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報告 「世俗化・宗教・国家」 セッション14

2008.12.14 羽田正, 世俗化・宗教・国家

12月8日、「共生のための国際哲学特別研究VI」第14回セミナーが開かれた。

 今回の趣旨は、その重要性が明らかでありながら、これまで取り上げてこなかったユダヤ」にまつわる問題について考えるというものであった。

 まず本日の報告者の1人である加藤レイア(地域研究M1)が、立山良治氏の『揺れるユダヤ人国家:ポスト・シオニズム』(文藝春秋、2000年)を、この問題の概観を得るうえで有益なものとして取り上げ、その内容を要約して報告した。そこでは現代イスラエルの状況や「ユダヤ」、「イスラエル」といったタームの意味するところ、並びにシオニズム運動の歴史的背景が説明され、「ユダヤ」の問題を世俗化の視点から考察するための前提が提供された。

 続いて、もう1人の報告者である鈴木優理亜(地域研究M1)が、今年の9月に出版された『ユダヤ人と国民国家:「政教分離」を再考する』(市川裕 [ほか] 編、岩波書店)の中から菅野賢治氏による論文「フランス・ユダヤ人の困惑:「ライシテ」への挑戦」を取り上げ、報告を行なった。これは、先月末から今月の初頭にかけてUTCPでライシテ研究の第一人者であるジャン・ボベロ氏が「世界ライシテ宣言」やフランスのライシテ、世俗化と脱宗教化(laïcisation)との違いについての連続講演を行なったことを踏まえ、別の角度からフランスの世俗化について考えることで、我々の知見をさらに深いものとする狙いのもとでなされた。

 当該論文は、1989年の「スカーフ問題」に端を発し、2004年3月の「宗教的標章法」の制定でもって一応の決着を見たかに思われた、フランスにおける「ライシテ」(世俗性、非宗教性)議論を、その中心的関心事がイスラームの位置づけであったことをはっきりと認めたうえで、そこにあえて「ユダヤ」の視点を持ち込むことで、事態を複眼的に捉えなおそうとするものである、と冒頭において菅野氏は述べる。そこではまず「フランス・ユダヤ人」が1枚岩では全く無いことが説明される。そしてその後、80年代にフランス・ユダヤ人の諸組織の間に亀裂が生じ、それぞれが自身の立場を明確に表明し、「共同体」としての存在感を強めていく、あるいは外部からそのように判断されていく過程が述べられる。この動きは多くの場合、かつてユダヤ人が個人としてフランス共和国に関わることで守ってきた「ライシテ」の契約を破る「共同体主義」だと見做された。このような状況下で成立した「宗教的標章法」はイスラームのヒジャーブとユダヤ教のキパーとを同列に扱っており、このことはユダヤ人にとっては、過去200年に亘ってフランス共和国のもとでライシテ原則を遵守してきたユダヤ「共同体」と新参のムスリム「共同体」とを同列に扱うものとして映り、「釈然としない思い」を抱かせることとなる。

 フランスにおける「ユダヤ」の内的状況や、「ユダヤ」に対する他のフランス人たちの見方と「ユダヤ」自身の見方の相違、さらには「ユダヤ」の問題からフランスにおけるイスラームのあり方の可能性に思いを巡らせる当該論文は、世界全体の世俗化を考えていこうとするこのセミナーにとって非常に有意義なものであった。

 報告の後に討論が行なわれ、事実関係の確認や「これ見よがし」な宗教的標章の定義などについて議論が為されたのちに、『ユダヤ人と国民国家』の著作全体のコンセプトについても話が及んだ。格段に強い自己意識を持つように自身には思われるユダヤ人が、その意識を如何に形成し、確立していたのか、そしてそれを他者はどのような目で見て、自らの枠に取り込んだ、あるいは排斥したのかについて実証的・多角的に取り組んだ同書は個人的にも学ぶところが多かった。

(文責:諫早庸一)

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