【報告】UTCPシンポジウム 自由になりたい「わたし」× 自由になれない「わたし」〜吉野なおさんと考える、見た目、人間関係、社会〜
プラスサイズモデル・エッセイストの吉野なおさんをゲストにお迎えし、UTCPシンポジウム「自由になりたい「わたし」×自由になれない「わたし」〜吉野なおさんと考える見た目、人間関係、社会」が、2023年11月19日(日)、駒場キャンパス18号館&Zoom配信で開催されました。
吉野さんは、ご自身のSNS、講演会や取材記事などを通じて、摂食障害の経験者であることを公表されています。その上で、いわゆる拒食症に至るまでの激しいダイエットや、過食が止まらなかった時期のご経験をお話しされるとともに、そうした状態からどのように変化していったか、また「やせている方が良い」と人々に思わせてしまうような社会のあり方に対するお考えについて発信されてきました。また、近年ではオンラインセッションを主導され、見た目や体型、そして人間関係などについて、多くの人々の悩みやエピソードにも接していらっしゃいました。
幅広い活動をされている吉野さんをお招きして、見た目や人間関係を主題に、「わたし」と「社会」との付き合い方、そして、自由になりたい「わたし」が、自由になれない「わたし」とどう付き合えるのか?という問いを、参加者の皆さんと一緒に考えてみようという趣旨で、今回のシンポジウムが実施されました。
シンポジウム企画までにはこんな経緯がありました。
企画がはじまったのは半年前。もともと報告者(山田)は「摂食障害」を研究テーマのひとつとしており、吉野さんのご活動を各種メディアや摂食障害に関連するイベントで拝見する機会が多々ありました。2022年に、UTCPで、摂食障害をテーマにしたイベントを企画しましたが、その際に共同企画者の方のお声がけで吉野さんにご登壇いただきました。そして、吉野さんが『コンプレックスをひっくり返す——見た目のなやみが軽くなる「ボディ・ポジティブ」な生き方』(旬報社、2023年)』を刊行されるとのお知らせを聞き、今年6月にできたてほやほやのご著書を読ませていただきました。
ご著書では、ご自身のご経験やこれまでのご活動で接されてきた方々のお話しをベースに、吉野さんがどうやって自分の「オリジナルな」生き方を模索し、歩んでこられたかが書かれています。お話の途中で、見た目や人間関係に関する社会学や人類学の議論も参照されていますが、少し専門的な言葉には、吉野さんがひとつずつ分かりやすい言葉で説明や言い換えをされています。読んでいる人を、どこかで置いてけぼりにせず、かといって、なにかひとつの「正しさ」に向かうことを目指すという流れでもなく、吉野さんと一緒に散歩をしながら話しているかのような感覚で、あっという間に読み終えてしまいました。
そして、ぜひ吉野さんの刊行記念のイベント、吉野さんのご著書を出発点として、見た目や人間関係を考える場を作らせていただけませんか!?と提案し、今回の企画がスタートしました。また、この企画は、タイトル考案の段階から当日の運営までUTCPのスタッフ全員が関わって進めていきました。当日まで、吉野さんはもちろん、UTCPスタッフや当日登壇していただいた大学生コメンテーターにも加わっていただき、少しずつ打ち合わせを重ねてきました。
ポスターデザインはUTCPスタッフ、デザイナーのライラ・カセムさん。
こうして迎えたシンポジウム当日、駒場キャンパスの会場には10代から20代の方々を中心に、20名ほどの方が参加され、Zoomを使ったリアルタイムの配信は10名ほどの方が試聴してくださいました。
シンポジウム前半の司会を担当してくださったのはUTCPスタッフの桑山裕喜子さんです。
開始後、まずは吉野さんのこれまでの活動についてご紹介いただきました。
当日はご著書の編集担当である旬報社の粟國志帆さんもいらっしゃっており、活動のご紹介の後、吉野さんと粟國さんに、どんな経緯で出版の企画が始まったのか、どんなやりとりがあったのか…などなど執筆や編集について詳しく聞かせていただきました。
ご著書に関する対談の後は、大学生コメンテーターの3名にご登壇いただきました。見た目に関して気になったり、それに関連して周囲の人間関係や親密な人との関係に難しさを感じたりすることは、世代を問わず起こり得ることだと思います。
