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【報告】高須元太 国際哲学オリンピックギリシャ大会への旅を通して

2023.07.27

こんにちは。第31回国際哲学オリンピックに日本代表として出場した高須元太です。

大会は西洋哲学の出発点であるギリシャ、そしてオリンピック大会の起源であるオリンピアでの開催でした。世界中の同じ年代の哲学者たちがたくさん集まり、エッセイライティングで競い合うのはもちろん、エクスカージョンやパーティーなど様々なイベントが用意されています。この特別な環境で多くの出会いがあり、友情を築き、楽しみ、学び、そして考える。この旅で言葉では表しきれないほど色鮮やかで、貴重な体験をすることができました。この大会を通して、もちろん哲学の知識を得ただけではなく、ギリシャという歴史豊かな文化がある場所で個性豊かで様々なバックグラウンドを持つ人たちとの対話を通して、異なる観点から物事を考え感じることができ、「自分」がいる世界自体が大きく変わったとはっきりと感じることができるほど物事の捉え方に大きな変化や進歩がありました。この報告でできるだけこれらのことを伝えられたらいいなと思います。

初日、他国の代表と顔合わせした時から、対話を通して彼らの国について学んだだけではなく、日本についても多くの学びがありました。まず、芸術、感性や美徳に関して、お互いに問いを投げたり対話を通して僕は日本文化をより深く理解できるようになりました。アニメについてはもちろんのこと、太宰治や三島由紀夫など日本文学に精通している人も多く、日本文化について語り合いました。そして、お互いの国の文化の根底にある感性や美徳について多くのことを話し合いました。これらのとても抽象的な物事について言葉にして説明するのがとても困難でしたがお互いいろいろ問いをぶつけ合い、お互いの文化と比較をした末に、相手も理解してくれ、かつ自分の持つ日本の文化についてのぼやっとしたアイデアが固まりました。政治に関心を持つ人が多く、安倍元首相の事件や皇室の話、さらに日本の他国との領土問題や安全保障の議論を持ち掛けられ、これらの事柄について外国から見た意見というものはとても新鮮で、自分の持つ意見の前提や偏りを露呈し、そしてこれをきっかけに考え直す機会となりました。ほかにも、ギリシャ代表のスタヴロス が片言で「テンノウヘイカバンザイ」とか言い出したりして何で知っているの?!となったり。今まで考えたこともなかったけれども縦書きやひらがなカタカナ漢字の3つの文字を使うことを珍しがられたり。会話を通して他国の代表が日本についての知識が豊富で驚いた反面、自分の他国事情の勉強不足や、日本のことについてもこのような視点から一度も考えたことがなかったことに気づきました。各国の政治的混乱や貧困など、普段日本に住んでいてはさらされることのないような話を聞き遠い国の事柄だったものが身近に感じられるようになりました。

また、哲学の議論を通して自分の持つ考え方の特色(特に物事の価値観や宗教的な影響)を他人の主張などの比較を通してより深く知ることができました。例えば、Nurture vs Nature の議論のなかで人の善悪が先天的であるのかという議論をしていた際には、出身国の状況や個人の思想の強く反映されていて倫理の定義の相違や倫理の捉え方の大きな違いが顕著に表れ、その異なる思想をお互いにぶつけ合い面白い議論を織りなしていました。この環境で議論に参加していると自分の考えの前提や価値観がはっきりとわかり、強みと弱みがはっきりとわかってきました。ほかにも、3日目にはNatural gifts and moral obligation(生まれながらの才能とそれに伴う倫理的義務)の講座について英語の才能を意味する”gift”に含まれる神の存在を林先生が指摘したことは思想が言語など人の根本的な部分に及ぼす影響を考えるきっかけとなりました。この大会を通して、様々な考え方に対話を通して接し、自分の持つ考え方をお互いにぶつけ合い、そして主観的な考え方の外から物事を考えなおすよい機会になりました。

一日目が無事に終わり、2日目になるとエッセイライティングの本番です。IPO のエッセイライティングでは古今東西から選ばれた4つの課題文が与えられ、その中から1つを選び4時間かけてそのお題に沿った議論を組み立て、英語でエッセイを書いていきます。この大会に先立って準備として梶谷先生、榊原先生、林先生にエッセイの練習したものを添削してもらい、自分の強みと弱み、そしてエッセイにおいて気を付けることを指導していていただき、準備は万端でした。世界で自分の哲学が通用するか未知の部分があったのですが、それゆえ自分の強みを思う存分に発揮しようと楽しみにしていました。

自分が選んだ課題はヒュームのクオートです。

When you pronounce any action or character to be vicious, you mean nothing, but that from the constitution of your nature you have a feeling or sentiment of blame from the contemplation of it. Vice and virtue, therefore, may be compared to sounds, colours, heat and cold, which, according to modern philosophy, are not qualities in objects, but perceptions in the mind.
どのような行動や性質を悪だと言明しても、それは単なる人間の性質から生まれるそれらの考察によって感じる感情や非難の感情である。つまり、悪徳と美徳は近代の哲学によると物体の性質ではなく、精神の中で知覚する音、色、熱、寒さと比較できる。

