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【UTCP Juventus】岩崎正太

2011.08.29 岩崎正太, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。今回は岩崎正太が担当します。

これまでの研究については、過去に2度紹介する機会(【Juventus2009】【Juventus2010】)を頂きました。今回は、目下の関心について簡単にご紹介したいと思います。

〈吃音〉あるいは〈どもる〉という言語現象について、文学的・思想的観点から研究を続けています。〈吃音〉は従来医学的には言語的機能障害のひとつとして考えられていますが、三島由紀夫の『金閣寺』、小島信夫「吃音学院」、ハーマン・メルヴィルの『ビリー・バッド』、ジル・ドゥルーズの『批評と臨床』のように、文学や思想の分野においても〈吃音〉をモチーフとする作品・理論が少なくありません。〈吃音〉が文学・思想に関わる現象として内在的扱われるとき、そこにはどのような論理が潜在しているのだろうか。このような視座にたって私は、従来医学的な側面から研究されてきた〈吃音〉という言語現象を、ひろく文化現象の根底を貫く〈詩学〉として捉えなおし、その論理の解明を試みています。

これまでは小島信夫という戦後作家、とくに、かれの「吃音学院」(1953)という短篇の読解に努めました。この研究成果については、今年3月に開催されたUTCP International Graduate Student Conference 2011にて発表いたしました。→【報告】

いま現在は、小島信夫作品の研究と並行しながら、出自と言語の狭間を行きかう経験を記述した韓国系アメリカ人作家Theresa Hak Kyung Chaの『Dictée』(1982)を、そこで描かれている言語と身体の諸様相に注目しながら、読解を試みています。この『Dictée』もまた、マルチリンガルなテクスト空間をとおして、母語を含めた言語習得における〈吃音〉という言語現象を、文化的・思想的に問題にしていると考えています。なぜ、このテクストを選んだのかといいますと、上述Graduate Conferenceでキーノート・スピーカーとして招聘した、ポスト・コロニアル批評の主要な思想家であるトリン・ミンハ教授(カリフォルニア大学バークレー校)から教えてもらったからです。トリン教授とは、〈吃音〉という切り口からの『Dictée』の読解可能性や、トリン教授の映画にも〈吃音〉のモチーフがあることなど、いろいろ話し合うことが出来ました。なお、カリフォルニア大学バークレー校には、Berkeley Art Museum/Pacific Film Archiveという附属機関が併設されており、Theresa Hak Kyung Chaの作品(著作、ビデオ、フィルム)や手稿を収集して、「Theresa Hak Kyung Cha Collection 1971-1991」として研究者向けに公開しています。機会がありましたら、ぜひ訪れてみたいと思います。

また、根底においては文学的・思想的な問題に通じていると思っておりますが、目の前にある現実問題としての、言語障碍である〈吃音〉にも関心を持っています。今年3月には、アメリカでSpeech-Language Pathologistとして活躍されているMiyao Motokoさんの協力を得て、実際のセラピー(療法)現場を見学させていただくという貴重な経験をさせてもらいました。→【報告】

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