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【報告】「八丈島に/で出会う」(〈哲学×デザイン〉プロジェクト32 番外編)

2021.10.22 梶谷真司, 中里晋三, 高山花子

翌日のオンライン配信イベント(URLはこちら)に先立って、10/9(土)の 13 時過ぎ、東京からの一行(ゲストの寺尾紗穂さん、UTCP の梶谷、中里、EAA の高山)が、羽田から約 1 時間の空路を経て八丈島空港に到着した。イベントが午前中開催だったことから計画らしい計画もなく前日入りしたが、無計画が幸いして次々に予想外の出会いが生まれた。今回はイベント自体の報告に先立って、その充実した旅程について書いておきたい。

 

八丈島は「東京都八丈町」を行政区域として、八丈富士、三原山という二つの火山のふもとを取り巻く五つの集落からなる。ひょうたん型の島を中央で二分するように走る飛行場(その建設は戦時中に遡るらしい)とほとんど場所を隔てず、役場なども集まっているエリア(大賀郷・三根)を今回、私たちは訪れた。

八丈島は、公設バスの稼働も限定的で、自家用車がなければ移動の困難な場所である。町内を品川ナンバーの車が、制限速度40キロで海と山に囲まれた景観をのんびり走る様子もまた面白かったが、必然、私たちもレンタカーを借りて、各地を車で移動することになった。

 

空港でもう一人のイベント・ゲスト、加納穂子さん(八丈島在住歴18年)と合流し、加納さんの提案でまず一行は八丈富士の麓にある鳥小屋に向かった。入り組んだ細い道を軽バンで登って行くと、加納さんの主宰する八丈島ドロップスで育てている「とーとーめ」(島言葉でニワトリのこと)と烏骨鶏たちがいて、それはそれは賑やかだった。幼虫とグヮバのおやつを美味しそうについばむ様子を見守ってから、今度は住宅街に場所を転じて、地域活動支援センター「よけごん」を訪問した。

    

「よけごん」もまた八丈島ドロップスの取り組みのひとつで、名称は「良いようで良い」という趣旨の島言葉(「よけごんでよっきゃ」)に由来するとのこと。こちらもちょうど多くの人が集まる時間帯で、歓談しながらのおやつタイムだった(グヮバも食べた)。地域活動支援センターは一般には障害当事者の地域参画の場として、障害者自立支援法(2005年制定)のもと各地で展開される施設である。しかし、八丈島に移住を考えている方が赤ちゃん連れで遊びに来ていたりと、「よけごん」は誰でも来られる場所として、私たちも全く気兼ねなくその場に溶け込むことができた(グヮバも美味しかった)。

    

「よけごん」訪問後、少し時間が空いたので地元の図書館と神社を訪ねてみた。10月初旬は例年台風のシーズンで、ちょうど一週間前に大型の台風が八丈島を直撃するなど天候の心配もあったなか、滞在中は極めて快適だったのは幸運だった(ちなみに台風一過のあと島では、家全体をホースで洗って潮水を洗い流すそうだ)。図書館には、わらべ唄について調べたいという寺尾さんのリクエストからだったが、郷土資料の楽譜からその場で寺尾さんが口ずさんでくれたのは一興だった。寺尾さんによると、そこにある「ハトの歌」という曲などは、まさにハトの鳴き声をまねた前奏をなぞって歌詞が乗っていく、何とも原始的な雰囲気の曲だそうだ。

八丈島は、縄文時代に本土から島伝いに来たらしい遺跡が複数見つかっているが、とくに江戸時代は流刑地として豊臣方の武将・宇喜多秀家に始まり、多くの流人が本土から送られてきた。また、全国の商船や漁船が漂流のすえ黒潮に乗って島に流れ着くこともあり、本土から南に約300キロという距離にありながら、海を介して、島外とのつながりを失うことはなかった。他方、言語についてはかなり特殊で、奈良・平安の趣を残し、小さな島内の集落ごとにすら微妙に異なる特異な島言葉が、現代に伝えられている(消滅危機言語のひとつ)。

     

日暮れ近くに、大賀郷の優婆夷宝明神社を訪れた。優婆夷大神と宝明神を祀り、その二神の交わりが八丈島縁起のひとつでもあるこの神社で、島内一人の神主の方にお話を伺うことができた。拝殿の奥に石造りの本殿が続くかたちが非常に独特である。現在のものは比較的新しいが、過去にアリ害などの不幸が続き、立派な社殿を壊さざるをえないことが続いたらしい。また、かつて広大な敷地の中心に土俵があり、島をあげての催しで活躍していたものの、現在はその慣習も絶えて久しいとのこと。年に一度の大祭を続けるために、開催の日を動かさない大切さを語っていらした。

 

統計を見ると、八丈島にはとくに終戦直後は12,000人ほどが住んでいたが、現在7,000人ほどで年々減少傾向にある(とくに20代前半が極端に少ない)。しかしながら島の人の話を聞くと、今でも仕事終わりアフターファイブのサークル活動が盛んで、とりわけスポーツに対する想いは島全体で強いようだ。図書館の二階に、町営のボーリング場があったのには驚いたが(そのときは常連らしい高齢の女性が一人で黙々と投球を続けていた)、すぐ近くの体育館を覗けば芝のフットサル・コートがあり、ともに集い、活動することへの嗜好は今回、行く先々で強く感じたところである。

 

夜は加納さんのご自宅にお招きいただいた。八丈島ドロップスの立ち上げメンバーの方もお二人加わり、島ならではの料理(島寿司、島唐辛子、とーとーめ卵などなど)を堪能しながら、翌日のイベント・テーマにつながるものも含め、様々な話にふけった。また加納さん宅の居間の隅には、ひとつのお骨があった。「よけごん」にも通っていらっしゃった高齢の男性Mさんが今年本土の施設で亡くなり、身寄りがないため引き取ったという。複数号いただいた「よけごん通信」に「Mさんのこと」という連載コラムがある。2021年の直近の号に、Mさんが脳梗塞で島を離れることになった経緯が書かれていて、その最後が「でも、でも悔やみは、ずっと抜けない錆びて頭の取れた釘のようだ。」と締めくくられていた。9日の晩は、私たちもMさんの影を感じながら、忘れられないひと時を過ごした。

(文責:中里晋三)

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