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梶谷真司 邂逅の記録129 地域に根差した哲学対話――香川県丸亀市を訪れて

2024.05.06 梶谷真司

 丸亀は哲学対話が熱い。しばらく前からそう思っていた。それで2024年の3月1日から3日まで、実際に行ってみた。

 島田修作さんという香川県立丸亀高校の倫理の先生が、コロナ禍のなか、2020年7月にFacebookのメッセンジャーで連絡をくださった。拙著『考えるとはどういうことか』を読んで、哲学対話に興味をもったとのことだった。私が以前関わった都立の教育困難校、大山高校を取り上げた日経の記事「キセキの高校」も読んで、自分で大山にも行って校長先生と話をしていた。その後、丸亀高校で放課後に、みずから哲学対話を定期的に行い、Facebookその他で報告をしていたので、私もそのつどそれを読んで、簡単な感想を送っていた。
 そこには、毎回毎回、島田さんがドキドキしながら祈るようにその日その時間を待ち、それに応えるようにして集まる生徒たちとの充実した対話の様子が記されていた。そして毎回、何人来るか不安を覚えながらも、必ずそれなりの人数が来ているようだった。しかも私が驚くのは、学校の先生が作る場に、生徒たちが集まり、リピーターも多いこと、また子どもだけではなく、先生を中心に大人たちも参加していたことだ。これは島田さんが学校で、子どもからも大人からも信頼され、慕われている証拠である。報告が上がるたびに、メッセージを送り、やり取りをしていた。だから島田さんとは、すでに何となく知り合いであった。
 もう一人の杉原あやのさんは、Tetsugakuyaというカフェのオーナーである。ホームページを見ると(https://www.tetugakuya.net/)、カフェを経営しつつ、「てつがく屋」という一般社団法人でこども哲学、哲学対話、哲学の読書会、講演会などの活動をしている。HPにあるカフェの写真からは、どことなく澁澤龍彦をイメージさせる不思議なアンティークの空間が思い浮かぶ。杉原さんのテイストなのか、強烈なこだわりがにじみ出ていた。プロフィールには、12歳の時に読んだ『ソフィーの世界』で哲学に出会い、大学では哲学を専攻したという。「てつがく屋」のメンバーは、みんな若く、とても生き生きしている。
 島田さんといい杉原さんといい、とにかく魅力がある。そんな二人が活躍する丸亀に、一度行きたいと思っていた。島田さんに連絡を取ると、とても歓迎してくれて、春休みをのんびり過ごそうとしていた私の思惑はあっさり外れて、いろんな所へ行く盛りだくさんのスケジュールを立ててくれた。
 3月1日の14時に丸亀駅前のホテルで待ち合わせると、「おか泉」という讃岐うどんの名店に連れて行ってくれた。「ひや天おろし」という、てんぷらがどっさりのった冷しうどんを堪能した。そのあと丸亀高校に行って校長先生にご挨拶をして、15時45分から生徒や一般参加者を含め、16人ほどが参加。テーマは「どこからが甘えなのか」だった。
 私は、人を甘やかす、人から甘やかされるという状況を思い描いていたのだが、高校生たちは、自分自身を甘やかすことを念頭に置いていた。勉強でついつい怠けてしまう、やらなきゃいけないのにできない、全力を出し切れない、それは甘えだ、だから頑張らないといけないというようなことを話していた。丸亀高校は、進学校であるせいか、基本的には努力をすること、自分を乗り越えることを良しとしていて、おおむね「甘えは良くない」という立場の子が多かった。しかし参加者の一人に定時制の生徒がいて、その子は「頑張ってもできないこともある、それを「甘え」と言わないでほしい」と言っていた。彼女のような境遇だからこそ言える、とても大事な発言だった。それに実際、教師や大人が子どもに対して「甘えだ」と言う時、子どもに言うことを聞かせるための方便として使っている面もあるだろう。いろんな人が話すことで、おのずと思考が深まる。お手本のような哲学対話であった。

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 2日目は、朝早くから隣町の三豊市の父母ヶ浜(ちちぶがはま)に行って散策した。父母ヶ浜は、ボリビアのウユニ塩湖のような写真が撮れる海岸として有名である。今回は朝だったのでそのような景色ではなかったが、遠浅に開けた美しく凪ぐ浜辺を歩くのは、とても気持ちよかった。そのあと近くにある古木里庫という倉庫をリノベーションした古民家風の空間で行われる「せとうち哲学カフェ」に参加した。
 このカフェは、ONDOという高松市を拠点に人材育成のための研修・教育事業を行う会社の活動の一つである。主催者の石原晴子さんは、進学アドバイザー、キャリアコンサルタントとして活躍するかたわら、高松市や三豊市で哲学カフェを開催し、企業、学校、自治体、地域コミュニティで哲学対話を行っている。この日は地元の人たちを中心に9人ほどが集まり、対話を行った。テーマは「母親とは?」。みんな自分の母親との関係について語り、自身が母親の人はそこからさらに子どもとの関係を語った。そうして自分の人生をあらためて振り返る気づきの多い対話となった。終わったあとは、コーヒーを飲みながら石原さんが季節に合わせて用意してくださったひな人形ののったバウムクーヘンを味わった。
https://ondo.company/2024/03/07/setouchitetsugaku-16/

