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【報告】富山氷見出張その3——食べる・作る・まとう 〜 フィッシュレザーの現在(後半)

2023.11.21 梶谷真司, 堀越耀介, 宮田晃碩, ライラ・カセム, 山田理絵, 桑山裕喜子, 秋場智子

【報告】富山氷見出張その2——食べる・作る・まとう 〜 フィッシュレザーの現在(前半)はこちらです。

 魚の皮は好きな人もいれば、嫌いな人もいる。UTCPセンター長の梶谷先生は魚の廃棄物の多さの理由について質問をされた。一般に食べられずに捨てられてしまう魚の残りの部分は、一回で大量に集めることができない。野口さんは、「ゴミ」として散り散りに捨てられていくのも、再利用の難しさになっていると考える。tototoのスローガンは、「私たちの世代で全てが価値を持つ世界へ」であるという。そこでは「価値がない」といえるものがない世界が念頭に置かれている。それは、フィッシュレザーの製品作りを通し、「魚の皮」という普段「価値のないもの」と考えられているものの価値を再発見することの実践に繋がっている。
 スタッフの宮田さんは、製造のために一度に大きな皮が必要になったり、また大きい皮をとろうとすることで事業が皮の入手のために他の部分を犠牲にしてしまったりといったジレンマは起きまいか、という質問を投じる。「とれた皮のみ」を「とれたサイズで」加工する、というのが野口さんの会社のスタンスということだが、もちろん、それは計画的な製造や出荷を約束することが難しいことをも指すだろう。

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 発表直後のディスカッションでは、様々なテーマが挙がり、盛り上がった。ヨーロッパではSDGsの意識は随分前から広く浸透している。この流れで野口さんの製品ももっと注目されていくようになるかもしれない、とコメントを残すのはスタッフでデザイナーのカセムさん。報告者自身もヨーロッパで生活していた時のことを思い出し、同じように感じた。例えばフランスの芸術界では19世紀にジャポニズムが起こったが、戦前戦後の紆余曲折を経た今日でも日本のアートや工芸品に対する愛好は根強い。報告者自身としては、芸術界での交流とSDGsとを組み合わせた文脈で野口さんの製品を紹介したら、大変な人気を呼ぶのではないか、という風にしか思えなかった。

 ディスカッションをしながら、工房の入り口に飾ってある野口さんの作品・製品を見せてもらった。鮭の皮で作ったベストは野口さんが大学生時代に学んだ漆の加工技術を使い、金箔で覆ってある。皮はキラキラと輝いているだけでなく、鮭の質感も手に取るようにわかる。アイヌの人々が昔鮭の皮を使って服や靴を作っていたことも思い出される。

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当日のオンライン配信映像から。

 現在市場に回っている製品として、その他にスマホケースや、お財布、カードケースの他にも様々な色と質感のレザーの見本を見せてくださった。ベージュ、茶色、オレンジ色の皮とそれらの色のものも。紺色、青色、ターコイズブルー、ブルーグリーン、深緑、といった色のレザーが並ぶ。いわゆる「鮫肌」ならぬ本物のサメのレザーもあった。紅花や藍を使って染色しているレザーを見せていただいた。

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 現在は福井県の地域おこしの一環として、福井県産の鯉の食べ残しの皮をレザーにできないか、という依頼が来ているそうで、その加工過程も見せていただいた。梶谷先生は、この先、各地でとれた魚でレザーを提供するといった、全国展開もできるかもしれない、とおっしゃった。工房に置いてある制作過程にある魚皮を目の前にしながら、「思ったほど魚臭くない」ことに気づくスタッフ一同。魚皮を入手した時にすぐに油脂をとることで、魚の生臭さが消えるから、だそうだ。それは、皮を受け取ったらすぐに油脂を取り除く作業に取り掛からなくてはならない、ということでもある。

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 現在、手作業で生産をする野口さんに、機械を使用した生産作業の可能性についてスタッフの堀越さんは質問する。これは後に話題に上がる生産倫理の問いと繋がってくる。機械を使ってフィッシュレザーを作ることは可能だが、一般に使用可能な機械は牛革用のものであるためサイズが大きく、それ相応の大量の魚皮を生産に回さなくては売り上げにもつながらないというのが現状だそう。野口さんを含め、正社員扱いの人々やアルバイトさんを含め六人で作業をしている中、一定の生産高が保証されなくては、量生産も、雇用形態の確立も難しい。

