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【報告】2022年度UTCP上廣共生哲学講座キックオフシンポジウム「共生のテクスチャー The Textures of Inclusion」

2022.08.17 梶谷真司, 山田理絵, 中里晋三, 宮田晃碩

 2022年7月24日(日)に、2022年度UTCP上廣共生哲学講座のキックオフシンポジウムが開催された。
 「共生のテクスチャー The Textures of Inclusion 〜 異世界のふたりが紐解く『ゆるさ』のデザイン」と題された本シンポジウムには、ゲストスピーカーとして、澤田智洋さん(世界ゆるスポーツ協会代表理事、『マイノリティデザイン』著者)と、加納土さん(『沈没家族』著者・映像監督)にご登壇いただいた。参加者の皆様には、シンポジウムの様子をオンラインでご視聴いただいた。

 澤田智洋さんは、大学卒業後の2004年から現在まで広告会社に勤務されており、かつ、ここ10年ほどは広告のお仕事を起点として「広告とスポーツと福祉の間」で活動を展開されている方である。はじめに、2021年に出版されたご著書『マイノリティ・デザイン』(ライツ社)に詳しいが、澤田さんの広告のお仕事と、スポーツや福祉に関する社会活動をはじめられた経緯について、ご著書も参照しながら紹介させていただこう。
 澤田さんは、広告会社に入社してから1年ほどで、かねてより志望していたコピーライターの業務ができる部署に配属されたそうだ。ほどなくして清涼飲料水や映画の広告を担当するようになり、澤田さんのキャッチコピーは渋谷駅前の大看板や山手線内に踊った。やがて「広告業界の花形」と言われるCMプランナーの仕事に就き、多数の大きなプロジェクトで活躍されてきた。しかし、ある時、仕事への関わり方を見直す機会があったといい、澤田さんはご自身の意向でCMプランナーのお仕事を離れたそうだ。その後はコピーライターの仕事を基盤にしつつも、広告にとどまらない仕事をされてきた。例えば、人気のフリーペーパーで短い漫画を連載する企画を実施されている(当時、私も読んでいました!)。6年に及ぶ連載期間の中で、漫画のキャラクターと大手企業とのタイアップ企画も複数実現されたという。他には、大手企業の新商品PRのために、ヘビメタバンドをプロデュースするという企画も行なっている。
 このように広告業界を中心に活動をされていたが、澤田さんは、ある時再び、仕事への取り組みに影響を与えるような出来事を経験されている。それは、澤田さんのお子さんに障害があることが分かった時のことだ。生まれて3ヶ月ごろのとき、お子さんは目が見えないと告げられたという。澤田さんは、お子さんの障害を知ったことをきっかけに、障害を持っている人が実際にどのような社会生活を送っているのかを知るため、さまざまな障害を持つ200人近くの方に会ってインタビューをされたという。また、目の見えない人がプレーをする「ブラインドサッカー」およびプレーヤーの方々と出会い、広報に関わったこともあったそうだ。
 こうした出来事のなかで、既存のスポーツでは「弱い」立場に置かれてしまう人、ハンディが生じてしまう人も、気後れすることなく楽しんで参加できるスポーツへの構想が徐々に練られていった。この構想はのちに「ゆるスポーツ」として結実する。シンポジウムでお話されていたように、実は、澤田さんご自身も「スポーツ」に対する特別な思いを持っていた。それは、自分がスポーツ「弱者」であるという思いだ。例えば、体育の授業で三点倒立をせよと言われたときには、クラスでただ一人、澤田さんだけができなかった。体育の苦い経験もあり、大人になってからもスポーツにはなるべく近づかないで生きてきたそうだ。
 「ゆるスポーツ」は、澤田さんのスポーツに関するネガティブな経験、さまざまな障害とともに生きている人々との出会い、そして体力や運動の能力、障害などの理由で既存のスポーツには馴染めなかった人々、スポーツに傷付けられてきたであろう多くの人々への思いが重なるところで生まれていった。
