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【報告】シンポジウム「エンハンスメントの哲学と倫理」

2009.01.10 └エンハンスメントの哲学と倫理, 吉田敬, 中澤栄輔, 小口峰樹, 立花幸司, 植原亮, 短期教育プログラム

2008年8月23日に「エンハンスメントの哲学と倫理」を総括するシンポジウムが開催されました。

このシンポジウムの目的は、エンハンスメントがわれわれ人類という種にとっていかなる意義をもつのかを、多面的かつ総合的に考察することにあります。エンハンスメントとは、脳神経科学や細胞生物学などを基礎として、人間のもつ知的能力や身体的能力などを技術的に増強・拡張することを指します。たとえば、脳に作用する薬物によって記憶力を強化する、といった場合がその一例です。こうしたエンハンスメントは、人類にさまざまな恩恵をもたらすといわれる一方で、多くの社会的影響や倫理的問題を引き起こす可能性があるとも考えられています。そうした問題を考察するために要求されるのは領域横断的な知の結集でしょう。(以上、植原亮(UTCP共同研究員),中澤栄輔(UTCP若手研究員)

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本シンポジウムの流れを示そう(司会は村田純一)。まず、開会の辞としてUTCPリーダーの小林康夫が、UTCP内での当プログラムの位置づけを示しながら、今後の人文学全体のひとつの方向として、このシンポジウムのような形で社会との接点を積極的に探っていくことが必要であるという趣旨のスピーチを行った。そのあと、特任研究員の植原亮が、シンポジウム全体の見通しを示すべく、ごく簡単にエンハンスメントとその問題に関するイントロダクションを行った。

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  次いで、このシンポジウムの中核のひとつともいうべき、パネリストによる発表がなされた。ここでは、石原孝二(応用倫理学・東京大学)、大隅典子(神経科学・東北大学)、信原幸弘(哲学・東京大学)、島薗進(宗教学・東京大学)の4名の研究者が、エンハンスメントに関して、各自の研究領域からは、いかなる文脈においてどのような問題が見出されるのか、またそこにおいて何が根底的な論点として把握されるべきかを論じた。すなわち、石原においては治療とエンハンスメントとの境界や侵襲性の問題、大隅においては科学研究の社会的受容の判断をいかに下すべきか、信原においては超人類思想と自己超越という既存の志向との関連、島薗においては生に関して自律性とは異なるものとしてのgiftednessという価値の可能性、などが提出された論点の一例である。いずれも各パネリストの研究関心が反映された個性ある明快な発表であり、これによって、複雑にもつれ合った糸のような様相を呈するエンハンスメントの諸問題が、鮮やかな図をもつ織物として編み直された、という印象を与えた。

  各パネリストの発表に続き、特定質問が行われた。特定質問者は各パネリストに対してそれぞれ、小口峰樹中澤栄輔吉田敬立花幸司(いずれも東京大学)である。質問はどれも、各パネリストの発表を整理しながらその核心を遠慮なく突くものであり、後続の議論を刺激し活性化するという役割を存分に果たしたといえるだろう。

  最後に、以上を踏まえる形で総合討論に移った。まずは、各パネリストが順に特定質問者による質問へ応答し、さらにそれを受ける形でパネリスト相互の議論、そして会場からの質問を含む討論へと移行していった。ここでは、すでに提示された論点を相互に照射し深化させたり、あるいは改めて新しい論点が提出されたりするなど、活発な議論が展開された。そのすべてを報告することはできないが、総体的にいって、一見きわめて実際的な問題であっても文化的な背景抜きには語れない問題が存在するということや、逆に非常に思弁的・哲学的な問題であっても社会全体と個々の人間との関係を包括的に捉え直さねば解決の糸口がつかめない、といったことが随所で浮き彫りになってくるのが強く印象に残った。

  本シンポジウムはまだまだ試みの段階にあるものであり、その意味では今後も同様の方向を継続していかねばならないが、その第一歩としては十分満足のいくものであったと思われる。それは、パネリストの方々はいうまでもなく、協力・参加してくださった多くの方々のおかげにほかならない。この場を借りて感謝申し上げる次第である。(以上,植原亮, UTCP共同研究員)

石原孝二(UTCP) 「エンハンスメントと社会」
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  石原孝二氏の発表は、エンハンスメント概念一般と脳神経エンハンスメントの特徴についてまとめた上で、脳神経エンハンスメントに対してどのような立場をとるべきかを論ずるものだった。石原氏は、リスク、不可逆性ないしは依存性、社会的受容という三つの問題点を鑑みて、侵襲的な脳神経エンハンスメントに関しては治療・準治療以外の目的での使用を原則的に禁止すべきであると論じた。
  石原氏に対し、小口峰樹は三つの問いを提起した。第一の質問は治療目的/非治療目的の区分に関するもので、医療技術の発展による正常性基準の上昇、治療適用範囲の拡大という現象をどう捉え、どう扱うべきかを問うものだった。第二の質問はテクノロジーへの依存性の問題に関するもので、エンハンスメント技術がもたらすと考えられる依存的状況は当該技術に限ったものではないのではないかと問うものだった。第三の質問は、禁止の一般性/個別性に関するものであり、侵襲的エンハンスメントの一般的な禁止を主張する石原氏の議論に対し、個別的な対応の必要性を説くものだった。(以上、小口峰樹(UTCP若手研究員))