この倫理と経験論の融合したような課題を選んだのは、まず練習から自分の強みは倫理の課題にあることを把握しており、また人間の認知の構造について知識があったので自分に合った最適なトピックでした。エッセイでまずヒュームの倫理の合理性を論証し、認知の構造からヒュームの言う近代の哲学を否定し、そして物体の性質に美徳悪徳が含まれるのかという3つの論点からヒュームの立場を否定的に議論しました。エッセイの4時間において、この3つの論点に加えて経験的知覚と精神的知覚の価値の話をする予定だったのですが、3つ目が思ったより時間がかかって断念。今思えば3つ目の物体の性質の話は1つ目の話と重複する部分があったので融合して論じ、4つ目の議論で締めくくれたらよりよい議論になっていたと思います。それでも、2つ目の論点は個人的に自分の興味と強みが合わさってとても説得力のあるものになったと思います。授賞式でHonorable Mentionの授与の時に名前が呼ばれた時には身体の中から太陽が湧き出るぐらいうれしかったです。

エッセイが無事に終わったあとは残りの大会を楽しむだけでした。2日目と3日目にはエクスカージョンやパーティーなどが待っていました。2日目には古代オリンピアを訪れ、3日目にはアポロン神殿へ。それに加えてパーティーが毎晩午前三時まで続き、多くの人と交流することができました。特に印象的だったのが2日目の古代オリンピアの遺跡でした。遺跡を回りながらガイドの方がギリシャ文化を深く説明してくれました。ギリシャ文化は心と体の調和を大切にし、芸術、音楽、演劇や哲学を通してその調和のとれた豊かな人間性をはぐくみます。例えば、ミュージアムに展示されている彫刻の美しさです。2千年以上前に彫られた美しい神の肉体が静かに動き出そうとするような佇まいの彫刻に美に対する古代ギリシャ人の理解と感性の奥深さが垣間見えました。また、音楽についての古代ギリシャ人の考え方が特に心に強く残っています。彼らにとって音楽は人の心と肉体のつながりを強くし、調和をとれた人間を形作るために重要な文化の一部でした。心の奥底にある無限の言葉の羅列をもってしても表しきれない思いや感情を体を通してリズム、歌、体や楽器を操り、心を音に共鳴させて音楽を通して洗いざらい表現し、肉体で感じ、そしてまた心で理解する。僕の趣味である音楽への考え方はこの大会を通して大きく変化したことの一つです。音楽に関してほかにも榊原先生に「エッセイライティングも音楽だよね」と言われ、しばらく考えてきてからその意味がしみこんできました。哲学の議論も音楽も同じように一つのテーマに対してその上を自由に滑空していろいろな角度からそのテーマを挑戦し、一貫した作品と創り上げる。このような視点を持ったうえで音楽を聴き、また哲学について考えると、新しい楽しみ方が生まれてきます。また、マセドニア代表のディミタールと行きと帰りのバスの中でThe Beatles とNirvana をカラオケしていたのですが、行きと帰りではこれらの歌が持つ意味がだいぶ変わっていました。様々な国の人と出会い、4日間を一緒に過ごし、そして別れが訪れる。この一期一会の切なさなのか感謝なのかがThe Beatlesの歌詞に載って昇華されていくことがとても心に響きました。こんなことをしていたらこの姿が榊原先生によって俳句にされていました。情景を五七五にありのままに映し出すことは心に残り、しかも作る過程の試行錯誤が面白い。普段記憶に残るような風景をすべて写真に残すわけにはいかないのですが、俳句は後からでも残していられる。最終日の夜はチームジャパンでアテネの町を歩き、俳句を詠む旅となりました。そんなこんなで日本に帰ってきてからも心の余裕があるときに作っています。

処女作;木漏れ日や燕飛び込む古き石壁

アクロポリスで作った三字余りの歌;雑踏の奥に佇む孤高のいにしえ

この国際哲学オリンピックを通して、あらゆる事柄について様々な側面から吟味し、主観を超えた物事を考える力を培うことができました。帰国後、考えや哲学に限らずすべての事柄への取り組み方の変化を、ほかの世界に滑り込んでしまったと勘違いするぐらいはっきりと感じることができます。この旅を通して多くの出会いを通して思想、価値観、意見に触れてこの力を培い、哲学者を育てることが哲学オリンピックの意味だと僕は思います。一緒に旅をした榊原先生、林先生、多田さん、そして旅を実現させてくださった梶谷先生、佐々木さんと上廣財団の方々、この貴重な機会をいただき本当にありがとうございました。

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