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【報告】第16回 UTCP「沖縄」研究会

2016.11.08 崎濱紗奈

2016年9月23日、第16回となるUTCP「沖縄」研究会が開催された。今回は初の試みとして、通常の夕方開催とは異なり、午後3時からの開催とした(夕方ではいらっしゃることが難しい方にもご参加頂けるように、今後は夕方開催・昼間開催を織り交ぜていく方針とした)。

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ご発表は、渡辺美季先生(東京大学大学院総合文化研究科)にお願いした。近世琉球史がご専門の渡辺先生は、政治・外交史を中心にご研究を進めていらっしゃるということだったが、今回は「近世琉球の『地方官』と現地妻帯」というタイトルでご発表頂いた。10名弱というやや少なめの参加人数ではあったものの、和やかな雰囲気で充実した議論を行うことができた。

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「近世琉球」とは、1609年のいわゆる「薩摩侵攻」以降、琉球が中国(明朝・清朝)と日本(薩摩藩および徳川幕府)との間に二重の君臣関係を結んでいた時代のことである。1879年の「琉球処分」によって、「沖縄県」として大日本帝国に編入されるまで、この時代は続いた。このような複雑な状況下において、琉球がどのように自律性を保ち、また、自意識を構築したのか、という問いが浮かんで来る。「現地妻帯」という一見全く異なるテーマもまた、この問いに深く関わっている。

「地方官」の「現地妻帯」とは、文字通り、琉球王府から先島諸島(宮古・八重山諸島)等の地方に派遣された役人(「士」という身分の王府官僚で、日本の「武士」とは異なり文人である)が、派遣先で妻をめとることを指す。当時中国に朝貢していた琉球は、他の朝貢国である朝鮮・ベトナムと同じく、文化・政治・経済などあらゆる方面において大きな影響を受けていた。その一例が、法律である。李氏朝鮮は明律を、ベトナム(黎朝)は唐律を、それぞれ模範として法典を整備していた。琉球もまた、18世紀後半、清朝に則って『琉球科律』を編纂した。しかし、『琉球科律』は独り清律を模範とするのみでなく、日本の刑書や琉球の事情を加味しつつ、独自の体系を整えていった。その代表例が、今回のテーマである「現地妻帯」に関する項目である。

本来清律においては、役人と地方有力者等との癒着を防ぐために、地方官の「現地妻帯」は禁止され、「妻帯同」(妻を赴任地に同行させること)が基本であった。朝鮮・ベトナムにおいても同様である。しかし、『琉球科律』にこうした項目はなく、むしろ「妻帯同」ではなく「現地妻帯」が公認されていたという。渡辺先生によれば、薩摩藩にも同様の風習があり、琉球はこれに習ったのではないか、とのことだった。つまり、『琉球科律』は中国・日本双方の法律の混合型であると言えるだろう。

では、「現地妻帯」は地方にどのような影響を与えたのか。発表の後半部では、「現地妻帯」が在地社会にもたらしたインパクトについて、特に「免税特権」や「士身分の獲得」という観点から分析が行われた。先島諸島の場合、王府から派遣される地方官はわずか五名程度にすぎない。この下に、島役人がつき、農民層から徴税を行う。当時沖縄本島では村単位に税が課されていたのに対して、先島諸島においては個人に税が課されていた(「人頭税」と称される)。「現地妻」になると「免税特権」が付与され、従って「現地妻」はこの過酷な税から逃れるための恰好の手段とされた。加えて、この妻と役人との間に生まれた「現地子」は、「士身分」を獲得することができる。子のみならず、その母も「本島系系祖の母」として、同様に「士身分」に格上げされた。当時先島諸島には「先島士」は存在したものの、沖縄本島の「士」とは異なる姓を名乗らなければならず、また、「家譜」(系図)を持つ事も許可されないなど、両者の間には決定的な身分差が存在していた。このような状況下において、「現地妻帯」は、身分差を乗り越える希有な手段として捉えられていたのではないか、と渡辺先生は分析する。

地方社会に新たな上級階級を形成させた「現地子」は、様々な摩擦も生んだ。例えば「先島士」と「本島士」の二重身分という状況が生じたり、また、そうした「現地子」の存在は本島親族に抵抗感を抱かせたりした。「現地子」の本島への無許可連れ渡りの横行は王府を悩ませ、結果として中央による統制を揺るがせる原因にもなった。それならばなぜ初めから「現地妻帯」を禁止しなかったのか、という疑問も浮かぶ。この疑問は、中国と日本の法体系の差異、ひいては中央による地方の統治方法の差異を考えることにも繋がるだろう。簡単に答えの出る疑問ではないだろうが、報告者個人としては、血縁関係によって中央との遠近を定める序列化の発想が、税徴収の問題と深く関わりながら形成される点に強く関心を持った。

また、渡辺先生は、「現地子」として生まれた女児についても言及された。当時史料において、「女性」が登場する機会はきわめて稀だという。近世琉球における「女性」に関する考察として、以下記載する渡辺先生の諸論文をご参考頂きたい(「境界を越える人々――近世琉薩交流の一側面」(井上徹編『国際交流と政治権力の対応』)汲古書院、2011年)、「近世琉球の女性像――王府と外国人の語る『女性』」(『沖縄県史 各論編』八〔女性史〕、沖縄県教育委員会、2016年))。

報告:崎濱紗奈(東京大学大学院博士課程)

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