その一方で、中学校や高校に通わなければならない時期、専門学校や大学に進学したり、学校を卒業して仕事をしたりし始める時期に、特有の息苦しさや拠り所のなさというのもあるかもしれません。特に、いま10代後半から20代前半くらいの方々は、多くの場合、インターネット、特にSNSと密接な関わりの中で幼少期から思春期前後を過ごされています。こうした世代の方々は、吉野さんのメッセージをどのように受け止め、そしてご自身の日常的な経験に関連してどのような視点を持っているのか、ご本人たちの言葉で語っていただきました。
大塚愛美(東京大学教養学部PEAK学生)
体型に関してのみならず、自己価値を測るための物差しは、SNSを利用したり、教室の中にいるだけで、知らず知らずのうちに育まれていくのだと気付かされました。できあがった物差しの尺度の中の自分を保つために健やかさを害することは当たり前で、どこか「正しさ」として生活に埋め込まれています。
「疲れたから休みたいな」という声、「甘いものが食べたいな〜」という声。その生活は、自分の声をたくさん無視することで成り立っています。吉野さんのお話の中で、「自分はなにがしたいのか、問い直す」大切さがテーマとして挙げられした。休みたいという声を素直に聞いて布団にもぐること。大好きなアイスを食べること。物差しの中ではない自分を保つために必要なのは、素直さと優しさなのだと思います。そこから始めよう、そう思えるお話でした。
松井映璃(十文字学園女子大学教育人文学部心理学科学生)
本日は貴重なお話、ありがとうございました。 私は事前に吉野さんの著書を読ませていただいておりまして、今回の公演も踏まえて、私自身が感じたことや考えたこと、また吉野さんにお聞きしたいことなどについて、述べました。
著書を読ませていただいて、率直に感じたことは「分かりやすい」でした。当然かもしれませんが、10代に対する解像度が高く、摂食障害に関する知識に乏しい方でも、無理せず読み進めることができるのではないかと、一個人として感じました。 本の中では、P.61「お腹が空いていたのではなく、心が空いていた」P.180「自分のなかの正解を手放したら、どう生きていけばいいのか分からなかった」など、誰もが思うような感情を非常に分かりやすく言語化されていて、とても勉強になりました。自分が「正解」だと思っているその「正解」自体を疑ったり、自分自身が囚われている価値観や偏見をスルーするのではなく、原点に振り返って自分と向き合う。この行為は決して簡単なものではなく、自分に向き合う体力があるときでないと難しいと思います。
しかし、だからこそ自分と向き合う、心の声を聞く、対話をする必要がある人はたくさんいて、これらの必要性をご自身の経験を踏まえて、伝えられているその姿勢に感銘を受けました。この話は摂食障害やボディポジティブ以外にも通ずるものがあると思いますが、ご自身のなかで「自分の心に寄り添う」ときに、何か心がけていることはありますでしょうか?また、最近こんなときに寄り添ったな〜ということがあれば、合わせて教えていただけますと嬉しいです、とコメント・質問しました。
安丸芽生(東京大学教養学部PEAK学生)
私は日本の教育や教育格差に関心があります。学校環境や教育そのものには、社会の価値観を個人の中に内面化させる「社会化」の作用があるため、個人のコンプレックスについて社会の文脈からも語られているご著書であるということを知り、ぜひ本シンポジウムに参加させていただきたいと思いました。本書では、人びとは生まれた瞬間から「痩せていないといけない」や「太っていたらいけない」というような考えを持っているわけでないという記述があり、改めて、見た目に関する考えは、社会の価値観を内面化した結果なのだと実感しました。
また、例えば、アメリカに住んでいたらご自身の体に対する考え方が違ったかもしれないというような記述があったかと思います。私自身、大学入学前の12年間をアメリカで過ごしており、当時は、「体」や「見た目」に対するネガティブな考えはほとんど持っていなかったように感じます。しかし、日本に帰国して4年目の今、正直どこかに「痩せないと」と思っている自分がいます。
今までは、「内面化」のプロセスには長い時間がかかるのだと思っていましたが、必ずしもそうではなく、短い期間においても社会の価値観が個人の中で醸成/育まれることもあるのではないかと考えます。この体験やご著書を拝読したことから、改めて、社会の価値観から一歩距離を取り、それらを俯瞰することが重要なのだと感じました。
学校教育に関心がある身としては、ご著書の中で触れられている家庭科の授業に関するエピソードが衝撃的でした。そこで、学校環境において、ご自身の見た目という点を含め、安心安全に感じられるようなセーフスペースのような場はありましたか。もしなかった場合、どのような環境がセーフスペースになりうるか、もしお考えがありましたらお教えいただきたいです、と質問しました。
