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【報告】 UTCPシンポジウム「Living with the World 世界との共生」

2020.12.13 梶谷真司, 中島隆博, 石原孝二, 朝倉友海, 田中慎太郎, 井之上祥子, 山田理絵, 國分功一郎

 2020年11月29日(日)にUTCPシンポジウム『Living with the World 世界との共生』が開催された。本シンポジウムは3部で構成され、13:00〜17:00の4時間にわたってオンラインで実施された。
 

 まず第1セッションでは、松村紀明(帝京平成大学)先生と木下浩(岡山大学)先生からご講演いただいた。本セッション前半では、松村先生が「明治種痘の研究〜明治4年の種痘局規則を巡って」というタイトルでお話をしてくださった。種痘とは「天然痘(痘瘡)に対する免疫をつくるための予防接種の総称」である。種痘は、古くは人痘法が行われていたが、日本に牛痘苗がもたらされてからは牛痘法が行われ、これは当初は人から人へ植え継ぐ方法であった。のちに牛に一旦もどして植え継ぐ方法(再帰牛痘法)も導入された。種痘という技法には、植え継ぐにあたっては高度な技術を要することや、接種にあたって副作用があること、また痘苗という特殊な医療資源を用いるなどの特徴がある。種痘を広めたのは民間の医師であったが、明治政府は、その成立後まもなく種痘を管理しようとし、明治3年(1870年)以降の種痘局規則、明治5年(1872年)の文部省布達29号などを発布した。松村先生によれば、一般的にこのような種痘の取り扱いの変化は、「自然発生的に構築された民間の医師たちによる前近代的な医療システムから主権国家政府による近代的な医療システムへの移行」(スライドより引用)とみなされている。
 しかし、松村先生は、史料を詳細に読み解いていくと、当時の医療あり方が単線的に変化したというよりも、より複雑で多元的な構造であったことが分かる、と示唆された。具体的には、岡山県の難波立愿(りゅうげん)の県政とのやりとりや、彼の「救助種痘」という活動、そして東京において活動をし、難波とも連携していた大野松斎の「種痘積善社」という活動などを紹介されつつ、明治初期の日本では、種痘の管理をめぐって民間の医師のグループが大きな役割を担っていたことを示された。松村先生は、このような明治期の種痘の管理やその手続きをめぐる個別のやりとりから、実際の医療のあり方が多面性を有しているということを強調された。

 第1セッション後半では、木下先生が「明治12年コレラ流行下の庶民の治療選択~なぜ人々は神様にすがるのか」というタイトルでお話をしてくださった。かつて日本ではコレラの発生は度々生じていたが、明治12年(1879年)では日本中に蔓延する事態となった。全国的はこれらの波及を受けて、各自治体では、避病院や検疫委員の設置、患者の届出の義務付けや交通の遮断、石灰酸を使った消毒などを行った。この時はまだコレラ菌が発見されておらず、当時の人々は「見えない」病原体との戦いを強いられることになったのだ。木下先生は、特にコレラ流行下の岡山を取り上げ、地域別の感染の状況や、流行の拡大に際して人々がとった行動を詳細に説明してくださった。岡山におけるコレラの患者数と死者数はほぼ県の南部に固まっており、海岸沿線で多発していたという。岡山県もまた、「避病院の設置、学校の休校、諸興行の差し止め、無料で極貧者に石炭酸などを配る、新聞などによる情報の公開」(スライドより引用)など様々な策を講じたが、流行はなかなか収束しなかったという。木下先生は、このような県政主導の感染拡大防止策や患者に対する治療実践を紹介されると同時に、岡山の人々がどのような治療観をもっていたか、そしてその治療観に基づきどのような行動を取っていたかをお話ししてくださった。
 岡山県の人々には、病気が流行ると「木野山様」を祀るという風習があり、コレラの流行下でも木野山様へお参りする人々がいた。他方行政は、木野山様へのお参りで多くの人々が神社に集まることで、更なる感染の拡大が起こることなどを懸念し、新聞で木野山様には行かないよう繰返し啓蒙するとともに、一時的に木野山様を担ぐことや神社での祭礼を禁止した。しかし、木野山様を勧請したいという人々の願いは強く、その旨を記した議定書が行政により否決されるものの上申書が提出され、人々はついに木野山様を勧請するに至る。では当時木野山様を祀りたいと願った人々は、医療実践を根本的に否定し、「どうしようもないから神様に祈っていた」のだろうか。この問いに対し木下先生は、岡山の人々が、行政主導の治療方針をある程度肯定し受け入れつつも、完全にお上の意向に従うだけでなく、自分たちは自分たちで信仰を行うという強い意志と、主体的な治療行為の選択を行なっていた結果ではないかと考察された。

