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こまば哲学カフェ シリーズ “無意識の思い込み”について考える

2021.02.26 梶谷真司

世話役:川口ともみ・いでしおこ (ユニット名:Ebony & Ivory)

<シリーズ趣旨文>
 日常に紛れる“無意識の思い込み”(アンコンシャス・バイアス/無意識の偏見)について、私は最近「ん?」と立ち止まることが増えています。職場や日常生活、自分自身の中の、性別、年齢、障がい、国籍に関する気付いていない無意識の偏見から、人は自由になりたくてなれないのではないでしょうか?個を尊重した「ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂)」という言葉が聞かれるようになりましたが、皆さん自由になれていますか?

・駅や銀行窓口、商業施設等のインフォメーション担当に女性が多いのはなぜだろう?
・なぜ育児中の社員には「業務内容を手加減すべき」と考えてしまうのだろう?
・文系といわれる人は、理系といわれる人よりも情緒を理解できるのか?
・子供の習い事は性別で向き不向きがあるのか?

 普段、周りを気遣って使えない「差別的」「倫理にもとる」「知性を疑われる」ともとれる発言や表現も、哲学対話のルールで守られた空間であれば安全に発言ができます。周りの空気を読む不自由さの外で、考えを深めてまいりましょう。脳味噌一つ持参の上、ご参加ください!

<テーマ及び、開催日程/参加者数>
第1音「あかちゃん」について考える哲学対話
 2020年10月11日 (日) 14:00 - 16:00 /25人
第2音 『「私ってモノ?」を考える哲学対話 』
 2020年11月8日 (日) 14:00 - 17:00 /26人
第3音 『「ひとりぼっちってどういうこと?」を考える哲学対話 』
 2020年12月6日 (日) 14:00 - 16:30 /37人

<平均的なスケジュール>
1:参加条件の確認 5分
2:スケジュール/グランドルール説明 15分
3:問出し 20分 (Sli.do利用)→ 問いへの投票~休憩 10分程度
4:哲学対話 70分
5:問出し(チャット欄利用) 5分
6:感想・雑感

<参加者の雰囲気/感想等>
・参加者数は募集人員の7-8割。
・問いの数、発言共に非常に活発だった。
・(初回)身近な話題のため話したい人が多かったのか、最初の問い出しやルール説明はもう少し手短にした方が良いように感じた。→問い出しやルール説明を短縮し、哲学対話の時間を90分に増やした。

<当日集まった問い(「ひとりぼっちってどういうこと?」)>
・自分が主役の人生を生きることの大切さに気づくには、どうしたらいいのだろういいのだろう?
・あえて一人ぼっちになることを怖いと感じるだろうか?
・人と一緒にいたい、という気持ちをコントロールするのはなぜ難しいのか?
・なぜ学校では「孤独を愛する教育」「一人になれる訓練」がなされないのか
・なぜ、ひとりでいる人を理解しようとせず、異端とみなしてしまうのだろう?
・ひとりぼっちと自分勝手はどう違うのか?

<各々の所感>
 私が「無意識の思い込みについて考える哲学対話」の実施を思いついたのは、2020年9月に開催された「哲学プラクティス連絡会(オンライン大会)」において開催された男性性についての哲学対話において「解決できない困難の原因」として“無意識の思い込み”があるのではないかとの意見を聞いたことが発端である。 そのような思い込みは、男性だけではなく誰にでもあるものではないかとの疑問が生まれ、 他者とこのことを考える機会を持ちたいと思い、フェイスブックで実例を挙げて声掛けを したところ、いでしおこさんが共催を合意してくださり、2020年10月~12月、シリーズ として 3 回の哲学対話を実施することができた。

 第一回「赤ちゃんはだれのものなのか?」について考える哲学対話を実施した。 参加者から出た問いから「赤ちゃんを産む人はなぜ産むのか?」という問いを投票によって選択し、グループに分かれ対話を実施した。 私の参加したグループの構成は 12 人のうち高齢男性が 4 名、40 代くらいの男性がひとり、 お子さんを持たないまたは見込んだという女性が 3 名、出産を経験した人が 4 名であり、「赤ちゃんを産んだ人」は少数派であった。
 第二回「私ってモノ?」についての哲学対話を実施した。参加者からは「利用されるとはどういうことか」という問いがえらばれ、私の参加したグループでは人のモノ化がなぜ「利用」につながるのか?などを全体で共有しながら、人に「役割を限定するということ」な どを話した。
 第三回「ひとりぼっちとはどういうことか?」を考える哲学対話を実施した。参加者から選ばれた問いは「気をつかうのはつらいことなのか?」という問いが選ばれた。対話の経緯のなかで、私の参加したグループからは「無意識の思い込みが発生する原因」が共有され、発言者のなかから「もしかしたら思い込みかもしれませんが...。」と断ったうえで発言する人がでてきた。
 以上、3回を実施し、参加者が同じメンバーではなかったのにもかかわらず 3回目に「無意識の思い込みはだれにでもあるのではないか?」との共有がわずかでもされたことに意義を感じた。 (川口ともみ)

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 Facebookで交流のあった川口ともみさんの、対話を呼びかける投稿の内容に「シリーズで開催したい」と関心を持ちお声掛けをし、哲学対話が実現した。無自覚なフィルター、区別、偏見は身近な話題のためか、Twitterで参加希望有無を投げかけてみたところ、非常にたくさんの方が関心を持っていることがわかり、尚のこと開催への意欲が湧いた。

<第一回目> 「赤ちゃんはだれのものなのか?」について、川口さんにスピーチを行っていただき、そちらを聴きながら問い出しを実施。100以上の問いがでる。Sli.doの投票機能を使い「赤ちゃんを産む人はなぜ産むのか?」がキックオフの問いとして選ばれる。当初、出産経験のある人、子供を持つ人の「出産に伴う責任の重大性」に関する発言が目立つが、最終的に20代前半と思しき独身の女性から「なんとなく子供を生んではいけないのか?」という投げ掛けがあり、場の空気が変わるところを目の当たりにした。哲学対話後の問い出しでも短い時間ではあったが、「痛みを感じない男親の実感とは?」など34個の問いが出され、各班で非常に面白い対話が繰り広げられた模様。
<第二回目>『人のモノ化』について、問いが223個も集まり驚く。『「私はあなたのものよ」というのは、主体的に自分をモノ化しているのだろうか?』『「男は出せればいいんでしょ?」と思っている女性は、男性をモノ化しているのか?』『「あなたらしくして!」と言われると、私らしくいられなくなるのはなぜだろう?』など性別に関わる興味深い問いも多数集まり、全員が自分の感じている問題はもとより、問題だと思っていないこと…まさに“無意識の思い込み”をシェアしていたように感じる。
<第三回目> 130個の問いが集まり、『「気をつかう」のは「一人でいる」よりも、つらいことではないか?』がキックオフの問いとなり、私の班では各自の経験をおおよそシェアした中から『誰とも関わらないで孤独になれるだろうか?』というような問いを話すこととなり、老後や孤独死をイメージしての発言などもチラホラと見えた。三回では扱えなかった、性別や仕事、コミュニティなどによる “無意識の思い込み”の哲学対話もいつかしてみたい。 (いでしおこ)


<今後について>
 日常に溶け込んでいる “無意識の思い込み”は、個人的にも、増加する参加者数的にも、また社会的にも非常に関心の高いテーマであると感じている。現在はパートナーの川口ともみさんの多忙により二人で開催できずにいるが、ゆくゆく何らかの形で第4回目を開催したいと考えている。

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