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【UTCP Juventus】中尾麻伊香

2009.09.07 中尾麻伊香, UTCP Juventus

2009年のUTCP Juventus第15回はRA研究員の中尾麻伊香が担当します。

これまでの研究の概要については、昨年のUTCP Juventusで紹介させていただきました。今回は、現在の関心を中心に報告いたします。

私はこれまで、日本における原爆投下以前の原爆イメージを検討してきました。それは、物理学者がどのように原爆をとらえてきたのか、どのように関連知識が知られていったのか、メディアではどのような言説が流通していたのか、フィクションの中でどのように想像されたのか、といったようなことです。これまで検討してきた原爆イメージが何故うみだされたのかを探るため、現在は以下のテーマのもと研究を進めています。

*戦争と科学者の結びつき

原爆の可能性は、19世紀末から20世紀初頭にかけて原子の内部構造の科学的探究が進み、1938年末に原子核が分割可能であるということが証明され、そして1945年に現実のものとなるまでの長いあいだ、さまざまに語られてきました。それはちょうど日本が軍国主義へと傾いていく時期と重なります。

この間、戦争と科学は密接な関係を築いていきました。1940年7月にスタートした第二次近衛内閣は、「科学の画期的振興並びに生産の合理化」を政策の重要な課題として打ち出しましたが、これは戦争と科学の結びつきの一つの象徴的な例といえます。1941年の終わりから、こうした科学技術振興の動きと相まって、科学雑誌が続々と創刊されました。

そこで検討したいのは、この間に科学者たちが一体どのように自身の研究分野について社会に語っていたのかということです。戦時中の軍事研究をめぐっては、しばしば「科学者は戦争に巻き込まれた」「若い研究者の徴兵を免れるために軍事研究を引き受けた」という説明がなされます。こうした説明には一見すると妥当性がありますが、科学者たちはただ受動的だっただけではないと考えられます。科学雑誌をはじめとする出版物をみていくと、徐々に科学者の発言が増えていきます。これまで戦時科学動員体制やその研究の内実に関する研究が行われてきていますが、当時の科学研究がどのように伝えられてきたかという、大衆メディアを含めた検討はなされてきませんでした。現在は主に仁科芳雄ら物理学者の発言から、国防のために「科学者の知恵」が必要とされていくなか、彼らが科学のプレゼンテーションをどのように意識していったのかを検討しています。

また、この間ひとびとの「科学」の捉え方は様々でした(それは当然ともいえますが)。「科学」が重視されていくなか、それが意味で用いられたのか、頻繁に語られた「科学精神」がどのようにナショナリズムと結びついたのか、科学者や知識人の「科学観」を考察することも重要な課題と考えています。
 
*科学や兵器の表象

SF作家のH.G.ウェルズは1914年に発表した小説”The World Set Free”で原子爆弾の出現を予言しました。このことは、しばしば想像力(imagination)が科学技術に先行した例として引きあいにだされます。1930年代後半以降には、SF雑誌”Astounding Science Fiction”などに原爆や原子力を扱った小説がたびたび登場しています。こうしたSF作品の中で、近い将来起こり得る問題として原子力や原爆が描写されていました。

日本においても、原爆の出現以前に原爆を描いた小説がいくつか発表されています。たとえばSF作家の海野十三は、『無線通信』に発表した短編小説「遺言状放送」で、「原子変成」という言葉を用い、宇宙が大爆発を起こすというストーリーを描いています。さらに、1940年には原子力潜水艦を、1944年には原子爆弾を小説の中で描いています。海野の作品のアイデアは最新の科学研究の動向から得たもので、そうした科学知識を社会背景にあわせて巧みに作品に取り入れていました。

大衆文化における科学技術の描写は、その時代の科学技術観をある程度反映していると考えられます。戦時中には、原爆以外にも、殺人光線など、画期的な兵器がたくさん想像されました。そうした兵器はどのように描写されてきたのか、また作品の書かれた背後にどのような力学が働いていたのかということを検討しています。

今後の課題は、上記のテーマを深めること、それらをあわせて考察するということで、その手法を模索しているところです。何年後に完成するかわからない博士論文では、明治期の窮理学ブームから原爆の登場に至るまで、物理学を中心に「科学の大衆化」という観点からまとめることを考えています。そのなかで、科学者の役割の変遷、有用な科学言説の系譜、科学技術のポピュラーイメージについて考察したいと考えています。

*その他

現在、明治期から昭和期にかけての売薬広告における脳のイメージを検討しています。この内容を10月末にワシントンD.C.で開催される4S(Society for Social Studies of Science)で発表し、来年刊行予定のUTCPブックレットの一論文としてまとめる予定です。このほか、科学者の政治的活動と科学的活動の関係、博物館における科学と伝統文化の融合、というテーマについても検討をしています。

上記のように私は、科学と文化、現実と虚構、の並行関係、その間でおこることに関心を持っています。科学の言説が社会でどのように流通し、その過程でどのようなねじれが生じるのか、それを検討することで、科学に付与されるイメージとその意味、わたしたちの願望について考えたいと思います。少し違うことかもしれませんが、生まれつき100パーセント科学者という人はいないように、一人の人間のなかに、さまざまな部分があり、ある瞬間にそれがつながったり離れていったりします。多くのひとは自らの抱えるいくつもの自我と葛藤をしています。自分の目にしている世界は一部分であるということ、ふと異なる世界とつながる可能性を考えていきたいと思います。

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