Blog / ブログ

 

【報告】UTCPシンポジウム「文学における諸形象」

2016.11.01 星野太, 高山花子

2015年12月19日(土)、東京大学駒場キャンパス12号館において、国際シンポジウム「文学における諸形象(Literary Figures)」が開催された。

本シンポジウムは、すでに報告したワークショップ「バートルビー再考」に続き、ソフィア大学のカメリア・スパソヴァ、マリア・カリノヴァ、ダリン・テネフの三氏を招いて開催されたものである。

今回のシンポジウムでは、2013年にソフィアで開催された国際フォーラム「変身とカタストロフィ」に参加した高山花子、山岡利矢子、カメリア・スパソヴァ、マリア・カリノヴァ、ダリン・テネフの各氏による5本の発表が行われた。同シンポジウムについてはすでに高山氏による詳細な報告が存在するため、ここでは個々の発表の内容を紹介するのではなく、本シンポジウムを通じて浮かび上がった幾つかのポイントを整理するにとどめたい。

周知のように、本シンポジウムのタイトルに含まれる「figure」という語は、それじたい極めて多義的な言葉である。すなわち、一方でそれは修辞学における「比喩/文彩」を意味し、他方では感覚的に把握される「形象」を、さらに文学作品のような物語においては具体的な「人物像」を意味することもある。本シンポジウムの主旨は、こうした「figure」の多義性をあらかじめ念頭に置きつつ、文学におけるその多様な現れを浮き彫りにすることにあった。

また、ラテン語の「フィグーラ(figura)」に由来するこの言葉は、文学や造形芸術における「文彩」や「形象」に留まらず、西洋文化における幾つかの重要な局面に頻出する語でもある。たとえば、スパソヴァ氏の発表で扱われたアウエルバッハの論考「フィグーラ」は、キリスト教の予型論においてこの概念が担った重要性を明らかにしたという点で、今なお立ち戻るべき重要な視座を提示している。他方、山岡氏、高山氏、カリノヴァ氏の発表が示したように、文学および哲学における比喩/形象が、ニーチェ、ブランショ、バフチンといった多様な作家のテクストにおいてそれぞれ重要な機能を担っていることも明らかであろう。また、テネフ氏が最後の発表において総括したように、文学作品における比喩/人物像の「哲学的なステータス」について論じることも、むろん重要な仕事として残されている。

LF_1.jpg

いずれにせよ、この三日間のワークショップとシンポジウムを通じてつねに問題とされたのは――テネフ氏の言葉を借りれば――哲学と文学のあいだにある「線上」を繊細な仕方で歩んでいくことの重要性である。このような言い方がいささか大仰に響くことは否めないが、文学と哲学という仮の分割線を問いなおしていく作業は、そこで作動している具体的な「figure」の様態を丹念に見定めていくことと、およそ切り離しがたいように思われる。今後、本ワークショップ・シンポジウムにおいて提出された論点を、さらに展開していくべく努めたい。最後になるが、これで4度目となるソフィア大学との共同シンポジウムのきっかけを作ってくださった小林康夫先生をはじめ、本イベントをともに実現へと導いてくれたソフィア大学の三氏、および参加者の方々に感謝申し上げたい。

報告:星野 太(金沢美術工芸大学専任講師)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】UTCPシンポジウム「文学における諸形象」
↑ページの先頭へ