 では、「ゆるスポーツ」にはどんな種目があるのだろうか。例えば「500歩サッカー」について見てみよう。一般的に、サッカーと言えば、コートの中をガンガン走り、軽快なパスでボールをまわし、シュートを決めていくものだろう。走るのが遅かったり、パスでもたもたしていたりすれば、チームの足を引っ張ってしまうかもしれない。ところが、「500歩サッカー」では、たくさん動き、早く動けば負けてしまうのだ。この種目では、一回の試合につき、選手は500歩の歩数制限の中でコートを移動しなければならない。また、ゆっくり動けば歩数は1だけ引かれるが、激しく動けば歩数は10も引かれてしまう。それぞれの選手は、背中に歩数のカウンター「500歩サッカーデバイス」をつけて動き、持ち歩数の500歩がなくなったら、その場でレッドカードとなる。ただし、その場で休んでいると4秒目から1秒ごとに1歩ずつ歩数が回復していくのだ。これらのルールから分かるように、一般的なサッカーでは「強い選手」となるような、たくさん動ける、早く動ける人が、「500歩サッカー」においては全く強みが発揮できない状態となる。その代わり、あまり早く走れない人、パスをゆっくり回す人が明らかに不利な立場に置かれることはない。これはMIZUNOと共同開発され、2022年7月に発表されたばかりの新種目だ。
 また、「イモムシラグビー」という種目がある。これは、独自に開発された「イモムシウェア」を着て床に寝転び、上半身を使ってラグビーをするスポーツだ。これは澤田さんが、車椅子ユーザーの友人の動きを見たときに構想が始まった種目だという。その友人の方が家の中で車椅子を降り、上半身のみではって移動するとき、その速度がとても速かったことに澤田さんは驚いたという。そこで、このような動きが強みとなるようなスポーツはできないかと考えたのだった。
 最後に「ベビーバスケット」を見てみよう。このバスケで使うボールにはセンサーとスピーカーが搭載されている。そして、選手がボールを激しく動かせば、それをセンサーが感知して「えーん!」と泣き出す。もしボールが泣き出したら、相手チームにボールが渡るのだ。また、シュートの代わりに設置されたゆりかごにボールをそっとおいたらゴール、というルール設定である。つまり、この種目ではゆっくり動き、ボールを赤ちゃんのようにそっと扱える選手が有利になるといえるのだ。他方で、既存のバスケのごとくフェイントの動きをしようものなら、すぐさま相手ボールとなってしまう。ちなみに、この泣き出すボールは、面白法人カヤックやMIZUNOと開発されたものだそうだ。
 シンポジウムで澤田さんが強調されたように、これらの種目を見ると、「ゆるスポーツ」においては、既存のスポーツのルールが再設定されていることが分かる。既存のスポーツでは、多くの競技において、より早く、強く、高くが求められる。したがって、スポーツに参加するためには、私たちがスポーツの求めるものに近づく努力をしなければならない。でも、みんながみんな、スポーツに近づけるわけではない。また、スポーツに近づいていっても弱い立場に置かれたり、排除されたりして傷ついてしまうこともある。反対に、「ゆるスポーツ」では、スポーツの方が人々に近づいてくることをイメージして作られているという。したがって、既存のスポーツでは、体力や身体の大きさなどの理由で不利な立場となる人々や、身体的な障害や内部疾患のために参加を制限される人々も、「ゆるスポーツ」には、参加するハードルがぐっと低くなるのだ。それどころか、種目によっては、一般的なスポーツに自信がない人や参加が制限されている人の方が圧倒的に強い立場に立つこともある。
 2015年に「世界ゆるスポーツ協会」が設立され、種目数は2022年7月現在でなんと110種目!もある。種目開発の過程では、他の企業や自治体と共同開発したり、自治体と協働して地域の人と共に種目を考えることもあったりしたという。種目が増える度に、それまでスポーツの「外側」にいた人たちの声がすくい上げられ、スポーツの「内側」へ巻き込巻き込まれていった。こうした活動を振り返りつつ、澤田さんは、「to be continued…感を作ることが共生社会の鍵ではないか」とおっしゃった。

