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梶谷真司 邂逅の記録116 「結婚の新しいカタチを求めて」

2021.03.25 梶谷真司

 2021年2月27日(土)、「新たな結婚のカタチを求めて」というイベントをオンラインで開催した。結婚関連のイベントとしては、2019年12月に行われた「いかにして愛のために出会いの場をデザインするか」に続いて2回目である。昨年11月、オンラインの哲学対話で私のことを知った柿木さんが「結婚から恋愛を切り離すと何が残るのか」について意見を聞きたいと連絡があった。Zoomでお会いすると、恋愛を前提にしない結婚を支援するベンチャーを立ち上げたいという構想を語ってくれた。もともと婚活に取り組んでいた私にとってはなはだ面白い話で、二人だけで話しているのはもったいないので、いっそイベントにしましょうと私から提案した。

 前回は結婚に限らず、人生を共にするパートナーと出会う場はどのように作ればいいのかについて議論をしたが、今回は「結婚」をテーマとして、そのあり方と可能性について考えるという趣旨であった。そこで柿木さんといっしょに起業しようとしている鈴木大貴さんと、彼が一緒にこの問題を考えたいと思っていた松尾知枝さんをお呼びして、今回の企画となった。当日は、松尾さん、柿木さん、鈴木さんにご自身の考えや活動について話していただき、そのあと全体でのディスカッションを行った。参加者は100人を超え、彼らにはSlidoを使ってコメントや質問を出してもらい、さらに3人の話を聞いて結婚についての「問い」を出してもらった。

 最初にお話しいただいた松尾知枝さんは、元JAL国際線CAで現在は婚活支援コンサルタントとして活躍している。まず自己紹介で、松尾さん自身が家庭の事情で10~18歳のあいだ児童養護施設にいたため、幸福な家庭のイメージがなく、結婚に不安を覚えていたこと、それでも現在は結婚して充実した生活を送っているとおっしゃった。このことは、あとで述べるように、彼女の結婚観や婚活支援の特徴を理解するうえで重要なので、ここでも記しておく。
 続けて松尾さんは「なぜ結婚が難しくなったか」を説明した。まず社会的要因として挙げたのは、結婚に関する規範の変化である。もともとは誰でも結婚するのが当たり前で、しかも家のためであったのが、個人の人生の選択肢として、してもしなくてもよいとする考え方が一般的になった。
 この点はよく指摘されることであるが、松尾さんはもう一点、「テクノロジーによる日常快適性の向上」を挙げた。具体的に言うと、TwitterやInstagramなどのSNSやYoutubeやNetflixなどのIT技術によって、日常生活における快楽の追求が多様化し、恋愛の優先順位が低下したという。さらに、最近の様々なプロダクトは、ユーザーにできるだけ考えさせないような設計になっているため、恋愛のような頭も気も使うことに対する耐性が下がっているのではないかとのことだった。また他にも心理的要因として、多様すぎる選択肢から自力で相手を見つける難しさもあるという。
 これらの指摘は、結婚が個人の選択となったことと同じくらい、場合によってはそれ以上に重要な問題かもしれない。というのも、結婚が個人の自由な選択になり、かならずしもする必要がないと考えつつも、実際にはいまだ9割の人が結婚を望んでいるとする統計もあるからだ。つまり、結婚する人が減っているのは、結婚しなくてもよいと考えているからというより、結婚したくてもしにくいからというのが実情であろう。「結婚はコスパが悪い」とする最近の結婚観も、上のような社会的要因を考えると、むしろ納得しやすい。
 さらに松尾さんは、結婚のあり方じたいの変化についてもお話になった。かつて標準世帯と言われた会社員の夫と専業主婦と子供二人から成る家族は、実は現在4.6%しかなく、結婚したいけど子どもはほしくない、結婚しないけど子どもはほしい、同棲するけど籍は入れたくない、一緒に住むかどうかなど、すでに多様な生き方、家族のあり方が出てきている。このような現状を踏まえ、松尾さんは結婚を再定義する必要性があるという。そのさいまずは「普通」という基準を疑ってみなければいけない。
 そのうえで松尾さんが結婚の“カスタマイズ”を提案する――法律婚か事実婚か、子どもをつくるか否か、同居か別居か、協力と扶助をどれくらいの度合いにするか、愛情を求めるか求めないか、どこに暮らすかといったことをそれぞれに合わせて選択する。しかも、定期的にそれを話し合い、見直す「契約更新制」があってもいいのではないかという。
 松尾さんはそのような結婚の核となるものを「贈与」としての関係に見出す。結婚を「夫が働いて稼ぎ、妻が家事育児を担う」(あるいはどちらがどれくらい分担するか)というギブ・アンド・テイクの利害関係によって成立すると考えるのではなく、反対給付を前提としない自由な贈与として捉えられるのではないか。そのような関係は、けっして制度的に固定できるものではなく、二人にとって心地よいものになるよう日々更新し、育てていくものであるという。
 こうした柔軟な結婚観は、松尾さんが標準的家族を知らないで育ったからこそ可能なのだと思う。逆に典型的な“幸福家族”に育つと、それが強固なロールモデルとなって、それとは異なる形の結婚の可能性が考えにくいだろう。その松尾さん本人が結婚を決めたのは、朝起きて彼のためにコーヒーを入れて起こしてあげたいという思い、そのシーンがイメージできたことだったそうである。それが彼女にとっての「自由な贈与」の具体的な姿なのだろう。何をもって贈与と考えるかは人によって様々であろうが、それを起点にして、あとは柔軟に考えるところにこれからの多様な結婚の形が見える。

