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【アピール】国際哲学コレージュに対するフランス政府の圧力に抗して

2008.12.10 小林康夫, 西山雄二

ジャック・デリダらが1983年に創設した国際哲学コレージュに、フランス政府からその存続の危機を脅かす圧力がかけられている。

国際哲学コレージュは、哲学研究に情熱を傾ける中等教育の教員にその研究教育の機会を与えようと門戸を開いてきた。フランスでは、高校で哲学の教員をしながら博士論文を執筆し、大学での常勤ポストを得ようとするポスト・ドクターが少なくない。国際哲学コレージュは公募審査を設けて、彼ら/彼女らにセミネールを担当する機会を与えている。現在、プログラム・ディレクター50名のうち、実に15名がそうした高校の哲学教員である(また外国人枠は10名)。また、国際哲学コレージュが根本的に国際的な研究教育組織である以上、彼らには国際的な活躍の舞台が用意されることになる。

ところが、現在の教育改革によって、こうした公務員の「兼務保証」が廃止され、彼ら/彼女らの研究の機会が奪われようとしている。これは国際哲学コレージュのアイデンティティを脅かすだけでなく、フランスにおける哲学研究の創造性と活力を削ぐ改革となるだろう。

現在のプログラム・ディレクターは聴衆と賛同者に公開書簡(日本語訳を以下掲載する)で連帯を呼びかけ、2009年1月17日に国際哲学コレージュを支援する討論集会をパリで開催する予定である。

私たちは、この問題に苦しむ国際哲学コレージュのプログラム・ディレクターたちに心からの連帯をおくると同時に、フランス政府によってこの措置が撤回されることを願う次第である。

2009年12月10日 小林康夫 西山雄二

【国際哲学コレージュによる抗議運動のサイト】⇒CIPh en lutte

【UTCPブログにおける国際哲学コレージュ関連記事】
2008.03.22 西山雄二訳/ ジャック・デリダ『条件なき大学』―UTCPとCIPh
2008.09.03 【現地報告@パリ】制度と運動――国際哲学コレージュ取材記
2008.09.08 【現地報告@パリ】学問の無償性――国際哲学コレージュ取材記(続)

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国際哲学コレージュの新旧プログラム・ディレクター、その聴衆と賛同者への手紙

国民教育省は2009年9月の新学期から公務員の「兼務保証」を撤廃する意向を示している。「兼務保証」とは、中等教育に従事する教員(現在15名)が、非常勤職として、国際哲学コレージュ(CIPh)での研究プログラムを担当することを可能とする制度である。この措置は二つの論理に基づいている。一方で、いわゆる公務員制度の「現代化」法は「兼務保証」を撤廃し、「出向制」に切り替えようとしている(そうなると、非営利団体が公務員の出向分の給与の穴埋めをすることになる)。他方で、国民教育省の「活動領域の再規定」が影響している。国民教育省は高等教育研究省から分離した後、狭義の学校教育に関係のない活動をことごとく放棄しようとしているのだ。

兼務保証を撤廃すれば、幅広い社会参加の機会が奪われ、教育が荒廃することになる。社会に必要な任務(就学困難な児童の支援、スポーツ関係の団体など)を遂行しているあらゆる類の非営利団体からその行動手段が奪われることになるだろう。国際哲学コレージュだけでなく、市民社会全体が危機に曝されるのである。近年、ヨーロッパ各国政府(とりわけイタリアとスペイン)は研究教育の公的制度を解体し続けているが、今回の決定はその一環と言える。国際哲学コレージュに関して言えば、この措置は特殊な次元を含んでいて、つまり、コレージュのアイデンティティが、さらにはその存在が根本的な危機に陥いることになる。つまり、これは哲学研究を窮状に陥れる脅威にほかならないのだ。

そもそも国際哲学コレージュは哲学を根本的に解放するという理念から誕生した。哲学研究は取得学位や履修科目を問わず、あらゆる聴衆に開かれていなければならず、フランス人と外国の研究者が互いに交流しなければならない。哲学研究は諸々の専門科目が交錯する地点に位置づけられなければならない。人文科学、精密科学、文学、芸術は哲学を必要としており、逆に、哲学もまたそれらの学を必要としているのだから。哲学研究は研究教育制度に属する研究者だけでなく、聴衆の関心を引く研究プログラムを提供しうるあらゆる人々によって実施されなければならない。中等教育と研究の連関は、創設以来、国際哲学コレージュのアイデンティティをなしてきた。思い出しておきたいのだが、この着想はGREPH(哲学教育に関する研究プループ)の活動から生まれたものであり、GREPHの発起人たちは高校最終学年だけで実施される哲学教育をさらに拡張しようと望んでいた。哲学教育を拡大するのは、原理的に言えば、研究が教育と深く結びつくことで研究内容が公になることが重要だからである。また、教職に就くすべてのひとに研究の精神がみなぎることは大切だからである。教養や都市における哲学の範囲という考え方は啓蒙主義の遺産なのである。

今日、国際哲学コレージュの活動は、国民教育省と高等教育研究省の分離が象徴する経済合理主義によって脅威に曝されている。経済合理主義を機械的に適用すれば、研究と教育の役割区分が切り離されてしまい、それは国際哲学コレージュが担う哲学の理念とは逆行するものとなるだろう。中等教育の教員は研究する必要などない、というわけである。哲学研究は細分化されたアカデミックな空間のなかに閉じ込められ、公式化され正統化された対象に限定されるのだ(にもかかわらず、領域横断性や学際性は大いに奨励されるのだ!)。国際哲学コレージュが国際的な評価を獲得しているのは、まさに、その研究活動が知の諸領域のあいだをしばしば横断しているからではないだろうか。コレージュが、20世紀後半のフランスにおいて、哲学の創造性を増大させ、その密度を高めたからではないだろうか。コレージュは、フランスにおいて、そして、国際的にみて、哲学の分野で重要な位置を占めており、その独創性は保護されるべき豊饒さを体現している。

国際哲学コレージュが活用してきた「兼務保証」制度を代替案なしに撤廃すれば、その影響は、中等教育に携わる現在のプログラム・ディレクターに及ぶだけではない。この決定はコレージュのアイデンティティと存在そのものを危うくするのだ。コレージュは、これまでその根幹をなしてきた哲学や哲学研究の理念とはかけ離れた、慎ましやかで害のないお飾りの文化団体と化してしまうおそれがある。この事態が明らかにコレージュの将来に関わるものである以上、私たちは今回の処置のことを広く知ってもらうために、あらゆる賛同者に、あらゆる手段を介して訴える(支援メッセージや行動提案はウェブサイトCIPh en lutteを通じて配信される)。

こうした目的で私たちは、国際哲学コレージュの新旧プログラム・ディレクター、その聴衆と賛同者を招いて、2009年1月17日土曜日、国際哲学コレージュを支援する討論集会を開催する。会では、コレージュでの経験を共有することを手始めとして、各人の発言やラウンド・テーブルを通じて、コレージュの多様な使命が検討され、コレージュの企図が現在の状況に照らし合わせて確認され、継続され、刷新される予定である。

国際哲学コレージュ 現プログラム・ディレクター一同

(日本語訳:西山雄二)

【日本語訳のPDF版のダウンロード】 ⇒ こちら


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