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【報告】黒田凛「哲学との出会い~国際哲学オリンピックに参加して」

2021.07.20

はじめまして。IPOの2021年スロベニア大会(5月27日〜30日)に参加した黒田凜です。IPOは昨年に引き続き、e-IPOとしてオンライン開催されました。

新型コロナウイルスの流行が始まってから1年強、普段は会場に足を運ぶようなイベント等に、自分の無味乾燥な部屋(のベッドの上)からパソコンを開いて参加する日々が続いています。その中でIPOは、僕の部屋を色とりどりで賑やかな楽しい空間に変貌させた出来事ランキング堂々の1位でした。オンライン開催だからこそ実現された多彩なプログラムは貴重な経験でした。今大会のテーマは「ユートピアとユートピア的思考」でしたが、IPOは僕にとってまさにユートピアでした(?)。

ここでは、今大会のプログラムとエッセイライティングを振り返り、僕の考える哲学の面白さについてお話しさせていただこうと思います。

1:今大会のプログラムとエッセイライティングを振り返る

さて、1993年に始まったIPOは今大会で29回目を迎え、45カ国から85人の生徒が参加したようです。IPOの審査対象となるのは4時間のエッセイライティングですが、その他充実したプログラムが4日間に渡って開催されました。「ユートピアとユートピア的思考」というテーマのもと、著名な哲学者らによる講義やディスカッションが行われました。同じテーマでも哲学者によってアプローチの仕方は多様で、例えば、資本主義経済の問題点を全て解決できる経済的システムを提案する哲学者(Michael Albert氏)、動物の幸せや理想の人間像、世界中の貧困への向き合い方を検討する哲学者(Peter Singer氏)、言語学の観点から人間がどのような性質や主観を持つか解説する哲学者(Noam Chomsky氏)、歴史上の文学作品の中でユートピアの概念がどのように綴られてきたか紹介する哲学者(Sebastian Mitchell氏)などがおり、新たな視座を幅広く獲得することができました。他にも、IPO参加生徒が企画するディスカッションのセッションも実施されました。4日間のプログラムの大部分は日本時間の深夜にあたりましたが、質問や意見が飛び交う熱量は凄まじく、眠くなることはありませんでした。

IPOの競技の部分であるエッセイライティングは、2日目の夜に行われました。主に歴史上の哲学者の著作や手紙などから、哲学的な文章が4つ、課題文として与えられます。参加生徒は4つの課題文から1つ選び、それについてエッセイを4時間かけて書きます。何か答えなければならない問いが設定されているわけではなく、まず自分が対峙する問いを自分で立てなければいけません。問いを立てるというプロセスが難しく、同時に楽しいわけですが、例えば課題文のある部分に賛成したり、反対したり、課題文の主張の前提について吟味したり、課題文から派生した問いについて検討したり、取り組み方は様々です。エッセイは最終的に、課題文の内容との関連性、課題文の内容の哲学的理解、議論の説得力、論理の一貫性、そしてエッセイの独自性の5つの一見ざっくりとした評価基準で審査されます。今年は上位から2人が金メダル、4人が銀メダル、6人が銅メダル、そして続く24人が奨励賞を受賞しましたが、僕は銀メダルを獲得することができました。

僕は4つの課題文の中から、以下のものを選びました。

“The ‘technification’ of our being: the fact that to-day it is possible that unknowingly and indirectly, like screws in a machine, we can be used in actions, the effects of which are beyond the horizon of our eyes and imagination, and of which, could we imagine them, we could not approve—this fact has changed the very foundations of our moral existence. Thus, we can become ‘guiltlessly guilty,’ a condition which had not existed in the technically less advanced times of our fathers.”

この課題文はドイツの哲学者ギュンター・アンダースが(原爆投下作戦に参加した)アメリカ空軍の軍人クロード・イーザリーに宛てた手紙からの一節です。意訳すると、人間は今日、技術的進歩に伴い、倫理的に拒絶するであろう行動に、機械の歯車のように無意識に加担させられてしまうことがあり得る、との主張がなされています。アンダースはこれを人間の「技術化」と称し、「技術化」により人間の道徳的存在の基盤が変わってしまったと指摘し、無意識に加担させられる行動の影響は人間の想像や認識を超えるとしています。また、アンダースは人間の道徳的性質の変化の中でも特に「罪深いことをしようという意識がないまま罪深いことをしてしまう」という概念に触れています。このような内容から、アンダースの文章の背景には第2次世界大戦があることは推察できます。技術・経済・文化・政治などあらゆる切り口から人間の道徳的存在や行動原理について論ずることができそうで、4つの課題文の中で最も現代の世界に関連性の高くて面白そうと感じたという理由から、この課題文を選択しました。細かい論証の説明は省きますが、僕はエッセイの中で、まずアンダースの主張する人間の「技術化」を引き起こす(または阻止する)要因について検討しました。技術の進歩に加えて、社会的・経済的・文化的な要因について言及し、元々いつから始まった現象なのかについて考えました。この前提条件を踏まえ、「技術化」した人間は、果たして無意識に加担させられた行動の影響に対する責任は生じるのかどうか議論しました。最後に、「罪深いことをしようという意識がないまま罪深いことをしてしまう」という概念に疑問を呈し、そもそも課題文自体手紙の相手を慰め正当化するために投げかけられた言葉と解釈できることを指摘しました。まとめると、人間の「技術化」は仕方のないことではなく、エッセイを通してその状態を抜け出す方法について議論し、その方法を実践できる人間には積極的に抵抗する責任が生じると結論づけ、実践できない人間をも「技術化」から守る方法を検討しました。