 次に登壇した柿木真人さんは、アーティストでノンモノガミー(一対一の関係に限定されない多重の関係を、合意の上で志向する人)で、「あたらしい結婚の提案」というテーマで話をなさった。彼の言う「あたらしい結婚」とは、恋愛結婚とは異なる価値観を土台にする結婚である。それを説明するにあたり、彼は自分の性愛・恋愛に関するプロフィールから始めた。
 幼稚園児から小学生のころは、漫画を読む中で「エッチな気持ちになること」=「悪いこと」という価値観を形成する一方、児童文学からは、運命の人と出会う→手をつなぐ→キス→結婚→幸せな生活という思想を育んだという。また小学生で自慰行為をして性に目覚め、穢らわしく罪深いものと感じるようになった。中学生からは「私たちは彼氏彼女である」という宣言をし、「お付き合い」をするという“制度”が「終わりへのカウントダウンを始めるための行為」のように思い、反発を感じたらしい。
 転機となったのは、23歳の時にネットで知り合った年上女性との初体験だった。そのとき女性の忘我する表情に芸術作品を見るような気持を味わい、性行為=神聖な美しさという価値観に反転。その後、婚外恋愛する女性たちと親しくする中で、恋愛と結婚を切り離して捉える彼女たちの考え方を見聞きし、「運命の人と出会い、恋愛し、結婚して幸せになる」という人生観が揺らいだ。そしてノンモノガミー、ポリアモリー、リレーションシップアナーキーといった概念を知り、自分が求めている関係性のスタイルがいったい何なのか、そのころから意識して考えるようになったという。
 柿木さんは、アーティストとしての活動の中で、当初は食文化史の中で性愛規範を扱う作品を作っていたが、28歳のころから「恋や性愛の規範」をメインテーマに据えるようになった。そして何が“正しい”性愛で何が“正しくない”性愛なのかを人々に浸透させるシステムこそが、結婚制度だと思うようになった。昨年、31歳のときにコロナ禍の中で高校の同級生である鈴木大貴さんと再会し、20年後くらいにやろうと思っていた「結婚制度をアップデートする」プロジェクトをさっそく始めることにした。
 柿木さんが言うように、恋愛関係を土台とする結婚が主流になったのは、日本では1960年代末からである。それが1990年代から結婚できない人と、結婚を維持できない人が増え始めた。つまり、恋愛結婚がマジョリティにとっての幸福な制度として機能していたのは20年間にすぎないのである。また今日、セックスレスや不倫等が問題になることからも分かるように、恋愛と結婚はすでに乖離して、恋愛感情を家族愛に移行させることが困難になっている。
 こうした現状を踏まえ、柿木さんは、恋愛結婚を自明視し、“常識”とするのではなく、そうしたものから解放された別の選択肢を考え、結婚という制度を柔らかくしていきたいという。では具体的にどのような選択肢を考えているのかというと、個々人が望む生き方や家族の形を入り口にし、結婚に必要なことを確認しつつ、恋愛も性交渉も含めて、様々な要素を“オプション”として選んで、いわば二人の間でカスタマイズしていくものである。
 柿木さんは、松尾さんとは対照的に、性愛や結婚についてかなり保守的な価値観を強く内面化していたようだが、それがかえって後に反動となっていろんな当たり前を疑い、選択肢にするようなスタンスへと転換した。このような考え方は、現行の結婚制度を大事にしたいと思う人にとっては、無秩序と不安定をもたらすものに見えて、警戒するかもしれない。しかしそうした制度や規範に違和感を覚え、適応できずにいる人にとっては、むしろ歓迎すべき解放になるのではないだろうか。

