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【報告】東京大学共生のための国際哲学研究センター(UTCP)シンポジウム「〈経験〉を見つめ直すための哲学――メルロ゠ポンティと考える身体・他者・言語」

2021.06.17

2021年4月24日、東京大学UTCP
にてオンライン・シンポジウム「〈経験〉を見つめ直すための哲学――メルロ゠ポンティと考える身体・他者・言語」が開催されました。

本企画は、20世紀を代表するフランスの思想家モーリス・メルロ=
ポンティ(とりわけ彼の身体論・他者論・言語論)の視座から、「〈経験〉を見つめ直す」について検討するという趣旨のもと構想されました。

続く箇所において、本シンポジウムの内容を大まかにお伝えいたします。

まず田村さんが「メルロ=ポンティと身体経験を見つめ直す」というタイトルで、メルロ=
ポンティの身体論に関するご講演をしてくださいました。田村さんはまず、「現象学的に身体の経験を考えるとはどういうことか?」という問題提起を出され、科学的・客観的な視点に対して、主観的な感覚に軸足を置いて身体経験を考えるという立場の説明をされました。そして、田村さんはメルロ
=
ポンティの身体論を次の三つのテーゼに分けて説明をしてくださいました。それぞれ、①「私とは、私の身体である」、②「私の身体とは、私の習慣のシステムである」、③「私の習慣のシステムは、(皮ふの内側としての)身体を越えて広がる」というものです。メルロ
=
ポンティは、人間がとりわけ身体を伴いつつこの世界の中で経験を獲得していくことを重視します。例えば人は、単に抽象的な意識によって目の前の世界を捉えているのではなく、自らの身体に備わる能力や技術に基づいて、この世界を把握しているのです(例:将棋やサッカーの戦局を「見る」)。また、ある特技を有する熟練者は、道具を自分の体の一部であるかのように感じることがあります(例:スキープレイヤーや車いすの方)。すなわち、体(皮ふの内側)を越えて、世界と関わり合う能力を拡張していく習慣のシステムこそが、この世界における人間の在り様であるとメルロ=ポンティは論じたのです。

続いて酒井さんは「メルロ=ポンティと考える他者とのコミュニケーション」というタイトルで、メルロ=
ポンティの他者論に関するご講演をしてくださいました。酒井さんは、まず大きく分けて二つの態度をメルロ=ポンティの思想から説明しました。一つは、他者でさえも自分のもののように感じてしまう「独占的態度」であり、もう一つは、相手を個別的な人格として尊重する「献身的態度」です。独占的態度においては、他者が自分以外の人と遊んでいると、その人に対して強い嫉妬心を抱いてしまったり、他者の本性を勝手に推測してしまったりするという性質があります(例:「子どもには主体性がない」と勝手に決めつけてしまう)。これに対して、献身的態度は、他者をステレオタイプで見るような差別的な交流から距離を取り、他者との新たな関係性を常に模索し、他者の新たな一面が見えてくるような交流を図ろうとする性質を持ちます。こうした献身的態度を通して、個別的な人格へ向かおうとするコミュニケーションの在り方を、酒井さんはメルロ=ポンティから説明してくださいました。

最後に佐野さんは「経験を記述すること、世界を作り変えること――メルロ゠ポンティの表現論から」というタイトルで、メルロ=
ポンティの言語論に関するご講演をしてくださいました。まず佐野さんは「生きられた世界」(事物との主観的・個別的・具体的な接触において感じ取られる世界)を、単なる「客観的な世界」と対比する仕方でご説明をしてくださいました。メルロ=ポンティは、この「生きられた世界」を「自覚する・実現する(
réaliser)」ことが重要であると述べているのです。このréaliser
というフランス語は非常に興味深い二つの意味を持ちます。一つは「自覚する」であり、もう一つが「実現する」というものです。「自覚する」というのは、「すでに存在していたものを自覚する」という意味で用いることができ、「実現する」というのは、「いまだ存在していないものを実現する」という意味で用いることができます。こうした「自覚」の例として挙げられるのが「セクハラ」という言葉です。「セクハラ」という言葉(表現)が作られる前から、性的な言動で他者を傷つける卑劣な事件は引き起こされていました。ですが、「セクハラ」という言葉によってそれが表現されることによって、改めてその存在が自覚されることになります。つまり、自覚を引き起こす表現によって、当初は伝達されえなかったものが、他者と共有可能なものになるのです。それこそが、言語の表現によって創設される経験の次元であると言えるでしょう。こうしたメルロ=ポンティの言語論は、「現実」というものがありのままに存在するのではなく、私たちの言語表現によってその様相が一変してしまうものだという洞察を私たちに与えてくれるのです。

コロナ禍が続き、オンライン・イベントが主流になった中で始まった「公開哲学セミナー」シリーズ(Zoom開催)ですが、今回は事前登録の時点で270
名以上の方々にお申し込みをしていただきました。当日も150名~200名の方々がご視聴をしてくだり、公式には閉会したのちにも、70
名近い数の方々「延長」の時間まで残ってイベントに参加してくださいました。

改めまして、本イベントにご参加してくだった方々、そして何よりも貴重なお時間を割いて素晴らしいご発表をしてくださいましたご講演者の方々(田村正資さん、酒井麻依子さん、佐野泰之さん)に心から感謝申し上げたいと思います。一緒に本イベントを形作ってくださいまして、本当にありがとうございました。

最後に、本イベントのアンケートの結果を一部掲載いたします。

●「本日のイベントはいかがでしたか?」

「とても良かった」……65.4%(17名)

「良かった」……30.8%(8名)

「普通であった」……3.8%(1名)

●「またこういったイベントがあったら、参加してみたいと思われますか?」

「参加を強く希望する」……57.7%(15名)

「参加を希望する」……42.3%(11名)

(文責:山野弘樹)

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