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【報告】他者の問いにふれること――高千穂・五ヶ瀬出張報告(前半)

2022.11.08 宮田晃碩

 2022年9月24日から27日にかけて、宮崎県高千穂町、五ヶ瀬町を訪問した。メンバーは生産技術研究所の松山桃世先生、UTCPの梶谷真司先生、ライラ・カセムさん、堀越耀介さん、宮田晃碩(本報告執筆者)、IHS(多文化共生統合人間学プログラム)のプログラム生である倉田慧一さん、山田慎太郎さん、呉映月さんの計8名。IHSの研修を兼ねる形である。

 全体の行程としては、9月24日(土)に阿蘇くまもと空港を経由して高千穂町へ移動、25日(日)は天岩戸神社を見学したのち高千穂高校でワークショップ、26日(月)は五ヶ瀬町に移動して、27日(火)にかけて五ヶ瀬中等教育学校で授業の一環として哲学対話、書き方講座などにチューターとして関わったのち、高千穂町三ケ所の「荒踊の館」および三ケ所神社を見学した。ちなみに報告者の宮田は20日から熊本県内を訪問しており、24日に阿蘇くまもと空港で、東京からの一団と合流した。
 以下では、各校で参加した活動とフィールドトリップの概要を紹介したのち、自分の考えたことを記してまとめとしたい。

1. 高千穂高校でのワークショップ

 高千穂高校では、松山先生の企画による自動運転についてのワークショップを行った。高校内のT-LABOというスペースを利用して行ったが、高千穂高校の生徒が対象というわけではなく、参加者も地域にお住まいの方から、五ヶ瀬中等教育学校の生徒にまでわたった。
 松山先生は科学技術コミュニケーションを専門にされており、特に「専門家が市民に伝える」ばかりでなく「市民が専門家に伝え、専門家がそれを受け取る」というプロセスを重視して活動・研究をされている。実際に科学技術を利用するのは市民であって、そのニーズや疑問を理解しなければ、そもそも何のための科学技術か分からない。それでも現状では、専門家が市民に対して情報提供をして無知・無理解を埋めるという「欠如モデル」に基づいた科学技術コミュニケーションが優勢であり、それを何とかして変えたいというのが松山さんの思いなのだという。
 今回のワークショップでも、自動運転についての基本的な知識を松山さんが説明するばかりでなく、むしろその前後に哲学対話の形式で参加者が語り合う時間が大切にされた。一般に哲学対話では、一つの結論を導き出すよりも各人の体験や疑問を重視し、かつ互いの話を聞くことを重視する。この方法が、松山さんの目指す科学技術コミュニケーションの形と合致するのである。特に自動運転というテーマであれば、利用するのが都市部であるか地方であるかによって活用の可能性や限界、利用者のニーズはまったく異なってくるはずである。そうした理由から今回は、高千穂町やその周辺において「移動」がどのようなものであるか、自動運転にどのようなニーズや可能性があるかということを探ろうとしてワークショップが企画されたのだった。
 実際、ワークショップのなかでは興味深い話がいくつも聞かれた。都心やその周辺と比べたとき、公共交通機関が少ないため自家用車が必須になるということはすぐに想像されよう。だがそればかりではない。例えば友達の家に遊びに行くとき、親の運転する自動車に乗せてもらわねばならない。そこにあるためらいや、車中で過ごされる時間の話。また農作業においてどのように自動車を使っているか、どんな作業が自動化されると助かるかといった話。そうしたことが、いわば生活の感情とともに語られたのだった。これはなかなか、専門家の説明を優先する「コミュニケーション」からは出てこないものだろう。