 3人目のゲスト、鈴木大貴さんはWeb業界で働くパンセクシュアル(特定の性別に限定されない全方向的な志向の人)であり、「新たな結婚のカタチを求める一例」と題して、さらに具体的な提案をしてくれた。
彼もまた性愛や結婚についての自己紹介から始めた。10歳ごろから、かわいくて賢くて明るい子であれば、性別に関わらず自然に好意を抱き、女子と交際する一方で、男子にもアプローチしていたという。12歳から渡米して15歳で帰国したが、恋愛対象の傾向は変わらず、その後インターネット(SNS)を通して出会った女子大生と真剣に交際しつつ、男子にもアプローチしていた。
 20歳になって恋人からの同棲を提案されるが、受け止められず交際が終了。そこから自分の性愛の対象を見極めるべく、人種・年齢・ジェンダーを問わず性愛体験をして、自分自身は男性だが多様な人を愛おしく感じる「パンセクシャル」だと自覚するに至ったという。
 その一方で鈴木さんは、家族への憧れが強く、この世で唯一の理性を超えた関係であり、不確実な未来における絶対的な拠り所だと考えていた。そこで20代にして婚活を始め、様々な女性と会ったが、結婚相手をどのようにして決めるのか疑問をもち、恋愛感情やスペックのような条件は、長期的には不安定で、永続的な結婚とは相性が良くないと考えるようになった。
 30歳ごろから「友情結婚」(性的関係をもたない者どうしの結婚)の紹介サイトを利用し、性愛と結婚を切り離した婚活を体験し、結婚相手の決め手は、求める結婚の生活像ではないかと考えるに至ったらしい。
 以上のことを踏まえ、鈴木さんは「見合い結婚」「恋愛結婚」「新たな結婚」を、「土台となる要素」と「結婚の構成要素」から分析して説明した。
 「見合い結婚」は、土台となる要素が家どうしの関係で、構成要素は入籍、共同生活、家族愛、性行為、子ども、家事、これらが家族のうちで完結している。
「恋愛結婚」の場合、土台となる要素は恋愛感情と性的関係であり、構成要素は入籍、家族愛、共同生活(別居、週末婚も含む)、子ども、家事であるが、子どもや家事も一部外部の支援を得ている。ただし恋愛感情と性的関係は、浮気や不倫のように家族の中で完結せず、外に出ていることもある。
 鈴木さんが「新たな結婚」の一例として考えているのは、土台となる要素が家族愛、共同生活となっている点で恋愛結婚と異なる。そして性的関係は家族の外部で満たし、子どもについては夫婦間での人工授精でもうけたいと考えている。
 鈴木さんの場合、性的思考についてはもともとオープンで自由であったと言えるが、それでいながら結婚を「この世で唯一の理性を超えた関係であり、不確実な未来における絶対的な拠り所」と考える、見ようによっては超保守的な立場をとっていて、その不思議なバランスが興味深い。
 「新たな結婚」についての彼の提案、とくに、結婚の安定のために性的関係と子どもを家庭の外に出すという発想は、突飛で非現実的に映るかもしれない。しかし結婚を構成要素に分解して、それぞれが結婚生活にとって必須かどうか、どれくらい外部に出せるかを、倫理的観点を入れずに検討しているのは、今一度冷静に結婚を考え直すのにはいい思考法であろう。

 3人の話の後は、Web上に書き込まれたコメントや質問を取り上げながら、ディスカッションを行った。この日に結婚の新たな形として提案されたものには、カスタマイズ、更新制、恋愛関係や性的関係の外部化、子どもの外部化など、反発を呼びそうなものもあった。実際、結婚をビジネスやサービスのように捉える見方に戸惑うコメントもあった。「最適な結婚相手」という考え方じたいに懐疑的な意見もあった。
 しかし全体としては圧倒的にポジティブな反応が多かった。過激なようで素直な感受性だと受け取った人もいた。結婚がすでに制度疲労を起こし、現実に合わなくなっていると感じている人は、実はかなり多いのかもしれない。他方で、そもそも結婚にこだわらなくてもいいのではないかという意見もあった。もちろんそのような立場も分かるが、それはむしろ今までよく言われてきたことで、今回のイベントの趣旨はそこにはない。
 結婚そのものを否定するのはむしろ簡単なことで、私はそれよりも、結婚の形態を柔軟にすることで、現在ある制度を生かす道を探るほうがより現実的で、より責任のある態度だと思う。結婚に限らず、制度が人を縛りつけるのか、人を守り自由にするものなのかによって、その社会が生きやすいかどうかが決まる。社会が制度によって維持されるかぎり、よりよい社会を構想することは、よりよい制度を考えることでもあるのだ。

イベントでは、3人の今後の活動のために、参加者から問いを集めた。そのなかには
・快適だから結婚するのか?
・夫婦が納得しても、子どもの気持ちはどうなるのか?
・家族を愛することと、パートナーを愛することは別の「愛」なのか?
・結婚は幸せのためにすることか?
・結婚と愛がセットで語られるのはなぜか?
・結婚をカスタマイズすると、面倒くさくなるか、それとも楽になるのか?
・結婚は人生において重要か?
・そもそも自分が何を望んでいるのかどうすれば分かるのか?
といった今後さらに考えていかなければいけない問いがあった。

 婚活支援サービスは、従来の結婚観がほぼ前提とされたまま、希望と条件のマッチングになっている。そこにこれからはAIが入ってきたりするのだろう。しかし、それでは私たちは、既存の枠組みに自分を無理やり当てはめるだけで、そんなことを繰り返しても自分に合った結婚に出会うことはできないだろう。3人の婚活支援は、むしろ既存の枠組みをいったん解体して、個々人に合うように組み直していく試みである。そのために重要なのは、自分にとって結婚が何なのか、そもそも自分はどんな人生を望むのかに向き合うことだろう。そこには結婚を肯定しつつ根本的に変革する可能性が秘められているように思う。私もぜひ応援したい。


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