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【UTCP Juventus Afterward】平倉圭

2011.09.21 平倉圭, UTCP Juventus Afterward

UTCPを巣立って新天地で活躍されている六名の方にUTCP Juventus特別篇としてブログ執筆をお願いしました。題して、UTCP Juventus Afterwardです。5回目は平倉圭さん(芸術論・知覚論)です。

2005年10月から2010年3月まで、約4年半UTCPに在籍しました。

研究者として生を送るうえでたいへん魅力的な場所でした。私にとってとりわけ解放的に感じられたのは、UTCPを満たしているある種の攻撃性です。専門を超えて、「あなたの研究はくだらない」と言ったり、言われたりする用意がつねにあること。実際には、そんな強い言葉が口にされる機会は多くはありませんでしたが、若い研究者同士のあいだで、互いの研究の内実を問うような鋭い関係が生きられていたことが、私にとって本当に楽しく感じられたことです。

2010年4月から横浜国立大学で勤務するようになり、美学・芸術学関連の講義と、映像制作のスタジオを受け持っています。UTCP在籍時に執筆していた博士論文は、大幅に加筆修正のうえ、2010年12月に『ゴダール的方法』というタイトルでインスクリプトから刊行されました。その後、ゴダールの最近作『ゴダール・ソシアリスム』(2010)を分析するいくつかのレクチャーをおこない、本でおこなった議論の発展型を公表しています。

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(2011年5月21日、京都造形芸大でおこなわれたレクチャー。映画の音響構造をLRに分解して分析。「私」の知覚が分解された後に生まれる「ソシアリスム」について。)


『ゴダール的方法』で私が取り組んだのは、1) 認識の解像度を極端に上げること、2) その結果、認識の可能性が内側から壊れてしまうこと自体を分析の方法論として用いること、という二重の課題でした。現在は、この芸術の認識論の問題をより深化させる方法を模索しているところです。おもに、アメリカの芸術家ロバート・スミッソンの作品群分析、写真批評、ダンス分析の可能性を探ること、の3つが最近の仕事の内容です。

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(ロバート・スミッソンの彫刻、Enantiomorphic Chambers (1965) を分析するために作ってみた模型。顔を近づけると、周辺視の左右端が鏡によってキャンセルされ、頭が虚空に投げ出されるような感覚が生じる。「知覚の墜落」というレクチャーで使用。)


研究を離れて言えば、この半年間、私自身の思考を強く縛っているのは、原発事故以降の生の問題です。直接知覚できない放射能という存在との関係において、空気や水といった媒質との関係において、大地の生産性あるいは流通や消費との関係において、私の利益を超える倫理的な生の筋道をどのようにつけうるのか。日々の小さな選択に自分自身が切り刻まれながら、考えています。

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(先日、海で泳いでいて出会ったギンカクラゲ(銀貨海月)。私とは異なる媒質のなかで生きる生。)

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