Blog / ブログ

 

【報告】池田淳一郎 国際哲学オリンピック リスボン大会で得た濃密な経験

2022.07.15 梶谷真司

 こんにちは。日本代表として2022国際哲学オリンピックに出場しました池田淳一郎です。

僕自身、国内予選自体には中学二年生の時から毎年参加していましたが、代表に選出されるのはこれが初めてであり、しかも、開催国がポルトガルで僕の大好きなヨーロッパということで、代表が決まってから大会までずっと期待に胸を膨らせていました。そして何よりもこの国際哲学オリンピックという大会の特色は、賞を決めるエッセイライティングの時間の他に、ディスカッションやパーティーを通して世界中の同世代の仲間と語り合う時間がたくさん用意されていることです。実際にリスボンに到着すれば、それはもう刺激的な出来事の連続!大会を通して、エッセイライティング中はもちろん、仲間と時を共にする中で、大会前に抱いていた期待をはるかに超える数々の濃密な経験ができ、それは本当に夢のようでした。その無数の経験を、このブログで整理して皆に伝えることができたらなと思います。

 「自分の中の既存の殻が破れていく感覚」、これが僕がこの大会で最も感じたものです。大会初日からそうでした。大会中、生徒と引率の先生は完全に別行動でプログラムが組まれていたので、各国の代表団が集合場所に集まるとすぐに、生徒と引率の先生に分かれて別々のホテルに向かったのですが、生徒だけのホテルに到着するや否やあっという間に皆が打ち解けて会話が始まったのです。もちろんいきなり哲学トークが始まるわけではなく、たわいのない会話です。その一瞬でコンテスタント間の距離が縮まる様に衝撃を覚えました。というのも、日本では初対面の相手しかいない場ではみな比較的縮こまってしまう人が多いと思うのですが、現地ではそういうことが全く無くなかったからです。僕もまずアメリカのCharlieとお互いの国の学校のことだったり、日本文化のことだったり、将来のことだったりといろいろ話す中ですぐに親しくなり、その後もメキシコ、タイ、韓国、ドイツ、フランス等たくさんの国の代表の仲間と握手して、話したり議論したりしました。特に印象に残っているのは、みんな日本のことが大好きで、日本のことにとても詳しいということです。僕が日本から来たと聞くと、みんないかに日本が好きかを語ってくれたり、好きなアニメを教えてくれたり、幼少期に仮面ライダーを毎週見ていたというマレーシアの二人に至っては覚えたての流暢な日本語を披露したりしてくれました。その日の夜には開会式があり、各国の代表団が紹介され、その後のWelcome dinnerではさらにぐっとコンテスタント間の距離が縮まりました。僕もフランス代表で日本のことが大好きなShirazや、哲学も数学も科学もなんでも得意なブルガリア代表のIvayloたちと、たくさん話してとても楽しいdinnerとなりました。こんな感じで、一日目からアクセル全開で仲間とたくさん話したので、次の日がエッセイライティング本番だということも忘れるくらい疲れてしまったのですが、それ以上に、初対面の相手に初日から積極的にコミュニケーションをとる世界の高校生の明るさや寛容さに衝撃を覚え、僕自身人見知りではないものの、いつもの日本でのコミュニケーションスタイルではだめだと、初日から自分の中の殻が吹き飛ぶような感覚を抱きました。

 二日目になり、いよいよエッセイライティング本番です。朝食を食べた後、皆とバスで会場に向かいました。バスの中でも一日目と同様にみんなと打ち解けた雰囲気でおしゃべりしていたのですが、国内予選と代表選考会で戦った皆を代表してここにきているのだという思いや、どんな課題文が提示されるのだろうという不安から、内心では緊張していました。代表に決定してからは、選ばれた以上は責任をもって全力で対策して本番に臨もうという思いがあり、何回か本番同様の形式でエッセイを書いて、先生に見て頂くということをやっていたので、その経験が少し緊張をほぐしてくれました。そうこうしているうちに、エッセイ会場である学校のような場所に到着し、教室に一人一台用意されたパソコンの前に座って緊張感が高まったところで、本番が始まりました。本番は、その場で与えられた4つの課題文(英、仏、西、独の4か国語で書いてある)から一つ選んで、一人でそれに関するエッセイを英語で4時間で書くというものです。その場で構成を練ってから文章を仕上げるところまでやるので時間がありそうでないのはもちろん、母国語でない英語で自分の言いたいことを表現するのには何とも言えない難しさがありましたが、逆に言えば、普段日本語を使う際に多用しがちな、レトリックで細かなニュアンスを誤魔化すというテクニックが制限されるおかげで、自分の思考体系の殻を破って普段当たり前だと思っていたことも疑って一から考えることができたので、論理的で強度の高い主張ができました。一貫した分かりやすい文章を書くことができたので、4時間の戦いが終わった時には達成感でいっぱいで、後は結果を待つのみでした。

