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【現地取材@アルゼンチン】四循環――1918年のコルドバ大学

2008.10.06 西山雄二

ブエノスアイレスから北に700キロ離れた古都コルドバに取材にいくため、朝一番の飛行機に乗り込んだ。

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(ラプラタ河の夜明け)

  海は盲人のように孤独である。
  海は私には読み解けない古代語である。
  水底の夜明けは慎ましやかな白壁になり、
  その果てから煙のような光が生まれる。――ボルヘス「船旅」

今回の取材対象はコルドバ大学の歴史である。1613年にイエズス会によって創設されたコルドバ大学はラテン・アメリカで二番目に古い大学、アルゼンチン最古の大学である。この大学は最終的には1881年に国立大学として改組された。ブエノスアイレス大学およびコルドバ大学で学長を務めた国会議員フランシスコ・デリッチ氏にインタヴューをおこなった。

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(コルドバ大学の回廊)

2008年の今年は、アルゼンチンの高等教育における歴史的な出来事、1918年のコルドバ大学改革の90周年にあたる。イエズス会が創設したコルドバ大学はかつて、聖職者の養成や上流階級の子弟の教育のために機能していた。19世紀末、ヨーロッパから大量の移民がアルゼンチンに移住するのだが、その第二世代は社会的地位を獲得するために高等教育の機会を求め、保守的で貴族主義的なコルドバ大学の在り方に反発を強めていく。

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(法学部の建物。17世紀の石柱部分と近代的なビルとの融合。)

学生たちは大学の民主化を求めて、いかなる政治的介入をも受けない大学自治の確立、学術研究の近代化(カリキュラムの見直しなど)、あらゆる学生に教育の機会均等を保障するための授業料の無償化、研究教育の世俗化を要求した。とりわけ、画期的だったのは、共同統治の提案である。これは教師、学生、卒業生が平等に大学の要職の選出に参加するという大学の民主的統治の原理である。大学にもっとも安定的な関係をもつ教員がつねに大多数を占めることという原則が保持され、例えば、大学評議会が教師側8名、学生側6名、卒業生1名で構成され、役職人事の選出などがおこなわれる。卒業生もこの大学運営に参与できるとする点が興味深く、社会と大学の接点が配慮されているといえる。

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(大学前の街路では学生による作品展示、演劇上映がおこなわれていた)

1918年、学生たちはこれらの要求を掲げてデモをおこない、大学を占拠し、警察や国軍まで出動する出来事となった。最終的には世論の後押しを受けて、学生の要求が受け入れられる形で大学改革が進められ、その影響はペルーやチリなど南米諸国全体に広がっていった。教師、学生、卒業生による大学運営の原則は今なお保持されている。

また、1969年にはパリの68年5月革命の影響を受けて、コルドバ大学の学生と労働者による反政府運動が勃発する。多数の犠牲者を出しながらも、彼らは人権無視の軍事政権に対して異議申し立てを貫き、ついに大統領を退陣に追い込んだのだった。ちなみに、パリの68年5月では「禁止することを禁止する」というスローガンが叫ばれたが、これと同じ表現が1918年のコルドバ大学の改革の際に叫ばれていたという。

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(大学に隣接するアルゼンチン最古のラ・コンパーニャ・ヘスス教会。12月の年度終了時には、聖職者と教師によってセレモニーが開催される。)

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ボルヘスが「四循環」(『群虎黄金』)において寓意的に示したところでは、物語には四つの種類しかない。まず、もっとも古い物語として、勇敢な男たちが守備する強大な都市の物語が挙げられる。彼らはやがて都市が剣と炎に屈服することを承知の上で戦いを続ける。次は、先の物語と関係するもので、オデュッセウス譚のような帰還の物語である。その変奏として第三に、遠く彼方へと向かう探求の物語がある。最後は、キリストのように、神が犠牲になる物語であり、この物語は先の三つの物語とは異質な次元で語られるようにみえる。「物語は四種類ある。われわれは残された時間、それらの物語をあれこれ変奏しながら語っていくことになるだろう」。

現在の大学もまた、保守、帰還、探求、犠牲という四つの物語のあいだを循環する。大学における研究教育活動は無条件的な真実の探求をその根本原理とする。こうした学問の無条件性に即して大学は資本主義社会の余白として機能し、知的好奇心を絶やさぬ人々が帰還するべき場所をなす。だが、現在、大学制度は社会‐経済的な論理にすでに屈しており、この現実を承知した上で、私たちはなお、真理探究の独立性を守備しようとする。私はインタヴューの最後に、デリッチ氏に「現在の大学において犠牲にしてはいけないものは何ですか」と問うてみた。彼の返答は「民主性と自由が学術の探求と調和した在り方」だった。

delich2.jpg (コルドバ大学元学長のフランシスコ・デリッチ氏と)

コルドバ大学の民主的改革から90年――コルドバ大学の歴史性と今日の大学の諸問題をめぐって、明日、シンポジウム「大学の哲学 合理性の争い」が国立図書館で開催され、小林康夫と私が参加する。シンポジウムを通じて、大学をめぐる何らかの「物語」が紡ぎ出されるのではないかと期待している。

(文責:西山雄二)

univ.cor90anos.jpg (現在は、市の南方にコルドバ大学の新キャンパスが創設されて、法学部を除くすべての学部学科が集約されている。社会に対する大学の開放という理念の下で、キャンパスには壁や塀はなく、誰もが大学の敷地内に入ることができる。写真は学生会館に掲示された「大学改革90年 1918‐2008」のポスター。)

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