 最後に野口さんからの問いをもとにディスカッションに花が咲いた。生産と雇用との関係について、一定の生産と売り上げが保証できる状態でないと、正社員を雇うことはできない。そこにあるジレンマに悩まされることが多いと野口さんは語る。東京の国分寺で「クルミドコーヒー」を経営する『ゆっくり、いそげ』(大和書房、2015年)の著者、影山知明さんを例に、梶谷先生は「不特定多数」ではなくて、「特定多数」の人々に向けて価値を共有することの可能性について論じられた。「不特定多数」を狙った生産は、できるだけ多くの人々にできるだけ多くを消費してもらう、というコンセプトであり、それに対し「特定少数」の場合は家族、知人や友人をターゲットに経営することを指す。しかし、「特定多数」を対象に経営をする場合、それ自身として価値のあるものを提供することで、特定少数よりは多くの人に価値を共有してもらうことが可能になる。(クルミドコーヒーについてはこちらを参照
 地域通貨や金券等を市場で使う際も、同様に気をつけないと、「損得勘定」で消費する感覚を助長することに繋がりかねない、と梶谷先生は指摘する。同じく国分寺には2012年に導入され、今でも存続する地域通貨があるという。「ぶんじ」という通貨紙幣で、感謝の気持ちが起こったときに、そのメッセージを紙幣の裏に記し、手渡す通貨だそうだ。(国分寺の地域通貨「ぶんじ」についてはこちらを参照
 例えば第一次大戦直後、ドイツ経済低迷期に一部的に登用されたゲゼル型地域貨幣においても、似たような特徴があったと梶谷先生は語る。ゲゼル型貨幣は、ヨハン・シルヴィオ・ゲゼル(1862–1930)が考え出した、一定期間使うと価値がなくなる通貨のことである。第一次大戦直後の不況下で登用されたもので、結果として地域によっては失業率が0になったところもあるという。このゲゼル貨幣を使った場でも、所謂「儲け」とは違うコンセプトで、貨幣を使わざるをえない場を作るという構造が成立した。消費の形態を変えると、これまでとは違うところに価値のありかを作り出したり、見出したりすることに繋がりやすい。
 もちろん、完璧な制度があったとして、それがあれば全てがうまくいく、という話でもない。とはいえ制度が変わらなくては、変化しない部分もある。「哲学」が学校教育や現代社会にとる立ち位置を考えてみても、似たような問題が見出されうる。昔は「哲学をやっている」と言うと周りの人に変な目で見られたりしたのかも知れない。梶谷先生は、ドイツで「哲学をやっている」と言うと、尊敬されたりする、と語る。報告者自身がドイツに留学をしていた時には、「哲学やってその後どうするの」と心配されることすらあったのを思い出す。それは立場が違かったから、というのもあるかも知れないが、時代が変わってきているから、というのもあるかもしれない。現在日本では、「哲学対話」の実践が高校や企業で導入され、既に定着しつつある。その意味では、時代も変わって来ているのは確かだ。しかし全ての人が「哲学いいよね」と言うようになる時代が来たら、それは注意をしなくてはならない、と梶谷先生は指摘する。その時に「みんな」の言う「哲学」とは果たして一体どういう哲学なのか。「みんな」と言った瞬間に「みんな」に入らない人々の考える「哲学」はどこに行ってしまうのだろうか。

 環境問題一つをとっても、課題は山積みだ。ようやっと日本でもSDGsといったコンセプトが聞けるようになったが、これはもちろん新しいものでも何でもない。また、コンセプトのみが商品のように浮遊し始めてから久しいが、それも環境問題改善の根本的な解決策には繋がらないだろう。フィッシュレザーの製品作りを通し哲学的な問いに対峙する野口さんも、人間と自然の関係性について根本的な変化が必要であると見ているようだ。「臭い」とか「気持ち悪い」と言ったイメージを持たれやすい魚の皮だが、きちんと扱うことができれば、美しいレザーになる。現代都市社会の生活スタイルにおいては、そもそも鮮魚自身の美しさはもとより、その「臭さ」すら思い起こされることなく消費され、日常生活は進んでいく。身近にある自然との対話が後回しにされながら、コンセプトのみモットーとして掲げられても、社会の根本的な変化は期待できないのではないだろうか。日本では日々大量に使用され、破棄されているプラスチック容器や製品が目立つが、その消費量を減らしたい、と個々人が願っても、市場でプラスチック未使用の商品を見つけることはもはや不可能に近い。(日常生活におけるプラスチック・ゼロ運動の困難さについては斎藤幸平先生の『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA、2022年)を参照。)本当は、一人の努力のみならず、体制が変わることで変化は促されていかなくてはならない、と梶谷先生は言葉を残す。とはいえ、個々人としても、何もしないでただ待っているというわけにもいかない。野口さんの志が伝わってくる。
 最後に、何か新しいことで制度や固定観念を変える、というときに社会の「3,5」パーセントの支持層が必要だ、という政治学者エリカ・チェノウェスの分析の話が挙がった。公民権運動や女性の解放など、制度を変えた民衆の運動は、まず3,5パーセントの支持層から始まったと言われている。野口さんの活動はこれから、国内外で注目を浴びていくに違いない。その時には「不特定多数」ではなくて「特定多数」の理解者と支援者が少しずつ増えていき、フィッシュレザーとの出会いを通して自然との関係性の構築についてハッとさせられていく人々の数も増えていくはずだ。現時点においても、たとえフィッシュレザーのことは知らなくとも、日常生活の何かを本当は変えたいと思っている人の数は、もう日本社会の3,5パーセントを超えているのではないだろうか。そんなことを考えずにはいられないイベントとなった。(報告:桑山裕喜子)

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