2. 五ヶ瀬中等教育学校でのワークショップ

 五ヶ瀬中等教育学校では、26日に3, 4年生合同の授業で「問いのワーク」と哲学対話を行い、27日に5年生の授業で文章の書き方についてのワークを行った。いずれも授業時間を使ったものだが、ワークショップと呼ぶことにする。ちなみに五ヶ瀬中等教育学校は中高一貫校で、1年生と言えば中学1年生を指し、4年生というのが高校1年生にあたる。
 26日のワークショップではまず前半で6人1組のグループを作り、与えられた文章に対して問いを出してもらった。文章は五ヶ瀬の先生が事前に選んだ、新聞掲載のエッセイである。このワークの主旨は一つには、与えられた文章を単に飲み込むべきものとして受け取るのではなく、むしろ自分自身の考えを持って、場合によっては批判的な視点で受け取ってほしいという点にある。そのためにまず、梶谷先生から「問い」とはどういうもので、どういう種類のものがあるかというレクチャーがあり、それを受けてグループワークに取り組んでもらった。初め、生徒たちは一文一文を丁寧に読みそれについて理解するための問いを考えているようであったが、各人の問いを共有してそこからさらに問いを広げる段になって、より広い観点から文章の内容を問い質すような、それ自体考えごたえのある問いが出てくるようになった。グループによってばらつきはあるが、段々楽しそうに語り合うようにも見えた。
 ワークショップの後半では、約80人の生徒を4つの輪に分けて哲学対話を行った。前半のワークでは最終的に、問いを各グループで一つ選んで提出してもらっている。そうして全体で集まった問いから、対話で取り上げたい問いを各円陣で一つ選び、それについて対話したのである。例えば私がファシリテーターとして入ったところでは、「勉強すると人にやさしくなるのか」という問いを扱った。やや意外だったのは、初めにひとりずつコメントしてもらったときにはそれぞれはっきりした考えを話していたものの、「じゃあここからは話したいときに手を挙げて、ボールを受け取って話してください」と言って対話のフェーズに入ると、発言が控え目になることだった。これはどのグループでも同じようだった。普段から哲学対話的な手法を取り入れて授業をしていると聞いていたが、ひょっとすると輪が大きすぎるなどいつもと勝手の違うことがあったのかもしれない。あるいは、問いを考える段階では傍目にも盛り上がっていたので、そこから連続的に対話が行なえれば対話も活発になったのかもしれない。しかしいずれにせよ、発言に対しては皆真剣に耳を傾けていたし、しばしばはっとするような発言もあり、与えられた文章から自分たちの思考へというワークショップの主旨は、生徒たち自身の力で実現されていたように思う。
 27日には5年生を対象に、文章の書き方講座を行った。ここでもまず梶谷先生からのレクチャーがあり、それを受けてグループで文章の題材を出しあうワークを行った。レクチャーおよびワークの主旨は「書く作法ではなく、書く内容を見つけ、組み立てる方法を学ぶ」という点にある。その基本的なアドバイスは、いきなり完成品を書くのではなく、手を動かして文章の構成を作るということである。およそ意見とか主張というものは、必ずなんらかの問いに対する答えになっているはずである。どんな問いに答えているのか明らかでないなら、それは何を言っているのか自分でも分かっていないのである。従って意見や主張のある文章を書くためには、まず答えるべき問いを明らかにせねばならない。問いや答えはもちろん、細分化されたり、より大きな問い・答えに包含されたりする。文章を書く前にすべき作業とは、つまるところ、そうした問い・答えの構造を整理しておくことである。今回のワークでも最終的な目標はそこに設定された。とはいえこれをいきなり一人でやるのは難しい。そこで、グループ内で問いを出し合い、互いに質問するというワークを行ったのである。これはなかなか盛り上がり、手元にはいつの間にか文章の素材ができている。
 私が入ったグループでは、「音楽」がテーマに選ばれた。ほかのグループでは「旅」、「将来」などが選ばれたようである。これに対して例えば、「映画や舞台で音楽が人を感動させるのはなぜ?」、「時代によって好まれる音楽が変わるのはなぜ?」、「そもそも音楽の定義とは?」といった問いが出された。多くの問いから、自分が面白いと思うものを選んで配列したり、さらに考えたことを加えたりして、自分の文章となるべきものの骨子を作る。それを互いに発表して、それに対してさらに質問を投げかけるのだが、これがまた面白い。発表に対する「音楽と雑音の違いは?」という問いに、「音楽は覚えられるけれども、雑音は覚えられない」と答えた人もいた。この日はひとまず、そうして多くの問いを受けとるところまで行い、それをあとで文章にまとめることになっていた。そして実際、文章にしたものを後日お見せいただいた。一人では文章にしなかったであろう具体的な考察が展開されていたりして、読みごたえがある。

後半につづく)

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