大隅典子(東北大学) 「社会の中の脳科学」
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  東北大学グローバルCOE「脳神経科学を社会に還流する教育研究拠点」リーダーの大隅典子先生は「社会の中の脳科学」というタイトルで理系研究者の観点からの科学と社会のかかわりについてプレゼンテーションしていただきました。大隅先生のこれまでの主要な研究は発生生物学の分野であり、とくにPax6という転写調節因子(遺伝子)の脳の特定の細胞(グリアのひとつであるアストロサイト)の発現に関係しているという研究を行ってきました。今回のご発表で私が驚いたのは、大隅先生が現在興味を持って研究に取り組まれている課題が自閉症だということです。目下社会性の脳神経科学の分野で注目されているオキシトシンの働きに触れながら、大隅先生は研究の社会の中の科学という科学のあり方への気づきが研究の動機になっていると述べました。大隅先生は科学の未来の方向性は社会が決めることだと言います。科学者側の責務はコミュニケーション、つまり、正しい知識を社会に発信していくことこそが科学者の責務であると大隅先生は強調しました。(以上,中澤栄輔(UTCP若手研究員))


信原幸弘(UTCP) 「エンハンスメントと人間観の変容」
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  信原幸弘氏の発表、「エンハンスメントと人間観の変容」は、脳科学による知的増強が既存の人間観にどのような変容を迫るかを明らかにしようとするものだった。
  信原氏によれば、脳科学による知的増強には、主に二つの特徴がある。第一に、脳科学による知的増強は努力を不要とし、主体的な人間という、既存の人間観から受動的・機械的な人間という人間観への変容を鼓舞する恐れがある。第二に、脳科学による知的増強は超人類への道を開き、人間超越的な人間観が推進される恐れがある。
  議論を深めるために、私は以下の二点について、信原氏のお考えを伺った。知的増強推進者たちの考えでは、主体的な人間という、既存の人間観それ自体が歴史的・社会的産物であって、普遍的に正しいものではない。また、進化生物学的に言えば、現在の人類は進化の過程で現れてきた存在でしかなく、特別視される理由はない。
  信原氏の回答は、第一点については、そうだとしても、それは知的増強を積極的に推進する理由にはならない。推進者たちは積極的な理由を提示しなければならない、というものであり、第二点については、確かに進化生物学的にはそうかもしれないが、偶然的に進化していくのではなく、人為的に介入していくことが問題である、というものだった。(以上,吉田敬(UTCP若手研究員))


島薗進(DALS) 「エンハンスメントに反対する理由」
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  島薗氏がエンハンスメントに反対する理由とは何か。氏は、現在の生命倫理学における諸概念および倫理基準(「人間の尊厳」など)が個人を中心としたものであるがゆえに不十分であるということを、日本での議論動向や価値の背景にある文化への目配りによって、さらにカス、ハックスレー、クレイマーらの議論を参照することによって、論じている。そこで氏が示そうとしているのは、価値観の根拠である文化的背景へと立ち返ることの重要性である。そして氏は、マイケル・サンデルの「恵みとしての生(giftedness)」という概念を紹介し、より包括的な倫理基準の観点からエンハンスメントには(大枠としては)反対する、と立論している。
  氏の発表については指定質問者(立花幸司)が次の質問をおこなった:文化的視点の重要性については同意できるが、そうした文化的背景に基づいて倫理基準を構築する際、議論の具体的な構成要素は何なのであり(文学、歴史、宗教、思想、芸術…)、どの程度参照すべきなのか。また、そうした文化論的根拠による科学研究の規制は、熾烈な国際競争の中にいる科学者共同体にどの程度受け入れられるのか。もし実効的なものとして結実しえないとしたら、それは問題になるのではないか。
こうした論点を含め、その後の討議でも氏の主張を巡って大いに議論がおこなわれた。(以上,立花幸司(UTCP共同研究員))


  今回のシンポジウムはUTCP短期教育プログラム「エンハンスメントの哲学と倫理」の中核をなすものとして企画されました。実は、このシンポジウムには隠された(それほど隠れていないかもしれませんが)意図がありまして、それは理系研究者と文系研究者の接点を模索することでした。そういった意図にしたがって、東北大学の大隅先生にもお越しいただいたわけです。その大隅先生のご発表の冒頭での言葉が気にかかります。大隅先生は「このような文系の研究者ばかりの研究会でいままでお話しさせていただく機会はなかった」と述べられました。
  エンハンスメントのような問題には文理横断型のアプローチが不可欠だとは思うのですが、しかしながら、文理横断という言葉はスローガンにとどまりがちなのが現状です。今回のシンポジウムではそうした現状を踏まえて文理横断を実行に移したと言えるわけですが、しかしながら、今回のシンポジウムもまた文理横断がいまだたんなる理念であるという現状を反映したものに留まったという印象を私は持っています。
  なにが足りないのか、というといろいろ足りていないところはあるのですが、私は理系の研究者と「チーム」を組んでエンハンスメント(など)の問題に対処していくことが非常に重要であると考えています。そのためには研究室レベルでの草の根交流、ないし膝を突き合わせた議論がぜひとも必要です。さて、それをどうやって実行に移していくか。それは今後の課題と言わざるえませんが、すくなくとも今回のシンポジウムの成果を活かすことできるとすれば、私たちが今後どれだけ文理共同チームを発展させてくことができるかにかかっているのは確かなことだと思っています。
(以上,中澤栄輔(UTCP若手研究員))

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