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時の彩り(つれづれ、草) 140

2011.09.30 小林康夫

台風
先日の台風で駒場キャンパスでは大きな樹が何本も倒れた。

そのなかにUTCPのオフィスがある101号館西側の辛夷の木があって、それはわたしにとっては、毎年、春の訪れを確認する大事なシグナルの木だったのでかなしい。

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広州トリエンナーレ
その台風が襲った日、風雨のもっとも強い夕方、キャンパスから自宅に戻り、旅装を得て、ようやく動きはじめた電車で成田へ。しかしそれが難行苦行。翌日の出発が早いからと予約したホテルに到着したのがなんと午前2時すぎ。いやあ、震災の翌日、6時間かけて成田空港に行ったのと同じような苦しみでありました。

広州に着くとすぐさま美術館に連れていかれて、第4回広州トリエンナーレのオープニング・セレモニー。驚いたのは、なんと地元のお歴々とならんでテープカットに名前を呼ばれて並ばされたこと。これは今回のテーマがなんと「Meta-question: back to the museum per se」というなにやら難しいものだったことと関連して、われわれの友人であるニューヨーク大学の張旭東さんが学術シンポジウムを主宰することになり、ICCTというネットワークを組んでいるわれわれに声がかかったという背景もあって、UTCPに敬意を表してくれたというわけだろう。まったく想定外でびっくりしました。

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翌日がシンポジウム。わたしは「芸術の終わり」をテーマとする午前のセッションで基調講演。アートの現場であまり学術的にやっても仕方がないと、かつて自分が翻訳したマグリット・デュラスの『緑の眼』からモロッコの海岸で多数のレイヨウが同時に身を投げるというエピソードを軸に「終わり」のイメージだけを提出するという作戦。研究者たちよりは、建築家とかアーティストの人たちには受けがよかったですね。

UTCPからはもうひとり内野さんが参加。初日の最後が出番で、日本における「前衛」の現在についての迫力のある講演。わたしがおもしろいと思ったのは、わたしも内野さんも同様に、肯定的な二重否定の論理をポイントにしていたこと。わたしの場合は、It is not the case that it is not meということになり、かれの場合は、not not the other avant-garde だった。この巧まざる一致に、会場でだれか気がついていたかしら? 時代はダブルバインドの論理から肯定的二重否定へと展開している、なんて!

ニューヨークからはかつてUTCPが2006年に招聘したMikhail Iampolskiさんが来ていました。Iampolski さんと数年ぶりに再会したのはうれしかったですね。もうひとりはBorys Groysさん。からからは、思いもかけずアレクサンドル・コジェーヴについての貴重な情報を得ることもできてきわめて有意義でした。トリエンナーレに参加したインドのアーティストや香港の建築家とも交流。だが、日本からの参加者はわれわれだけでした。あちこちで、国際的なシーンでの日本のプレザンスの急激な低下を感じることの多い作今です。

個人的には、二日間びっしりのシンポジウムのあと、1日だけ美術館が手配してくださった中山大学の学生といっしょに広州の街を散策したのが楽しかったですね。彼女が連れて行ってくれた寺が、六祖恵能が剃髪した場所とわかったのが不意打ちでした。そうか、ある意味では中国における禅の伝統(南)の起源の場所でもあったのだ、と。これが思いかけないプレゼントでしたね。短かかったけれど、充実した滞在でした。呼びかけていただいた広州美術館とわが友人・張先生に感謝。

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