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時の彩り(つれづれ、草) 061

2009.03.05 小林康夫

☆ 春の光Ⅰ(ストイキツァさんと大貫先生)

2月は煉獄の季節で年度末のさまざまな業務に忙殺されているあいだブログを書かなかったことにいま、ようやく気づいた、という次第。週末をはさんでだが、4日連続のイベントも終わって、わたしとしても一息ついて、見上げると空は春の光で満ちている。

27日のストイキツァ先生の講演はカラヴァッジョをめぐってだったが、こちらの体調は最悪で、司会をしながらどんどん発熱してくるのがわかる。同時に、左目の光視症の症状もひどくなって、いや、また網膜剥離でも起こすのではと不安感もつのって、質疑応答のフランス語の通訳の出来もわれながらあまり上出来とはいかず、みなさんには失礼をいたしました。

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でも、もちろん、講演のあとはごいっしょに会食に。そこでは、ほぼわたしと同世代のストイキツァさんに、祖国ルーマニアから出発して、フランクフルトで美術史を研究しはじめ、パリの大学で博士号をとったそのダイナミックな知的経歴をうかがえたのが感動的だったかな。日本のわれわれにはなかなか想像もできないような歴史的環境のなかを、いくつもの言語を駆使しながら、縫うようにして学問を遂行しているそのパッション。若い人たちには、そのような存在のあり方を知って、そこからなにかを学んでほしいもの。


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そのカラヴァッジョの「パウロの回心」の絵を3日の大貫先生の最終講義のポスターに使った。大貫先生の最終講義のお相手をするというのもなかなか不思議な、とても駒場的な御縁とわたしとしては感謝深く。もとより聖書学に通じているわけではないわたしだが、先生の『イエスの時』を中心にした綿密なお話のあとで、とりあえず壇上にのぼったときは、実は、なにをどう対話するのか、まったくアイデアはなかった。

しかし、それがわたし自身、先生の話を(わたし流に)整理しながらまとめているうちに、「愛」という問題系に届いたのは、わたしとしては、おもしろかった。現場、ということはいつも絶体絶命のピンチということだが、準備のない、その「無」から、どんな「有」が出てくるのか、というのがわたしにとっての知のスリル。それが「愛」だったことにわたし自身もちょっとびっくり。そう問われた大貫先生が照れてらしたのが印象的でした。


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