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 昼食はまた島田さんが別のうどん屋(工場に併設されている店舗)に連れて行ってくれた(そこで偶然奥様と娘さんにお会いした)。こちらは「おか泉」と違って、とても安いが味は勝るとも劣らなかった。
 午後は、丸亀に戻り、総合学習センターで杉原さんが主催する子ども哲学対話に参加した。「へいわとせんそう」という谷川俊太郎の絵本を読んで、「争い、けんか、戦争ってどう違うの?」「同じ人なのに争うのはなぜ?同じ人“だから”争うの?」といった問いで話し合った。比較的おとなしい子も元気な子もいっしょに考えていた。杉原さんは、やさしく声をかけながら、ゆっくりと対話を進めているのが印象的だった。

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 そのあと夕方4時過ぎに、杉原さんがオーナーをしているカフェTetsugakuyaへ移動。そこは昔銀行だった建物だけに、天井が高く風格と落ち着きのある空間だった。内装、調度品はすべてアンティークの物を使ったり、それに合わせて杉原さんが知り合いと協力して、ゆっくり時間をかけて作っていったもので、いまなお未完成である。そこに杉原さんの趣味で集められた不思議な物たちが置かれている。中に入ると、異空間に彷徨いこんだようであった。
 18時から常連のメンバーが集まり、対話が始まった。参加者が出した問いの中から、ゲストの私が選ぶことになり、「人の言葉や行動はどこまでがパフォーマンス?」というテーマになった。その場にいる多くが常連なのでお互い気心が知れているが、けっして内輪な感じではなく、初めて参加する人にも配慮があって、とても真摯で緊張感のある対話であった。

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 最終日の3月3日の10時から12時は、市内の保健福祉センターで私の文章講座を行った。2日間、島田さんや杉原さんをはじめ、多くの方にお世話になったので、お返しとして提案させていただいたところ、島田さんが会場を確保して参加者を募集してくださった。拙著『書くとはどういうことか』の「対話的文章法」を体験していただいた。いつもどおり「どんな人でも必ず文章が書けるようになって、しかも哲学対話みたいなところがあって、めちゃめちゃ楽しい」と前置きして、なぜ文章が書けないか、文章を書くとはどういうことで、どうすれば書けるようになるのか説明した。そのあと実際にグループで文章を書くワークをしてもらった。“予言”どおり、みんなとても楽しそうにしていた。

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 哲学対話が盛んな町はいくつかある。長野のように、馬場智一さんや神戸和佳子さんのような“専門家”がいて、彼らが教えたり場を作って広がっていくところもある。対して丸亀地域は、高校も地域コミュニティも、自発的・自律的に始まり、そこから横のつながりができて、地元に根づいていっているようだ。島田さんは学校、石原さんは地域コミュニティ、杉原さんはカフェというそれぞれに合った場を作り、自分たちのスタイルでやっている。とても頼もしい。
 3月に神戸大学の稲原美苗さん(もとUTCP研究員)の科研のプロジェクト「哲学プラクティスと当事者研究の融合:マイノリティ当事者のための対話と支援の考察」の研究成果報告書に、論文めいたものを寄稿した――「アクティビティではなくスピリットとしての哲学対話 ~宮崎東高校定時制夜間部での実践」である。
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/0100486361/?lang=0
 そこでも書いたように、アクティビティとしていくら哲学対話をやっても、それ以前にそこに哲学対話的なスピリットがないと、単発的なイベントにしかならず、結局は根づかない。宮崎東高校はスピリットのある学校だが、丸亀はスピリットのある町だと実感した。そういう場所はなかなかないし、私自身そのようなところに普段身を置いていない。だからとても心地いい。
 最後の日、島田さんは哲学対話のおかげで人生が変わった、だから退職後のこれからが楽しみだ、とおっしゃった。そして、拙著がそのきっかけになったと、お礼を言ってくださった。確かにきっかけではあったのだろう。しかしそれ以前に、島田さん自身がすでに哲学対話のスピリットをもっておられたのだ。それは杉原さんも、石原さんも同じだ。だから丸亀は熱い。それに触れられたことに感謝したい。

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