【報告】「アフターダークの5つのスポット──村上春樹を読む」
今年度最初のUTCPのイベントは、4月10日の夕方から開かれたワークサロン「アフターダークの5つのスポット──村上春樹を読む」で幕を開けた。このワークサロンは、小林康夫氏(UTCP)が、村上春樹論を多数発表されているフランス文学者の鈴村和成氏(横浜市立大学教授)を迎え、現時点における村上春樹の最新作である『アフターダーク』(2006年)について「時代と無意識」という角度から対話を交わすという形で行われた。
まず、鈴村氏が春樹との出会いから語り出された。大学紛争の最中、処女作であるランボー論を25歳で発表した後、ポスト構造主義の哲学に傾倒していった鈴村氏は、氏曰く「沈黙の10年」を挟み、85年に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と「半ば暴力的」な形で出会ったという。そして、その1年後に『未だ/既に 村上春樹と「ハードボイルド・ワンダーランド」』(洋泉社 1986)を出版、その後多数の著作を発表していくことになる。鈴村氏は、自身の初期村上春樹論でとらえた核心〈未だ/既に〉を、この『アフターダーク』にも共鳴させながら、これもまた〈暗闇は既に終わった/しかし未だ来ていない〉時間の物語なのだと語る。さらに氏は、作品の細部を読み解く中で、この暗闇は究極的には戦争を指していると分析し、戦後の今/戦争の予兆のなかにいる我々は、まさに〈アフターダーク〉の時代を生きているということに注意を促す。この戦争というテーマが春樹の作品に影を落とし始めたのは、94年から95年、つまり阪神大震災と地下鉄サリン事件と期を同じくして書かれた『ねじまき鳥クロニクル』あたりからであるという。
ここで小林氏にバトンが渡される。小林氏の語りも、春樹の作品との出会いから始められた。しかし小林氏のそれは、春樹を正面から語ることへの抵抗について語るという形でなされた。小林氏にとって、大江健三郎との出会いは、小説の終りを悟らされた決定的出来事であり、村上春樹はその後にやってきた作家であった。したがって、春樹は小説の終りという時代意識を共有する点では半ば共犯関係にあるが、それ故に正面から語るには気恥ずかしさや戸惑いが伴うのではないかと自己分析する。
小林氏はこのように述べた上で、鈴村氏の解釈に対し、〈世界の終わり・暗闇=戦争〉であると謎解きすることによって回収されてしまう前に、何か言うべきことがあるのではないかと応じる。『アフターダーク』に登場する暴力は、戦争のような大きな暴力ではないからである。むしろここに登場するのは、誰がどのように暴力を振るっているかもわからないような、見えない水圧のかかった制御不可能の都市的存在としての私たちである。そしてその私たちは、暗闇の暴力の中においてもなお小さな希望・出会い・コミュニケーションが始まる可能性を担保しようとしている。しかし、それはあまりに巧妙でお伽話めいていて、小説ではないという感覚が過ってしまう。あるいは、村上春樹は小説の終りを知った上で、もうひとつの小説を発明したのかもしれない。恰もバッハのインベンションにおけるフーガの〈追いかけ/逃げる〉旋律が繰り返される音楽のように。それを小林氏は、『アフターダーク』の世界では、「endはそこら中に散種している」と表現した。この新しい小説のあり方は、現代社会のリアリティが既にファンタジーそのものであるのなら、肯定せざるを得ないだろう。しかし小林氏は、これについては個人的には否と言いたいと述べたところで、質疑の時間に入った。
ここでも盛んに議論が交わされたが、主な争点は、女性読者から見た村上春樹といったジェンダー論的方面からの批判、及び春樹の小説にしばしば登場する「きちんと~する」「~べきではなかった」といった定言命法的なもの言いについてであった。特に後者については、すべてが村上春樹的物語の中に綺麗に回収されてしまうのではない可能性を担保する重要な視点だろう。この巧妙な作品が単なる技術に終わらないのは、定言命法の中に何らかのモラルがあるともいえるからである。これを受けて、最後に小林氏は、被害者と加害者の両方に、加藤典洋が言うところのマキシムがあると認めることを提示する。そして、そのマクシムは何かといえば、さしあたり、絶望という名の「健康」、あるいは「健康」という名の絶望としかいえないものなのではないか、と結んだ。
既に、開始からほぼ3時間が過ぎようとしていた。この会も、いくつかの痕跡と予兆を孕みながら、一旦終わりを迎えることになる。
最後に、少し時間を遡って、ごく個人的な話をすることを許してもらえるだろうか。その日の正午過ぎ、学食の二階は、シラバスを見ながらカリキュラムを相談しあう新入生たちの期待と不安の入り混じった声で溢れかえっていた。中華コンボを食べながら、夕方に予定されているイベントのテクストとなる村上春樹の『アフターダーク』の終盤に差し掛かっていた私は、ふと壁際の席の薄暗がりと強いコントラストをなす大きな窓の外に目をやった。外は暴力的なまでのまっさらな光が、わずかな風に時折そよぐ新緑を煌めかせ、新年度の始まりの季節であることを否応なく告げている。にもかかわらず、その更新されたばかりの世界には、白い花びらが静かに散り続けていた。
私たちは闇からやってくる大きな津波にいつか必ず飲まれるのだ。美しい光景を見せながら、抗えない闇を予告するかのような世界の粋な演出に軽い眩暈を覚えながら、小説の末尾を読み終えた。そして夕方からイベントに参加し、夜は飲み会で楽しく心地よい時間を過ごした。それは、とても幸福な一日であった。
(文責・宇野瑞木)