Concept of Invasiveness"
私は“Neuroethical Considerations of the Concept of Invasiveness”(侵襲性概念の脳神経倫理学的検討)と題して口頭発表を行った。本発表は昨年刊行されたUTCPブックレット『エンハンスメント・社会・人間性』に寄稿した同名の論文に基づくものである。
認知エンハンスメント(脳に対して直接介入することで認知的な能力を増強すること)の議論において、ある技術が侵襲的なものであるか否かは倫理的な基準を与えるものとしてしばしば扱われている。すなわち、ある技術は、それが侵襲的なものであるならば倫理的な考慮の対象となり、非侵襲的なものであるならば倫理的な考慮の埒外に位置づけられる、という基準である。私はこうした侵襲性基準の背後にある直観の内実を「健康リスクの問題」「自然性侵害の問題」「人格侵害の問題」の三つへと分析した上で、それぞれの問題と侵襲性概念との関係を批判的に検討した。
第一に、健康リスクの問題に関しては、fMRI(核磁気共鳴画像法)やTMS(経頭蓋磁気刺激)などの脳科学関連技術を検討した上で次のように論じた。すなわち、現在の技術状況下では、侵襲性の大小が健康リスクの大小と密接に関連しているというのはおおむね正しい。しかし、非侵襲的な技術もその使用状況によっては健康リスクを伴いうるがゆえに、われわれはある技術の倫理的な評価に際しては、その侵襲性の有無に関わらず慎重な個別的検討を行うべきである。特に、認知エンハンスメントの議論においては、ある技術が非侵襲的であることがその技術を安易に受け入れるという態度に結びつきやすいがゆえに一層の警戒が必要である。
第二に、自然性侵害の問題に関しては次のように論じた。侵襲的な技術(ここでは、たとえば身体をサイボーグ化する技術)はしばしば「恐怖」や「嫌悪」といった感情を伴うが、こうした感情は「不自然さ」に関する直観を反映するものであると解釈されがちである。こうした解釈によれば、侵襲的な技術は「自然の賜物」であるわれわれの身体やその機能を侵犯するものであるがゆえに、治療を越えたその適用は制限されるべきである。これに対して私は、歴史上の諸事例を鑑みるならば、自然さ/不自然さに関する直観は倫理的な基準として信頼性を欠いていると言わざるをえないと論じた。また、自然性の問題を強調する論者は、侵襲的なエンハンスメントの許容は(美容整形の場合に顕著なように)「完璧な身体」といった歪曲した規範に対する強制性を生み出し、われわれの価値の多様性を阻害する危険性をもつと論じる。こうした批判に対しては、エンハンスメントの許容が強制性を生み出すことで価値の多様性を阻害するという予想は可能性のひとつに過ぎず、逆に、追求可能な選択肢を付け加えることで価値の多様性を促進するという予想も同様に可能であると論じた。どちらを生じうるかは当該の技術に対する倫理的な先行判断とは独立になされるべきであり、その場合、予想の確からしさを客観的に証拠立てることには相当な困難が伴うであろう。以上より、自然性に関する直観は倫理的に信頼すべき独立の基準として扱われるべきではないと結論できる。
最後に、人格侵害の問題に対しては以下のような議論を行った。脳はしばしば特権的な心の座として扱われるが、このことは、脳に対する侵襲的な認知的エンハンスメントに倫理的問題として特別な地位を与えると多くの論者によって考えられている。しかし、クラークとチャルマーズによって提唱された「拡張された心」仮説によれば、心は脳のみをその座とするわけではなく、ある心的な機能を担うのに不可欠な物質的な媒体であれば何であれ、心の座としての地位を認められるのである。こうした見方によれば、脳の外部にありながら、心的機能を実現する上で不可欠な役割を担っている道具(たとえば、アルツハイマー病の患者さんが長期記憶の代わりに使用するメモ帳)に対する介入は、他の条件が同じならば、脳の内部に対する介入と同等の倫理的な重みを与えられるべきである。したがって、人格侵害という問題にとって重要なのは、当該の技術が侵襲的であるか否かではなく、その技術が心的機能を実現しているシステム(それは脳を越えて環境へと拡張しうる)へとどのような影響を与えるかである。
私は以上より、上記三つのいずれの問題に関しても、侵襲性基準は倫理的基準としては信頼性や関連性を欠いていると結論づけるべきであると述べ、発表を閉じた。
発表後、会場からはいくつかの質問が提起された。「侵襲性を、むしろ、ある技術が与えるリスクの観点から定義するという可能性もあるのではないか」という質問に対しては、侵襲性は医学的な実践のなかで技術的に定義されており、その基準を変更する必要性は見当たらないと応答した。また、「われわれは自らの身体に対して『親密さ』を感じるが、これについてはどのように考えるか」という質問に対しては、親密さという感情は自然性侵害の問題のなかに回収可能であり、われわれが感じる親密さは背景にある技術的状況に依存していると答えた。その他、論点の確認を行う質問などが挙がった。
終了後、論文のなかで引用したある研究者の知り合いの方から、その研究者に私の投稿用の草稿を回覧しようかという申し出をいただくなど、今回の会議では幾つかの貴重なコネクションも作ることができた。全体的な印象として、Brain Mattersには小規模な会議ならではの親密さがあり、国際的な研究者の人脈を形成・促進するためには非常に効果的に機能しうる場であると感じた。今後もこの分野での研鑽を積み、機会を設けて再度参加できればと考えている。
(以上、小口峰樹)