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【報告】サラ・ロイさんと徐京植さんとの対話——ホロコースト/植民地主義〈以後〉の世界の倫理

2009.03.23 早尾貴紀, セミナー・講演会

 3月2日と4日に、サラ・ロイさんの講演および対談の企画がUTCPでもたれた。

 ロイさんは、イスラエルによるパレスチナの占領体制を、とりわけガザ地区問題に焦点を当てて、政策的低開発の問題から、つまり政治経済学の観点から研究をしている一方で、同時に彼女は、第二次大戦中のホロコーストの生き残りを両親にもつユダヤ人として、そのルーツを自覚的に背負っている。すなわち、ホロコーストがあったからイスラエルというユダヤ人国家が必要なのだという政治神話に開き直ることなく、むしろ徹底して自らの背景と立場を反省的に見つめながらパレスチナ問題に向き合っている。倫理主義にも経済主義にも偏ることなく、その両方の視点から占領の問題を批判的に分析しつづけており、新植民地主義とも言うべき現代世界におけるひとつのあるべき姿勢を示していると言える。

 2日の講演"Learning from the Holocaust and Palestinian-Israeli Conflict"に引き続き、4日には在日朝鮮人の作家・徐京植さんとの対談「『新しい普遍性』を求めて―ポストホロコースト世代とポストコロニアル世代の対話」がおこなわれた。
 徐さんは在日朝鮮人として、ポスト植民地主義あるいは新植民地主義的状況にある(脱植民地主義ではない)日本社会の差別や民族問題について鋭い批判を発しつづけていると同時に、そういった問題をより深い思想的問題として考察を深めるにあたって、近現代ヨーロッパ社会の反ユダヤ主義やホロコーストの問題、そして現在のパレスチナ/イスラエル問題に強い関心を寄せてきた。徐さんには、パレスチナ人の映画監督ミシェル・クレイフィ氏との対談を含む『新しい普遍性へ』(影書房、1999年)という対談集、あるいは『プリーモ・レーヴィへの旅』(朝日新聞社、1999年)という著作もあり、そこで在日朝鮮人と日本社会の問題をユダヤ人問題やパレスチナ問題に架け橋するような新しい思考の回路が模索されている。

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 対談は、まず2日の講演を聞かれた徐さんが、その応答をするところから始まった。ここではそのごく一部だけを引用しておく。

「「ユダヤ人対アラブ人」「ユダヤ教対イスラム教」「西洋文明対イスラム文明」といった虚偽の対立構図を用いてする暴力行使の正当化を根本的に批判し、「占領と被占領」という対立構図にこそ問題の本質があるというシンプルな真実を粘り強く説いてきた人物たちの一人がエドワード・サイードでした。いわゆる「パレスチナ人」の側にサイードが存在し、いわゆる「ユダヤ人」の側にサラ・ロイが存在するという事実そのものが、単純で暴力的な対立構図を煽るイデオロギーへの貴重な抵抗であったといえるでしょう。(中略)

 そのサイードが2003年9月に亡くなりました。9・11の2年後、イラク戦争開戦の半年後でした。サイードは孤独でした。米国で多くの理解者を得ない彼は、実はパレスチナにおいても多くの理解者を得ていません。そのどちらにおいても、異なった意味でではありますが、彼は「場ちがい」であり、「よそ者」なのです。彼と同じように孤独な者、すなわち複数の共同体にまたがる人生を誠実に生きようと努め、そのことのためにどの共同体においても多くの理解者を得ることができない者は、この世界に少なくありませんが、今のところ、その者たちのそれぞれが、それぞれの場所で「場ちがい」であり、孤独なのです。その「場ちがい」な者たちは互いの姿をはるか遠くに認め、互いに出会おうとしていますが、しかし、互いを分断し隔て続ける壁はなお高く鞏固です。
 私はサラ・ロイさんもサイードがそうであったのと同じ意味で、孤独であろうと想像します。」

 徐さんは、このようにロイさんの「孤独」に思いを寄せつつ、続いて対談に入り、おもに徐さんの側からロイさんに質問を投げかける形で進んでいった。
 ヘウムノ絶滅収容所のわずか4人の生き残りの一人である父親について、そして、やはり収容所においてギリギリのところで生き残った母親について、話が進んだ。とりわけ、戦後にポーランドを離れるに際して、「ユダヤ人国家」イスラエルへ行くことを選んだ伯母と、それを拒否しアメリカに行くことを選んだ母との運命の交錯の話はとりわけ印象的であった。すなわち、世俗的でリベラルだった伯母はイスラエル国家と同一化しどんどんシオニスト(ユダヤ・ナショナリスト)的になり、逆に宗教的に経験だった母はむしろ、離散ユダヤ人の伝統に則り「多様な他者たちのなかでユダヤ人として生きる」ためにアメリカ移住を選択した。
 この母親が、その後のロイさんに強い影響を及ぼしたことは、自他ともに認めるところである。

 続いて話題は、ロイさんの母語であるイディッシュ語へ、そして民族と言語と国家という大きなテーマへと移った。イディッシュ語とはホロコーストによって破壊された東欧ユダヤ人コミュニティの言語であった。在日朝鮮人二世である徐さんにとって、「母語」は日本語であり、本来の「母国語」である朝鮮語は修得した不自由な第二言語である。故国喪失者にとって「home」とは何か、という問いが徐さんから投げかけられた。
 サラさんからはいくつかの次元で応答がなされた。両親、そしてともにホロコースト経験をしたユダヤ人たちの移住コミュニティのある「アメリカ」。さまざまな東欧ユダヤ人の文化生活が再構築されたその場所が「home」である、そして、ユダヤ人国家イスラエルはけっして「home」ではないし、「アット・ホーム」にも感じない、と。

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 逆にロイさんからは徐さんに対して、在日朝鮮人としての経験について、迫害されたユダヤ人と占領下のパレスチナ人とどちらにより共感をもつのか、あるいはどのような回路で共感をもつのかという質問がなされた。
 それに対する徐さんの応答は、よりどちらかに共感を覚えるということではなく、ロイさんが占領地で辱められているパレスチナ人を見たときに「これは両親がヨーロッパで体験したことと同じだ」と感じたように、特殊なものと普遍的なものとを結びつける力、他者の経験なのだけれどもそれを他人事とはせずに自分の問題圏に捉え直す力に感銘を覚えた、という点が強調された。在日朝鮮人という特殊な存在が、近現代世界でどのような普遍的な意味をもちうるのかということを考えさせてくれたのが、ホロコーストを経験したユダヤ人の文学であったり、パレスチナ難民の文学だったりした、と。

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 長時間で多くの論点にわった対談の要点をすべて記すことはできない。いずれ記録の全体を活字化することを予定しており、そのときに読んでいただきたい。
 最後に主催者として付け加えるのであれば、「普遍性」と言った場合に、欧米キリスト教世界中心のあるいは日本も含む経済大国中心の無反省で傲慢な「普遍主義」ではなく、またそれを脱却するとしても「すべては相対的にすぎない」と批判の基準さえも放棄するのではなく、被抑圧者あるいは第三世界に共有される「新しい普遍性」をいかにして構築できるのかというエドワード・サイードや徐さんの問い掛けは重要だが、しかしそれを、日本社会のマイノリティである徐さんやユダヤ人のロイさんに提起してもらってそのおこぼれに預かるのではなく、例えば日本社会のマジョリティである日本人としての私がいかにして自己批判をしながら「新しい普遍性」を目指すのか、ということが問われている。

(文責;早尾貴紀)

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