【UTCP Juventus】 早尾 貴紀
2009年のUTCP Juventus、第8回は特任研究員の早尾貴紀が担当する。
ヨーロッパ近代の社会思想史(民族や国家に関わる思想の歴史)とパレスチナ/イスラエル問題について研究しており、またそこから「ディアスポラ思想」の可能性についても関心を持っている。
最近の仕事と現在進めている仕事を以下で概観する。
(1)昨年、ジョナサン・ボヤーリン&ダニエル・ボヤーリン著『ディアスポラの力――ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』(赤尾光春、早尾貴紀[翻訳]、平凡社、2008年)を翻訳刊行したが、これはユダヤ人の文化やアイデンティティが「亡国的な離散の地」(=ディアスポラ)でこそ、異教徒・異文化に囲まれながら発展させてきたという歴史的経験を、世界の民族紛争に対して敷衍して提示しようと試みたものである。
今年は、その提起を受けて、その可能性を探るべく、実際にさまざまな分野の若手研究者らと、論文集を刊行した。臼杵陽(監修)/赤尾光春・早尾貴紀(編)『ディアスポラから世界を読む――離散を架橋するために』(明石書店、2009年)である。
(カバー折り返しより)
「ディアスポラ」から世界を読み解く。
西洋近代において周縁化された
ユダヤ、アルメニア、カルムイク、ブラック・アトランティックから、
東アジアの歴史空間を浮動する
回族、華僑、朝鮮、在日、沖縄・奄美まで、
国民国家に回収されない人びとの離散を架橋する、
脱領域的「ディアスポラ学」の試み。
また、ボヤーリン兄弟『ディアスポラの力』の可能性を問うべく、「ディアスポラの力を結集する――ギルロイ、スピヴァク、ボヤーリン兄弟」として総合的に検討するシンポジウムを今年2月に開催した。というのも、近代国家の国民主義と領土主義を根底から批判するボヤーリン兄弟の議論は、ユダヤ研究にとどまらず、人類学やジェンダー論や現代哲学やカルチュラル・スタディーズなど多岐にわたっており、かつこうした重層的な問題意識はポストコロニアリズムの研究分野で広く共有されているからである。なかでもボヤーリン兄弟が直接論及しているギルロイとスピヴァクについて、ギルロイとスピヴァクの訳者ら(上野俊哉氏や本橋哲也氏や鵜飼哲氏など)の参加協力を得て、討議を一書にまとめていく予定である(赤尾氏との共編、松籟社より2010年刊行予定)。
(2)昨年は、UTCPでその前年に招聘したイスラエルの歴史学者イラン・パペ氏の全講演を日本語に翻訳して刊行した(『イラン・パペ、パレスチナを語る――「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』(ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉[編訳]、柘植書房新社、2008年)。
今年もパレスチナ/イスラエル問題のなかでもガザ地区の占領を専門とする世界的第一人者であるサラ・ロイ氏をUTCPで招聘した。しかもロイ氏は、ポーランドにルーツをもつユダヤ人であり、両親がナチス時代の絶滅収容所の奇跡的な生き残りでもある。そうしたホロコースト・サヴァイヴァーの娘であるというユダヤ人のアイデンティティを強く保持しながら、シオニストにはならず、イスラエルに批判的な立場から、研究と社会的発言をしている。
年末から今年の1月にかけて世界を驚かせたイスラエルのガザ攻撃のせいもあり、3月のロイ氏の来日は大きな注目を集め、たくさんのメディアにも取り上げられた。
現在、ジャーナリストの小田切拓氏とアラブ文学研究者の岡真理氏の協力を得て、このサラ・ロイ氏の来日講演と対談を翻訳している最中であり、年内に青土社から刊行する予定である。(なお、ロイ氏と徐京植氏との対談の記録はこちらを参照。)
(3)昨年、ヨーロッパ・ユダヤ思想やナショナリズムと、イスラエル国家/パレスチナ問題との関連について単行本、早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ——民族/国民のアポリア』(青土社、2008年)を刊行した。
二部構成として、第一部では、1948年のイスラエル建国期に、ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ系の哲学者マルティン・ブーバーとハンナ・アーレントの二人が、シオニストでありながら、純粋な「ユダヤ人国家」を批判し「二民族共存国家(バイナショナリズム)」をいかに模索し挫折していったのかを検証した。第二部では、「ユダヤ人国家」として建国されたイスラエルをめぐって、欧米思想家、とくにアイザイア・バーリン、ジュディス・バトラーといったリベラルなユダヤ系の思想家、そしてパレスチナ人のエドワード・サイードと論争を交わしたユダヤ人のマイケル・ウォルツァーやボヤーリン兄弟など論争史を中心にまとめた。
今後の長期的課題としては、上記単行本でなお扱えなかった、ドイツ近代思想からフランス現代思想へという流れのなかでのユダヤ人と国家の問題について研究を進展させたい。具体的には、これまで扱ってきたマルティン・ブーバーの弟子であるエマニュエル・レヴィナスと、そのレヴィナスを最大限に評価しつつもその限界を厳しく追及したジャック・デリダ、この二人の現代フランスの哲学者を通して、ドイツ=ユダヤ思想がもっていた思想的可能性を批判的に検討することである。
近代ドイツ=ユダヤ思想の中に典型的に見られる、「ドイツ国民」と「ユダヤ人」のあいだで揺れるアイデンティティとナショナリズムの思想的課題に取り組んだ双璧がヘルマン・コーエンとフランツ・ローゼンツヴァイクである。この二人はシオニストではなくユダヤ人国家案には批判的であったが、しかし、とくにローゼンツヴァイクから強い影響を受けたレヴィナスはイスラエル擁護を隠さなかった。レヴィナスが主著で展開した倫理思想の繊細さと政治的立場の粗雑さとの表面的な齟齬を、論理的に解明することは容易ではない。他方このレヴィナスに対し強い批判を向けていたデリダについても、たんなる哲学理論家にも「ユダヤ人デリダ」にも還元はできない。この二人がドイツ=ユダヤ思想から批判的に継承しようとしたものを見定め、ヨーロッパ哲学の新たな布置を描くことを長期的目標としている。