最後に、ご講演の中で、「『やせないと』という気持ちがどこからきているのか考えてほしい」と仰っていたことが印象的でした。他人軸ではなく自分軸をある意味取り戻す、そして自分で考えることの重要性について考えることができました。
また、参加者の皆さんには、Zoomのコメント欄やSlidoというツールを使いながら、質問やコメントなどをご投稿いただきました。
参加者の質問やコメントに対して、吉野さんがその方の思いや状況を確かめるように答えていたのが印象的でした。
「私の真似をしてもらうのも違う」というお話と重なっていたように思います。「自分の声に耳を傾けながら自分の幸福の形を見つける」というのを、ただ理想論としてではなく、その明るい姿でもって示されていることに、とても勇気づけられる思いでした。(UTCP 宮田晃碩)
やはり女性は、男性に比べると外見(その他立ち振る舞いなど)気にかけないといけない/人からの評価や視線にさらされることが多いのだと思いました。
他方で、いろいろとある規範のうち、従わないといけないプレッシャーの強弱はあって、規範だから守らないといけないわけではないことを考えると、どのような規範が強制力が強いのか、なぜ女性にとって痩せることや外見についての規範が広く強く強制力を持つのか改めて疑問に思った。
規範があるのは悪いことではないが、できるだけそれにとらわれすぎずに生きることが大事だと思うが、どうすればそれができるようになるのか考えないといけない。その点、吉野さんがおっしゃっていた料理をすることで、その加減が身につくというのは、とても興味深い話だった。吉野さん、興味深いお話ありがとうございました。(UTCPセンター長 梶谷真司)
シンポジウム後半では「哲学対話」を経由して、見た目、人間関係、社会に関するテーマで参加者同士の対話を行いました。はじめに、UTCPの堀越耀介さんから、「哲学対話」についてご説明いただきました。
昨日は哲学対話の全体のオーガナイズとして主に活動させていただきました。参加者の皆さんからの問いがとにかくユニークかつすぐに出て、本当に皆さん前半部でいろいろなことを考えられた結果だったのだなあと感じました。私個人としても、セクシュアリティ教育の問題をはじめとして身体をめぐる問題には常日頃からかかわっていることもあり、その点でも大変観点が広がりました。ありがとうございました。(UTCP堀越耀介)
他方、オンラインの会場では、UTCPの梶谷先生が哲学対話のファシリテーションをしてくださいました。
哲学対話の終了後は、再びみんなが会場に集合して、クロージングの時間を持ちました。UTCPの堀越さん、中里さん、宮田さんに進行をバトンタッチして、哲学対話のふりかえりや、シンポジウムのテーマに関連して考えたことなどを共有していただきました。
吉野さんがお話で、それまで当たり前と受け入れていた規範に違和感を覚え、自分なりに考えていくなかで、コンプレックスと距離が取れ、自分の新しい場所が見つかっていったという変化を語られていて印象的だった。自分で問い、考える、という行為は必ずしも答えを出す、ということには繋がらないが、答えを出す手前で自分の言葉をもって自らの状況と向き合おうとすることが、決定的に重要である。つまり主体性の獲得は、ある人が問う主体となること契機として生じている。
しかしであれば、いかに我々は問う主体となるのだろうか。(UTCP中里晋三)
今回のシンポジウムでは、吉野さんの体験談を直接に聞くことができ、とても興味深く、若者にとっても実り深い会になったと思います。若い世代の生の声を実際に聞くことができたのも、意義深かったと思います。また、最後に男性陣の声も聞けたことは、とても大事な点です。また、シンポジウムを通し、個人的に考えたことが大きく二点ありました。まず一点は、「見た目」を気にする文化についてと、二点目は「見られている」という意識や他者を「見る」見方についてです。
自分の経験を見直すと、子供の時には全く気にしていなかったにも関わらず、高校生ぐらいから自分の見た目や体についてとても気にするようになったのを思い出します。19歳の時に渡欧をして、その後何度か日本に戻って短期滞在をしたこともありましたが、それからは自分の体のサイズについて考えなくなっていきました。しかしこれはヨーロッパには「見た目」を気にする人が少ないから、というわけではないと思います。自分の周りにいた人々の注意のいく矛先が傾向として、日本で言う「見た目」とは違うところにあったのだと思います。