 エッセイライティングが終わった後の2日目、3日目はレクチャーにディスカッション、リスボン市内観光と楽しいイベントが目白押しで、夢のような時間でした。レクチャーとディスカッションの時間では、高校生のみんなが、日本人よりもはるかに活発に遠慮なく質問する姿や、自分の考えを柔軟に刷新しようとする姿勢に本当に刺激を受けましたし、市内観光の時間も、生徒の自由行動だったので、初めての土地を初めて出会った友達と練り歩くというこちらも刺激的な経験でした。僕も自分の殻を破って、たくさんの人と積極的にコミュニケーションをとりました。とくにフランス代表のshirazとは二人ともピアノが好きという事もあってかとても気が合って、フランスの作曲家であるドビュッシーの話や、日本の学校生活の話等をして盛り上がりましたし、なんと彼女は宮崎駿さんのファンでもあれば山下達郎さんのファンでもあるということで、自分よりも日本のことに詳しい部分もあり、はっとさせられた瞬間でもありました。

 僕にとってのこの大会の一番のハイライトと言えば、3日目の夜のナイトパーティーかもしれません。先程紹介した日本とピアノが大好きなshirazに誘われて、みんなの前でピアノを演奏したのですが、みんなが真剣に聞いてくれていた時の感覚や、演奏後の拍手の瞬間、そこからたくさんの人が声をかけてくれたこと、全て一生忘れられない思い出となりました。おそらくこの感動は、様々な国から人が集まる国際大会という場で、音楽が、言語や国籍など個々人の殻を超えて人と人を繋げることを肌で実感したことに起因しているのだと思います。

 そして最終日の表彰式で、honorable mention を頂き入賞することができました。自分の名前が呼ばれた瞬間はとても嬉しかったですし、何よりも、自分が英語を使って、自分の言葉で書いたものが評価されたことを自信にしていきたいと感じました。そして表彰式後のお別れのランチで、大会が終わりました。たった4日間の間に、他国の高校生と本当に仲が深まったので、お別れの時間はとてもさみしいものでした。

 ここまで、濃密な4日間を振り返りました。いたるところで、冒頭で述べたような、”自分の中の殻が破れるような感覚”を感じた4日間でした。積極的で社交的な世界中の仲間の刺激を受けて自分も日本での普段の他人との接し方という殻を破って思いっきり会話した時、同じ高校生でも世界にはこんなにもはっきりと自分の考えを伝えることのできる人がいるのだと知った時、自分の国を出て覚悟をもって大学に進むのだと将来のことを自信をもって僕に語ってくれた仲間を見た時、日本が大好きな世界中の仲間が日本について語ってくれたことで、自国である日本を客観的に見ることができたと同時に、自分がいかに日本のことを知らないかと自覚した時、音楽が国籍や言語の壁を超えるのを肌で実感した時、このような様々な瞬間に、自分の中に固定化されていた人との関わり方や世界のイメージが、一瞬で吹き飛んで、その殻をコンテスタントみんなが破って生身の体で交流しているかのような不思議な感覚を抱きました。僕が選んだエッセイの課題文は、こう言っています。

To know others is wisdom; to know oneself is acuity. To conquer others is power, to conquer oneself is strength. (Laozi)

他人を理解する者が知者であり、自分自身を理解する者こそ明知の人である。他人にうち勝つ者は力があるだけだが、おのれにうち勝つものは真の強者だ。(老子)

 このことこそ、僕がこの大会で一番感じたことです。今回の大会を経験する前は、自分のことは誰よりも知り尽くし理解しているだろうと思っていましたが、いざ大会に行っていると、自分の中で知らない間に固定化されていた世界の見方や人との接し方、すなわち自分が無意識の間にまとっていた殻のようなものを、初めて客観的に捉えることができたのです。殻の存在に気づいて、その殻を破ることができる、そのことが自分自身を理解しうち勝つということであり、それには今回の大会のような刺激的な経験が必要で、他人を理解するよりもはるかにエネルギーがいるのだと、そう気づいた大会でした。

 そう考えると、こうやって他国の高校生とじかに交流したという経験自体が非常に哲学的な活動だと言えるのではないでしょうか。他国の仲間との触れ合いを通して、普段当たり前だと思っていること、普段何気なく縛られていることをもう一回疑って世界を見てみる。交流を通して、自分の普段の活動の根幹にある自分の中の知的体系を刷新してみる。これは、まさに世界や人間の根本にあるものに迫る哲学的な活動です。つまり、この国際哲学オリンピックという大会は、エッセイライティングの時間だけでなく、仲間と交流する全ての時間に哲学的な要素が込められているのです。そういう意味で、オンラインではなく、現地で直接仲間と触れ合えたのは、自分の殻を破る上で非常に大切なことだったと感じています。

 この大会に参加するために、たくさんお力添えいただいた国際哲学オリンピック日本組織委員会の先生方と上廣倫理財団の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】池田淳一郎 国際哲学オリンピック リスボン大会で得た濃密な経験
↑ページの先頭へ