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【UTCP Juventus】 中尾麻伊香

2008.09.22 中尾麻伊香, UTCP Juventus

UTCP Juventus第22回目はRA研究員の中尾麻伊香が担当します。

私はこれまで核のイメージ研究を行ってきました。これまでの研究活動の概略をここでご紹介します。

□■博物館の展示研究■□

原爆のイメージは、社会的政治的背景に大きく依存しています。原爆投下50周年を迎えた1995年にスミソニアン博物館でのエノラ・ゲイの展示企画をめぐって巻き起こった論争は、米国内はもとより日米間の原爆観に大きな相違があることを浮き彫りにしました。私は歴史認識と科学技術観とはどのような関係にあるのかという関心から、博物館というメディアに着目し、2005年にアメリカのラスベガスにオープンしたばかりのAtomic Testing Museum(核実験博物館)と、広島をはじめとした日本の博物館を訪れ、展示の比較研究を行ないました。 
⇒神戸大学大学院総合人間科学研究科のニューズレターに執筆した研究紹介です。

この研究で、博物館展示において、科学技術の言説が一見客観的なものとして説得のために利用されていること、またその具体的な手法を明らかにし、修士論文「「核」とイメージ―博物館展示の考察」を、神戸大学総合人間科学研究科(指導教官・塚原東吾)に提出しました。
 
* 大学院修士課程では、修士論文執筆のほか、フィールドワークや、国際学会への参加、シンポジウムの運営など、さまざまな経験ができました。⇒このページは私が中心となって運営した神戸シンポジウム:「人体について考える」の記録です。

□■京大サイクロトロン■□

修士論文をまとめたころ、京都大学で開催されていたサイエンスライティング講座で研究内容を発表しました。そのとき京都大学の博物館地下収蔵庫に「戦時中の核研究の遺品」が保存されているということを知り、⇒記事を執筆しました。

その後、聞き取り調査や資料調査を重ね、その一部をドキュメンタリー映画「よみがえる京大サイクロトロン」としてまとめました。この作品の上映&ディスカッションを、今年3月の京都試写会をはじめとして、全国各地で行ってきました。現在は映画祭への出品、DVD制作に向けた編集作業を行っています。⇒上映の予告などはこちらのブログにて紹介しています。

来月には京大のグループが日本植民地時代に加速器を用いてはじめて原子核破壊実験に成功した台湾を訪れ、関係者へのインタビューや研究発表を行う予定です。

□■戦前・戦時中の原爆イメージ■□

京大のサイクロトロンと関連して日本の原爆研究について調査を行う過程で、当時のメディアにおいても原爆や原子力についての情報が登場していたことがわかりました。東京大学大学院総合文化研究科にきてからは、日本における戦前・戦時中の原爆イメージについて検討しています。7月にはジョンズ・ホプキンス大学で開催された東アジア科学史国際会議で発表を行いました。⇒UTCPのブログ記事を参照ください。

原爆の実用以前、原子力は科学技術万能時代の象徴でもあり、原爆は日本を戦争の勝利に導く救世主でした。こうしたイメージの背景を探るため、今後は近代思想、啓蒙思想、ユートピア思想と科学技術観との関係から、原子力(原爆)がどのように想像されてきたのかを検討していきたいと考えています。

□■脳科学と倫理■□

今年の春からUTCPのRA研究員として、中期教育プロジェクト「脳科学と倫理」に携わっています。プロジェクト研究員の多くは哲学者として倫理的問題に取り組んでいますが、私は科学史・STS・科学コミュニケーションの観点から、「脳科学と社会」というテーマで取り組んでいます。前期にはJesse J. Prinzの”Emotional Construction of Morals”を講読し、7月のJesse J. Prinz 連続講演会におけるワークショップでは、哲学上の思考実験と原爆投下をめぐる歴史論争を絡めて、いかに倫理や規範とされるものが(抽象的ではなく具体的な)社会的コンテクストに依存しているかという小提題を行いました。Prinzからは哲学と社会との接点をめぐる興味深い応答をいただけました。このプロジェクトで今後、脳科学者へのインタビューや、脳科学をめぐる対話フォーラムなども企画していく予定です。

□■

以上の研究は、それぞれ完成したわけではなく継続して進めています。核と人間の文化史を私なりの視点で編みなおすことが目標です。そこから「共生」せざるを得ない核(や科学技術)と人間社会との関係を考えていきたいと思います。

私の関心は、科学や技術そのものより、それをとりまく人間や社会の諸相にあります。私が専門分野としている科学史は、人々がどのように世界を把握しようとしてきたかという歴史でもあります。私は大学4年間、探検部と映像ゼミに所属し、世界をいかに自分なりの手法で切り取ってみせることができるのかを日々模索してきました。そうすることによって、この広くて混沌とした世界とつながることができるような気がしていたのでした。いまは歴史研究によって、それを続けているのだと思います。まだまだ前途多難ですが、環境に恵まれ、充実した研究生活を送っています。

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