破急風光帖

 

★  日日行行(418)

2021.01.24 Permalink

* 昨日、国際郵便が届いて、封を開けたら、なかから大判の本、ガリマール社刊行のカフカの「変身」でした。でも、たくさんの絵が入っています。その絵が、わが友人ミケル・バルセロ。扉をあけたら、「Yasuo のために 友情をこめて Miquel Barcelo」とサイン入り。かれの大規模の展覧会がこの春、大阪の国立国際美術館(ほか全国3館だったか)で開催されます。そのカタログに原稿を書いて、その最終校正がちょうど届いたところでした。なんたる奇遇!嬉しいなあ!こういう時代だからこそ、よけいに、海外の遠い友からのメッセージが希望の燈台!やっぱり人との出会いが、人生のすべてです。

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★  日日行行(417)

2021.01.21 Permalink

* ありました!昨年末大晦日のブログ(411)で、紛失したと述べた、わたしの修論。さすが、東京大学、比較文学比較文化研究室はちゃんと保存してくださっていて、それを、高山花子さんが複写して送ってくれました。今日、届きました。嬉しいです。ひとたび失われ、そして見いだされた「時」、わたしの出発点、「存在の冒険」へのマニフェストではありました。

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★  日日行行(416)

2021.01.19 Permalink

* 昨日は夜に、東大・生産研の遠隔シンポジウム「文化×工学」に招かれて、人文系を代表して中島隆博さんと稲賀繁美さんと3名で、工学への「提言」を語りました。わたしは、かなり過激なアジテーションの調子で、工学のリベラルアーツの教科書、それは結局は、「メタ工学」にならざるをえないのですが、それを駒場Ⅰキャンパス駒場Ⅱキャンパスと二つのキャンパスをジョイントさせてつくったらどうか、というきわめて実用的な!「提言」をしました。

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★  日日行行(415)

2021.01.16 Permalink

* だから、わたしにとっては、2021年は、「詩」という言葉がひとつの鍵となる年なのですが、そうしたらブルガリアのボヤン・マンチェフさんから昨日メールが来て、そこには「はじめに会ったときから、あなたは哲学者だけど、詩人だなあ、と思っていました」という言葉が送られてきて嬉しかったですね。

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★  日日行行(414)

2021.01.13 Permalink

* 「ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使が/はるかなる高見からそれを聞こうぞ?」というのが「ドゥイノの悲歌」の冒頭(手塚富雄訳)。でも、前回、わたしはそれを主客転倒、天使が叫んでいるようにしました。それが、わたしのポジションかな。

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★  日日行行(413)

2021.01.07 Permalink

* 新年になって1週間。世界の混乱は一層激化しています。日本の緊急事態宣言の再発出もそうですが、香港・中国の事態、さらにはアメリカ合衆国の事態、等々、世界じゅうでますます混乱が深まり、絶望が蔓延する事態、どうなっていくのだろう、と暗い気持ちになります。

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★  日日行行(412)

2021.01.01 Permalink

 頌春。
 新年おめでとうございます。
 
 まるで切り絵のように鮮やかな彼方の夕焼けの景色をながめながら、なぜかカザルスでバッハのチェロ・ソナタを聴いています。これもなぜか、去年刊行した自分の本を拾い読みしていて、『日常非常,迷宮の時代1970-1995』の第4幕の末尾のコーダに書かれていた言葉に、そう、これだよね、と呟いていました。そこにわたしが書きつけていた文章は、以下のとおりーーー「それは、まさに自己こそが、まずなによりも他者であり、この他者にたいする、もはやモラルとは呼べないようなアモラルな関係、ロジック的ではなく、レトリック的ですらあるような関係こそが、じつはあらゆるモラルに先立つものであるということになるかもしれない。Immmoral ではなく、Amoral。それは、当然ながらカオス的である。なぜならそこには未知のものがあるからだ。自己の「内廷」において、自己という未知なものにたして「態度」をとる。そこには、きっと非常がある。その非常を書く。「アルバム・アモラール/日常非常」ーーそのどこかに、ひっそりと「アモール(愛)」Amorがうずくまっているのかもしれない」(pp.214-215)
 この幕では、吉本ばななから多和田葉子まで4人の女性作家の作品について書いていたのですが、このコーダの部分は、自分自身に言いきかせる「レッスン」でありました。そのことを確認しつつ年頭にあたって、ここに書きうつしておくことにします。

みなさまのひとりひとりに、あなただけの未知なるセレブレーションが訪れる年となりますように!
 


★  日日行行(411)

2020.12.31 Permalink

* (で続きです)
 今年8月末に中島さんが声をかけてくださって対談をしたのですが、その主題は、わたしがどのように幼年時代から現在に至ったかというその道のりでした。そんなこと訊かれるとは思っていなかったので、びっくりでした。その記録は、近く東大の藝文書院から小冊子で刊行されると思いますが、
そのとき、わたし自身は、自分の修士論文のタイトルであった「存在の冒険」という言葉が結局、わたしの人生の格律であったと納得したのでした。
 24歳のときに書いたボードレールの散文詩についての修士論文。いまから思えば、よくもこんなタイトルをつけたものだ、と思うのですが、ボードレールがどうかということではなく、わたし自身にとってその言葉にある種の「約束」があったのだ、となんだか納得しました。
 (この修論、1年前の青学の研究室には確実にあったのですが、その本を整理するときに、まちがって処分してしまったようで、別冊の註とレジュメは残っていますが、本体はどうしても見つかりません。まあ、それはいいのですが。)
 その言葉が40年以上もたっていま回帰してくるという感じですね。つまり、存在(意識でも自我でもなく)とは冒険である、ということをあらためて生きようとしなければならないのではないか、と思うということですね。
 それがいったいなにを意味するか、ということは、ある意味で秘密ですね。つまり、それは、かならずしも、この社会のなかで一般的に認められる「功績」(メリット)となりうるものであるとは限らない。いや、むしろけっしてそういうものではないということが重要です。別の言葉で言えば、他者からの、社会からの「承認」をもとめる方向ではなく、それを断念する、いや、それに無関心になるところにおいてしか、見えてこないものにおいて「冒険」するということかな。
 ともかく、このまま少しずつ、これまでの自分を保ったままで衰えていく方向に行きたくないということを、新しい年がはじまるこの瞬間に、(自分に対して)宣言しておこう、というわけでした。
(でも、いったいなにをするか、いくつか予定はあるけれど、ある意味では、まったくの白紙ですね。そこにどんな絵を描くのか・・・あと30分で新年です。)

 みなさん、よいお年を。
 


★  日日行行(410)

2020.12.31 Permalink

* 大雪の地方もあるようですが、関東は真冬らしい明るい青空。遠くに見える富士山もようやく白く雪が光っています。大晦日。ようやく激動の2020年という年の最終日。しかし世界の混乱は一向におさまる気配はなく、むしろ災厄のカオスはよりいっそうその実態をあらわにしてくることはまちがいがない。なにかクリシェ(紋切り型)の願いや祈りを書きつけることすらむなしい気持ちになります。

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★  日日行行(409)

2020.12.27 Permalink

* 昨日、NHK「クール・ジャパン」の収録があって、これで今年1年の「仕事」をなんとかやり遂げられました。ほっとしています。テーマは「教育」でした。ちょっと力が入りましたが、どのように編集されるかな?(放送は1月31日だったかな)。ついでに言えば新年1月3日の夜に「牛(丑)」をテーマの同番組が放送される予定です。

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