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左から、加納土さん、澤田智洋さん。

 もう一人のゲストスピーカーである加納土さんは2019年に公開されたドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』の監督である。翌年には『沈没家族——子育て、無限大。』(筑摩書房、2020年)も出版されている。では、「沈没家族」とは何か。それは、加納さんご自身が幼少期に共に過ごした「家族」の方々のことであり、その「家族」による幼少期の加納さんに対する共同保育の実践のことであると言えるだろう。
 加納土さんは、1994年、鎌倉に生まれた。母親は加納穂子さんという方だ。穂子さんは、婚姻という関係を取らず土さんを産んで約8ヶ月後にパートナーと別れシングルマザーとなった。その後、土さんが1歳になる頃に鎌倉から東京の東中野に移り穂子さんが始めたのが、「共同保育」という試みであった。穂子さんは、日中仕事に出掛けていたが、その時間に土さんと一緒に過ごしてくれる人を募集した。すると、穂子さんに声をかけられて、2人が暮らすアパートに、少しずつ人が出入りするようになったのである。土さんによれば、彼が過ごした共同保育の期間は、住んでいた場所の違いを基準に2つに分けられるというが、この時期は共同保育の「第一期」であるという。
続く「第二期」の共同保育は、引っ越し先の一軒家のアパートではじまった。
 この頃になって、共同保育に参加していた人たちはこの共同保育の試みを「沈没家族」と名乗るようになった。加納さんによれば「沈没家族」には次のような由来があるという。「第一期」の共同保育が始まってしばらく経った後、穂子さんは参加メンバーを増やせないかと考えた。そこで、その時参加していたメンバーとともに、共同保育の活動を記載した機関紙を作成して、当時住んでいた場所の近くで配ったという。ある時、穂子さんが駅前でチラシを配っていると、たまたまそこで演説をしていた政治家がこんなことを言っていたそうだ。昨今の日本では、男女共同参画が進み、男性が外で働き、女性が家庭を守るといった「家族」の形が変化しつつある、そして離婚も増えつつある、このままでは日本は「沈没」してしまうだろう!と。
 それを聞いていた穂子さんは、「それなら沈没しようではないか」と思い、自分たちの共同保育の試みを「沈没家族」と名付け、「第二期」共同保育の場となるアパートを「沈没ハウス」と名付けたという。「沈没ハウス」には、穂子さんと土さんの他に、2組の母子とシングルの若者数人が共同生活していて、お互いに空いてるおとなが子どもと食事をしたり遊んだりしていた。その他、住人以外にも都合のつく時間に「沈没ハウス」にやって来て、保育に関わる参加者もいたという。また、「沈没ハウス」を訪れる人の中には必ずしも土さんのお世話をする人だけでなく、保育にはかかわらずなんとなく遊びに来るような人もいたそうだ。土さんは、そんな人々を見ながら、「あの人ずっと隅っこの方に座っているなー」と思ったりしていたという。
 「沈没ハウス」での「第二期」共同保育は、土さんが小学校3年生になる頃まで続いた。その頃、土さんは、穂子さんの意向で八丈島に移住することになったのだ。加納親子が八丈島に移住した後も、共同生活は続いていたが他の母子も外に引っ越していき住人も入れ替わる中で、「沈没ハウス」での共同保育はだんだんと終わりを迎えた。
 ドキュメンタリー映画および著作の『沈没家族』は、大学生になった土さんが、「沈没ハウス」で過ごした日々を中心に、ご自身のこれまでを振り返っていくという内容だ。そこには、母親の穂子さんや、当時の「沈没家族」のメンバーだけでなく、幼少期から離れて暮らすことになった父親の「山くん」も登場する。土さんは、「沈没家族」から離れるまでの約7年間、平日は「沈没ハウス」で過ごし、土日は山くんのところで過ごすという生活をしていたという。もともと『沈没家族』は、土さんが大学の卒業制作のために撮影したドキュメンタリー映像が映画化されたものである。土さんによれば、八丈島に移住して以降疎遠になっていた「沈没家族」の人々と、「出会いなおしたい」と思ったことが、撮影のきっかけだったそうだ。
 シンポジウムでは、加納さんから『沈没家族』の概要をご紹介いただいただいた後、実際の「沈没家族」での生活や参加者との関係についてさらに詳しくお話をしていただいた。「沈没家族」の大前提として、お金のやり取りをしないこと、「共同保育」は、各メンバーができる時間で、できる範囲で参加するということが大切にされていたとおっしゃった。このようにそれぞれが無理なく、役割を固定せずに保育に関わるという、ある種の「ゆるさ」が重視されていたといえよう。その一方で、こうした「ゆるさ」を保つために、情報交換や意見の擦り合わせなどといった言葉のやりとりも活発に行われていたようだ。各メンバーは、その日接した土さんの様子についてノートに記録して別のメンバーに情報を伝えたり、月1回の頻度で会議を開いたりしながら、「沈没ハウス」を維持していくためのコミュニケーションを密に取っていたという。『沈没家族』の詳細は、ぜひドキュメンタリーやご著書を参照していただきたいが、以上が、加納土さんが幼少期を過ごした「沈没家族」の設立や運営の概要である。