ヨーロッパでの生活は総じて12年近くになりましたが、「見た目」については、周りの人々がヨーロッパ出身の人しかいない環境が続いたため、ふとした時に鏡をみて自分の見た目があまりに周りと違うことに驚くことがよくありました。なんでこう違う見た目なのだろう、と思ったこともありましたが、あまりそれに気を取られる余裕もない生活をしていたというのが本音だと思います。
ここで二点目がつながってくるのですが、欧州滞在中の12年近くの間に色々な意味で「余裕がない」ことで培った「見た目を気にしない」姿勢は、「見られる」身体という意識を跳ね返す身体感覚の構築につながっていったように思います。フェミニズム現象学でもよく言われていますが、女性の身体はまるで<商品>でもあるかのように「見られ」たり、他者に「使用され」たりする可能性にさらされていることを、思春期を通して学んでいく身体です。私は、これに関して、女性として生きていない様々な性を生きる人に関しても同じことが言えると思います。「見た目」を気にする人の集まる環境では、「見られる」身体、「品定め」されうる身体という認識が人と人の出会いにおいて先に出てきやすいと思います。しかしそれは、他者に会う時にまず自分の注意がどこに向くのか、きちんと追ってみれば、自分の身体との付き合い方も変わってきて、集団意識も変わってくるかもしれない、と思うのです。
最後に、シンポジウムを通して気づいたことが一つあります。「見た目」を気にすること、あるいは「自分の身体のサイズ」を気にするというアイデアを目の前にした時、自分の身体が声を上げて「no」と言い出す癖があるということです。自分の身体は見えません。鏡で見たとしても、それは鏡に映った像でしかありません。「見られる」身体という視点を否応でも跳ね返し、自分こそが自ら(見えないものも)感じとり、いつも常に「動いている」身体である、と叫び出す身体が自分の中にはあります。これを傲慢だと見る見方もあるのかもしれません。が、主体的に動く「身体」という基盤なくしては「見る」身体も、「見られる」身体もなかった、という理由から、これを、「見た目」を気にしている「余裕」のない生活をしてきたことで培ってきた年の功として見たいと思いました。(UTCP桑山裕喜子)
今回のシンポジウムは、本当に多くの方々のご協力、そして、日々それぞれの場所で違う景色を見ながら過ごされているみなさんの声が合わさって、はじめて成立するイベントだったと思います。ご登壇いただいた吉野なおさん、編集担当の粟國志帆さん、大学生コメンテータの大塚愛美さん、松井映璃さん、安丸芽生さん、そして当日の参加者の皆様に改めてお礼を申し上げます。
書籍をつくるにあたって、「一緒に考えよう」という著者のスタンスを意識していました。単に思いをぶつけるのではなく、会話のようにキャッチボールになるといいな、と。今回のイベントでは、学生さんの感想について吉野さんからの応答もあり、哲学対話でもみなさんと思いを共有することができて、書籍でやりたいことがリアルな場でも実現できたことに感激しました! またぜひ呼んでください~~!(粟國志帆)
誰かに認められたい。受け入れられたい。自分を好きになりたい。
webを通して誰もが自由に発信することもリアクションすることも簡単になった今、「もっとこうだったらな」という気持ちが湧いてくるのは自然なことだと思います。
一方、リアルタイムに他者と対話を重ねることは、時間もかかるし面倒なもの。
緊張してしまったり、気まずい雰囲気を味わうこともあるかもしれません。
でも、ふとした対話が誤解を解いて視野を広げたり、偏った視点を変えるきっかけになることもあるはずです。
そして自分に対する問いも生まれてくるでしょう。1人で悶々と悩んでいた十代のころ、こんな風に『答えのない問い』を人と一緒に考え語り合える場所があったら良かったのに!と思えるようなシンポジウムでした。
大学生のみなさんが『コンプレックスをひっくり返す』について、それぞれ思いを巡らせてくださったのも嬉しかったです。
書いている最中は不安も大きかったですが、書いてよかったと改めて感じました。UTCPのみなさん、ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう!(吉野なお)
(写真:ライラ・カセム、桑山裕喜子、報告まとめ:山田理絵)