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梶谷真司 邂逅の記録117 「2回目のオンライン国際哲学オリンピック~日本人初の銀メダル!」

2021.06.14 梶谷真司, 榊原健太郎

5月27日から30日まで、2021年の国際哲学オリンピックが開催された。昨年はコロナ禍のためポルトガルのリスボン大会が延長されて、オンラインでのeIPOとなったが、今年もやはり実現せず、オンラインでの開催となった。しかし今回は、すでに一度議論を尽くしているので、ふたたびスロヴェニアのMiha Andricをリーダーとするチームが中心となって、全体としては非常にスムーズに行われた。

各国ともいろんな意味でwithコロナに慣れて準備も順調にできたのか、参加国は昨年のほぼ倍の45か国、85人の生徒が参加した。日本からは、昨年に引き続き猪倉彼方君(筑波大付属駒場高校3年)と黒田凛君(広尾学園高校卒)が出場した。テーマは「ユートピアとユートピア的思考」で、プログラムもさらに充実し、言語学に革命を起こしたノーム・チョムスキー、動物解放論のピーター・シンガーを筆頭に、多くの著名な哲学者がレクチャーをして、高校生からの質問に応答した。高校生が主催する哲学カフェもあり、教員向けには、哲学教育についてワークショップも行われた。
http://eipo2021.com/programe/

高校生のエッセイライティングは、28日(金)の日本時間で夜の8時から12時に、世界同時に行われた(オンライン上でのシステムの改良で、より不正行為がしにくくなった)。そのあと教員による評価が翌日にかけて行われた。そして最終日の授賞式で、黒田凛君が銀メダルを獲得! 日本初の快挙であった。
*こちらのリンク先に受賞者とそれぞれのエッセイが見られる。
http://eipo2021.com/results-winning-essays/

今年もリスボンでみんなと再会できなかったのは残念だったが、2回目のオンライン大会ということもあり、最初から和気あいあいと楽しむことができた。ただ一つ、大会事務局のリーダーのMihaが2日目の途中で、心臓に異常が出て救急搬送されたのは大きなアクシデントだった。そのあとはスタッフが見事にカバーして、多少の遅れと混乱はあったが、そこは各国のメンバーが協力し合い、すべてのプログラムがほぼ予定通りに行われた。いつものことであるが、IPOは何かトラブルがあるたびに、みんなで知恵を出し合い、さらに結束を強くしていく。本当に素晴らしいコミュニティである。Mihaとスロヴェニアのメンバーに心から感謝するとともに、自分がIPOファミリーの一員であることを幸せに思う(Mihaが一刻も早く回復することを願うばかりである)。

最後に今年の課題文を上げておこう(日本から参加してたもう一人の教員、榊原健太郎氏が訳してくださった)。
http://www.philosophy-olympiad.org/

①概念とはレンガである。それは理性の裁判所を構築するために使われることもあれば、窓から放り出されることもある。
ブライアン・マッスミ「哲学の愉しみ」(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガダリ(1987)『千のプラトー:資本主義と分裂症』の訳者序文より)

②世界はそれを生み出すための何らかの主体(エージェント)の助けなしには、それ自体で存在することはできなかった。そして、この主体は、私たちの感覚によって把握することができないようなものである必要がある。なぜなら、もし彼が感覚の対象であるならば、彼は身体でなければならず、もし身体であるならば、世界の一部であり、結果として創造された存在でなければならず、そのようなものは、彼を創造するための他の原因を必要としたであろうからである。
そして、もしその第二の創造主が身体であったならば、彼は第三の創造主に依存し、その第三の創造主は第四の創造主に依存することになる、というように無限に続くことになるが、これは不条理なことである。したがって、世界は非実体の創造主を必要としているのである。
アブ・バクル・イブン・トゥファイル(1105年~1185年頃)『ヤクザーンの子ハイイの物語』、サイモン・オックリーによるアラビア語からの翻訳(1708)

③人間の魂が思考物質にすぎないとすれば、自発的な行動をもたらすために、魂はどのように肉体の精神に影響を与えることができるのだろうか。
「プリンセス・エリザベートからデカルトへの書簡(1643年5月6/16日)」(リサ・シャピロ(翻訳・編集)『近世ヨーロッパにおける他の声』の「ボヘミア王女エリザベートとルネ・デカルトの往復書簡」より。

④私たちの存在の「技術化」。つまり、今日、知らず知らずのうちに、機械の中のネジのように間接的に私たちが様々な行動に利用される存在でありうるという事実は、私たちの視力や想像力の地平を超えたところまでの影響をおよぼしており、また私たちがそれを想像できたとしても、私たちがこの(技術化という)事実が私たちの道徳的存在の基盤そのものを変えてしまったことを認めることができないところまで影響をおよぼしている。
このようにして、私たちは、技術的に進歩していない私たちの父祖の時代には存在しなかった状態である「無罪の罪人」になりうるのである。
クロード・エザリー &ギュンター・アンダース 『燃える良心:「広島」のパイロット、クロード・エザリーの場合』(「手紙1」ギュンター・アンダースからクロード・エザリーへ、1959年6月3日)より。

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