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UTCPの梶谷センター長とスタッフ。

 シンポジウム後半では、ゲストスピーカーを中心に、UTCPのスタッフも交えたディスカッションが行われた。ここでたびたび挙がった話題は、「ゆるスポーツ」や「沈没家族」は、「一般的」なスポーツや家族のあり方とどのような関係にあるのかということだ。
 まず、「ゆるスポーツ」の位置付けについて、澤田さんがスポーツの歴史にも言及されながらお考えを話してくださった。
 そもそも「スポーツ」とは人々の間でどのように普及していったのか。澤田さんによれば、スポーツの起源は、宗教の文脈における象徴的行事、もしくは人々が日常から離れて行う「遊び」に求めることができるという。しかし、近代スポーツでは「遊び」の意味合いは薄れていった。また、特に日本の学校の体育には、戦中戦後の軍事的イデオロギーが影響している側面もある。澤田さんは、現在スポーツと呼ばれるものが、人々に、日常からの解放をもたらすものというよりも、苦しめ傷付けるものとして経験されることがあるのは、こういった背景も関係していることを示唆された。もちろん、既存のスポーツを楽しんでいる人々も多くいるだろう。しかし、残念ながらその楽しさを享受できない人がいることもまた事実である。
 では、現代の一般的なスポーツとゆるスポーツはどんな関係にあるのだろうか。「ゆるスポーツ」は、既存のスポーツのルールを再設定し、スポーツをどんな属性を持った人にも広げていこうとするものだった。澤田さんによれば、既存のスポーツと「ゆるスポーツ」は相対するものではなく、補完関係にあるという。この関係について、澤田さんはスポーツを「山」に例えながら説明された。澤田さんは、既存のスポーツを「トップスポーツ」と呼んでいる。山を思い浮かべた時、「トップスポーツ」とは、山の高さを高くしていくスポーツのことであるという。これに対して「ゆるスポーツ」は、山の裾野を広げていくスポーツである。山の高さを高くする「トップスポーツ」と、山の裾野を広くする「ゆるスポーツ」は、それぞれのベクトルでスポーツという山を大きくしていくものであり、それはお互いにぶつかりあったり、排除しあったりするものではないのだ。
 他方、加納穂子さんが考案し、加納土さんが過ごした「共同保育」の場、つまり「沈没家族」とはなんだったのだろうか。それは、「一般的」な家族(つまり、近代家族)の中での保育とどのように異なっていたのだろうか。
 これについて、加納土さんは、ご自身が沈没家族で暮らす間、自分が「変な」家族の中にいるという違和感は感じなかったという。もっとも、運動会で、家族が参加する綱引きの種目に参加したとき、自分の家族チームの人数が明らかに多い…と感じたことはあったそうだが。
 ここで梶谷先生が、「一般的」な家族との違いに関して次の点を指摘された。沈没家族の中には、子育ての「責任」を負うような人がほとんどいなかったことがポイントなのではないか。また、参加メンバーたちが、「土くんの面倒を見てあげましょう」という雰囲気にならなかったことが、(土さんにとっては良かったのかわからないが、少なくとも)沈没家族に参加していた大人にとっては良いことだったのではないか、ということだ。この指摘を受けて澤田さんがさらに、子育てに関する役割に縛り付けられない人=「名前がない人」がそこにいることが「沈没家族」にとって大事なことだったのではないか、ひいては「共生社会」を実現するために大事なことなのではないかとおっしゃった。
