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時の彩り(つれづれ、草) 022

2008.02.06 小林康夫

☆ モーセ(精神病理コロック)

先週の土曜、卒業論文の審査もそこそこに駆けつけたのが、本郷のホテルで行われていた精神病理コロック2008。

ずいぶん由緒ある研究会らしいが、昨年12月の京都フォーラムでいっしょに発表者をつとめた加藤敏先生(自治医科大学)が宮本久雄先生に特別講演を頼んだついでに、わたしにその指定討論者をやるように、という依頼。このように出会いが出会いを呼ぶ展開こそ人生にとっての最重要事、喜んでお引き受けしたのだが、宮本先生の講演「ヘブライズムから見た他者論」は、もちろんご自身のハヤトロギアの全面展開(新著も出たばかり!)で、今度はモーセの出エジプト記の物語が中心。

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実は、一昨年、本郷の死生学COEが行ったプリンストン大学のバトニツキーさんの講演でもディスカッサントを頼まれて、そのときは、わたしは創世記のカインとアベルの物語にコメントした。次いで昨年には宮本先生がその前年の京都フォーラムで行った講演テクストに対する「返球」を新聞「公共的良識人」に書くことになって、そこではイサクの犠牲を中心とする物語にわたしなりのコメントを加えた。そして、今度はいよいよ核心とも言うべきモーセの物語である。

なぜだがわからないが、思いもかけずにわたしは毎年、旧約聖書の物語群を解釈するように迫られている。これも不思議なこと。いつかわたしもカナーンの地を彷徨うように運命づけられているのかもしれない。

そこで語ったことは、おそらく「思考のパルティータ」(「哲学の樹」)に書かせてもらうことになると思うが、わたしの読解の軸は「契約」の問題設定で、しかも最後に「どのように神との《契約》が解消されるかが問題だ」と結んだのだが、さすがに精神病理コロキアムのメンバーのレベルは高い。京大の新宮一成さんがわたしのコメントにさっとコメントを寄せてくれて、フロイトによれば「夢がすでにその答えである」と。

わたしが漠然と考えていた答えの方向とはまったく違った角度からで、立ち会いとしてはほとんど一本とられた、というぞくぞくするような痛快感があった。こういう出会いは嬉しい。質問と応答にほんとうに火花が飛び散るときがある。そこではじめて、ひとは自分の思考に気がつく。

学問のフィールドに立っていることの幸せを感じる瞬間でもある。

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