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早尾貴紀 「共生の都市」ハイファより 001

2007.11.04 早尾貴紀

 10月下旬より、イスラエルのハイファ大学に客員研究員の身分で来ています。
 ハイファ大学に来た直接の理由は、ハイファ大学の研究者をひとり、日本に招聘して、大学関係で数回のワークショップに参加してもらうにあたって、その打ち合わせをするためです。

 が、まずはその話はさておき。
 ハイファという都市はイスラエルの北部に位置し、アラブ・パレスチナ人の多いガリラヤ地方とも近いこともあり、アラブ系市民の比率が高いことでも知られています。ハイファ大学もイスラエルでもっともアラブ系の学生の多い大学です。ハイファはそれゆえに、「共生の都市」とか「バイリンガル都市」などと称されることもあります。もちろんそうした表象のイデオロギー性は問い直されなくてはなりませんし、シビアな現実も見なくてはなりません。それは別便ですることにします。

 そのハイファ大学と言えば、この3月にUTCPで招聘したイラン・パペ氏のいた大学です。パペさんは、イスラエル国内から、イスラエルの正史・国史を徹底的に批判している、ひじょうに勇気のある歴史家です。
 もちろん今回来るにあたっても連絡はとっているのですが、ちょうど入れ違いになるように、パペさんは家族でイギリスに移住してしまいました。職場もイギリスのエクセター大学に異動です。
 パペさんは、「君が東京で示してくれた歓待を、今度はハイファでお返ししたかったけれども、とっても残念なことに(笑)、私はもうイギリスに来てしまいました」とのこと。今年の3月に駒場で話をしたときから、パペさんがすでに10月からイギリスに移住することが決まっていることは聞いていましたので、この「すれ違い」は予め知っていたことではあります。
 しかし、その不在をいま痛感しています。駒場講演も含めて、現在パペさんの日本講演の単行本としての刊行を目指して、翻訳・編集を進めているところでして、その作業が山場であるため、今回仕事をハイファに持ち込んでしまいました。そのために、かえってこの場所で、「不在者の声」を聞くことになってしまったのです。つまり、当日の録音を聞きながら、英語テキストを作成してから翻訳をするために、何度もパペさんの音声を耳にしているのです。パペさんはもうここにいないというのに。
 「不在者の声」は、その貴重さをかえって強く思い起こさせます。もちろん、僕自身が、虚しさを感じてもいるのですが、それよりも、イスラエル社会とってこそ、パペさんを「失ってしまった」ことが、重大な損失なのではないかと思えるのです。

 かつての同僚たちにあたるハイファ大の研究者たち、とりわけアラブ・パレスチナ人の研究者たちのうちのひとりが、パペさんの移住についてこういうことを言っていたのが印象的です。「共生都市」ハイファの現実を物語っています。

 「イラン(・パペ)はだいぶ嫌がらせを受けていたからね。出ていきたい気持ちはわかるよ。自分だってチャンスがあれば出たいくらいだ。彼が結局ここではシニア・レクチャラー(上級講師)にしかなれなかったのも、嫌がらせのひとつ。あれだけの世界的な業績があるのに、自国言語のヘブライ語で出せないってのも一因だ。イスラエルを出るのは良いことだよ。でも、必ず彼は帰ってくる。なんてったって、彼はこの場所がなんだかんだ言っても好きなんだ。そしてこの地で闘うことにこそ自分の存在意義を見いだしている。」

 3月に東京で僕と話をしていたときにも、1~2年で戻るつもりはない、4年後か5年後か、というようなことを言っていました。批判的な内部の声を発し続けることは、とてもたいへんなことだと思いますし、同時にしかしもっとも必要なことでもあります。さらにパワーアップをして戻ってくることを願うばかりです。

 さて、日本講演の翻訳作業は大詰めです。3月当時を思い出しながらのこの作業を通して、薄れていた記憶が蘇ると同時に、いま共同で進めている綿密な翻訳作業によって、そのときに表面的にしか理解していなかったパペさんの言葉の重みひとつひとつを感じています。
 深い講演内容と丁寧な質疑応答。やや大げさに言えば、聞き直し読み直して、感動さえ覚えました。早く出して、広く共有できるようにしたいと思います。パペさんの去った後のハイファで、彼の不在を噛み締めながら。(PD研究員、早尾貴紀)

hayao01.jpg
(ハイファ市内にある、アラブ・ユダヤ共生のための文化施設「ベート・ハゲッフェン」)

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