 確かに、子どもの周囲に、子育ての「責任」を負わない人や「名前がない人」が現れることは、一般的には限られているだろう。親をはじめとする養育者や、学校や塾の関係者などは、子どもの前に「役割」と「責任」を持った人物として現れる。そして、それ以外の「名前のない人」は、特に昨今は、何か子どもに危害を加えるかもしれない人、つまり潜在的な脅威としてみなされる場合がある。したがって、「名前がない人」が子どもと共にいる場はかなり制限されているといえる。こうした制限は、ある側面では子どもの養育にプラスに働く部分もあるかもしれないが、他方で、家族関係や、養育という場を「がちがち」に固め、風通しを悪くするものともなりうるだろう。加納穂子さんが提案し、加納土さんが育った沈没家族は、地縁や血縁に縛られた養育、養育に関わる人だけが子どもに関わるという、「一般的」な家族や養育の前提となりがちな「がちがち」なルールを、ゆるめる試みだったのかもしれない。

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「ゆるスポーツ」と「沈没家族」、異なった時代、異なった背景で開始された2つの試みには、一見すると共通点を見出しづらいようにも思われた。しかし、このシンポジウムで、「異世界のふたり」によって、それぞれの「ゆるさ」のありようが紡がれ紐解かれていくとき、2つの試みが重なるところ、そしてそこにある「共生社会」のてざわりを、シンポジウム参加者たちは確かに感じられたのではないだろうか。

 シンポジウムの最後には、センター長の梶谷先生から、今年度からUTCPに設置された「上廣共生哲学講座」の趣旨とスタッフをご紹介いただいた。同講座は、哲学を中心とした人文系学問による社会連携をミッションとしている。具体的な活動としては、哲学対話の実施およびそのファシリテーターの養成、「高校生のための哲学サマーキャンプ」をはじめとした哲学キャンプの実施、学内外の哲学関連イベントや、人文系学問にひろく関連するような様々な活動をされている学外の方々をお招きするシンポジウムや講演会などの企画・運営を予定している。
 なお、キックオフ・シンポジウム当日は、同講座にご寄付いただいている公益財団法人上廣倫理財団の佐々木健氏にご参加いただき、当日の内容および今後の活動に関するコメントを頂戴した。また、おなじくUTCPにご寄付いただき、特に環境に関するUTCPイベントを支援してくださっている公益財団法人西原育英文化事業団の西原彰一理事からも、お二人のご講演内容について、関連するご自身の経験を紹介いただきつつコメントを頂戴した。

 登壇者の澤田さん、加納さん、そして当日オンラインで視聴してくださった参加者の皆様に改めてお礼を申し上げます。
                             (報告:山田理絵)

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