http://eipo2021.com/2021/05/31/eipo-2021-final-results-and-awards/
上記リンクのページで、入賞者のエッセイが読めるようになっているので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。僕も他の入賞者のエッセイを一通り読んでみて、同じ課題文を選択しても、問いの立て方や議論の展開、提示する論拠など色々な部分で異なることを実感し、どれも楽しく新鮮に読めました。

2:僕の考える哲学の面白さ

ここからは、僕の考える哲学の面白さについてお話しさせていただこうと思います。学問としての哲学は、昨年の秋の日本倫理・哲学グランプリに出会ってから本格的に勉強を始めました。哲学的な文章を読み、哲学的なエッセイを書くということは、日常生活であまり経験しないことでした。そもそも、自分で、自分が答えようとする問いを設定すること自体新鮮なことでした。最初のうちは、小さく手の届きそうな問いであればすでに誰か問うて答えたことがあるだろうし、壮大すぎる問いでは自分の力量で答えられないだろうと考え、不安に駆られていました。人類史で築かれてきた哲学についてほぼ何も知らない高校生が、哲学的なエッセイで(審査基準の1つでもある)独自性を出せるのだろうか、と懐疑的に思っていたわけです。ですが、自分でエッセイをいくつか書き、他の人の哲学的なエッセイを読んでいくうちに、そうした考えは薄れていきました。あらゆる問いに対する結論や答え方の可能性は、それを問う者が生きてきた人生や環境、時代によって変わってきて(というところから独自性は発現し)、哲学的な問いを立てることは、誰でも「今の自分」に合わせてできるとても自由な営みだと考えるようになりました。それからは、自分のエッセイの中に、僕が今までの人生で実際に体験したことや読んできた本の内容などを積極的に論の根拠に取り入れるようにしました。

問いを立てて答えを追求するというのは、世界中のあらゆるものを対象にできると思います。宗教、政治、芸術、精神、善悪などの壮大なトピックから、自分にとって最も幸せな時間の過ごし方や人間関係などの身近なトピックまで、自分がまだ問うてない問いはたくさん埋まっているでしょう。これらの多様なトピックについて、自分で考えに耽ったり、他人と話し合ったりするのは、すでに哲学的な行為だと思います。あとは少し哲学的なエッセイの書き方(論証の仕方など)を学べば、自分だから書ける哲学的なエッセイがもう書けるようになっていることでしょう。

僕自身、日本倫理・哲学グランプリに参加してからIPOまでの間、入門書やYouTubeの動画を活用し、これまでの哲学の流れや、特に興味を持った分野での著名な哲学者の主張などを学びました。最近でこそ面白く感じた哲学者たちの著書を色々と読んでみていますが、IPO参加時点では哲学について大して専門的な知識を持っていたわけではありません。ですが、哲学的なエッセイは、扱える対象の幅広さと、先ほどお話しした「今の自分」に合わせて書けるという2つの意味で、初学者に優しい敷居の低さはあると思います。

僕にとって哲学的なエッセイは、面白い問いと面白い結論を考える想像力、それを分かりやすく厳密に導く論理力、そしてその論理を身近に感じられるように現実世界に落とし込む具現化する力の全てを働かせる機会です。定められた枠の中で考えるのではなく、自分で枠すらも設定する哲学的なエッセイには、課題文の文章だけでなく、自分自身と周りの環境とも対峙しながら論を展開していく面白さがあり、純度の高い自己表現方法だと考えるようにもなりました。また、IPOに参加してから、改めて普段から日常生活で直面することについて根本から考える癖がついたように感じます。IPO大会後も続く参加生徒との交流も、財産の1つだと実感しています。IPO大会時から参加生徒・引率の先生ともにコミュニティの暖かさと活気は心地よく感じていましたが、現在もオンラインで毎週何かしらのディスカッションのセッションが企画されており、こうして他国の哲学徒たちに出会えたことを感謝しています。このような理由から、中高生の皆さんには、日本倫理・哲学グランプリ及びIPOへの挑戦をお勧めします。

最後に、エッセイをご指導いただいた引率の梶谷先生、榊原先生、林先生、そして国内・(例年は)国際大会に携わる上廣倫理財団に感謝申し上げます。皆さんも、このブログ報告を最後までお読みくださってありがとうございます。少しでもIPOや哲学に興味を持っていただければ幸いです。

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