 続いて第2セッションでは、UTCPの「障害と共生」プロジェクトの活動報告が、プロジェクト運営スタッフ(井之上さん、田中さん、山田)により行われた。「障害と共生」プロジェクトの活動は、2017年10月から2020年9月までの間、上廣倫理財団からのご寄付をいただき、「上廣共生哲学寄付研究部門」(部門長:石原孝二先生)のプロジェクトとして運営されてきた。今回の報告では、部門での活動の振り返りとともに、今後の予定している企画についても報告された。
プロジェクトにおける大きな企画として「こまば当事者カレッジ」がある。カレッジは「様々な障害を持つ当事者、当事者の家族、専門職、研究者、学生などが共に学ぶ場を提供することを目的」に実施されている。カレッジでは、夏期コースと冬期コースが設置され、各コースではコースごとに設定されたテーマに沿った講義やディスカッションが行われる。これまでに、「当事者カレッジを作ろう」(2017年度冬期)、「認知症を考える」(2018年度夏期)、「生きづらさを考える」(2018年度冬期)、「家族と子育てを考える」(2019年度夏期)、「ひきこもりと居場所」(2019年度冬期〜2020年度夏期)の5つのコースが実施され、今後は「障害を考える」(2020年度冬期)が実施される予定である。カレッジでは、これまで障害に関連した様々な分野の研究者や臨床家、そして当事者活動を行なっている方々を講師としてお招きしてきた。シンポジウムでの報告では、カレッジの場での講師の方々と参加者の方々との交流の様子や、参加者の方々が企画してくださった「受講者企画」の概要などが紹介された。また、同プロジェクトで実施してきた、社会的養護やマインドフルネス、認知症、家族会議についてのシンポジウムの概要や、「障害と共生」研究会の内容についても報告された。

 最後の第3セッションは「世界を旅する概念とともに」というタイトルで、UTCPのメンバーである中島隆博先生、國分功一郎先生、朝倉友海先生による対談が行われた。本シンポジウムのタイトルは「世界との共生」であるが、はじめに中島先生がそのタイトルに言及し、「『世界』という語にしても『共生』という語にしても、一筋縄ではいかない」とおっしゃった。そして、日本語の「世界」という言葉が、サンスクリット語の翻訳であること、翻訳の歴史を考えるとき日本語の「世間」という語も同じサンスクリット語の翻訳であることなどに触れながら、一人一人がどんな「世界」を、そしてどんな「共生」をイメージするのかが違うのではないか、との翻訳不可能性をめぐる問題提起をなさり、第3セッションの対談がスタートした。
 続いて國分先生が、デリダのエリクチュールという概念に触れ、現代において「固有性」について再検討することについて問題提起をされた。さらに國分先生は、朝倉先生のご著書『東アジアに哲学はないのか』(岩波書店、2014年)の内容に言及された上で、「哲学」の固有性についてもお話をされた。古代ギリシア語のphilosophiaは、基本的にヨーロッパでは翻訳されなかったが、この語が日本に入ってきた時に「哲学」と翻訳された。しかし日本における「哲学」が指し示すものには、また別の言語に翻訳するのに値するような固有性が備わっているのではないか、と國分先生は述べた。中島先生、國分先生の問題提起を受けて、浅倉先生は「哲学」は一般名詞ではあるが固有名詞的な側面もあるのではないかと述べた上で、では何がその固有性の中心にあるのかということをはじめとして、「哲学」という言葉をどのように考えたら良いのか、と応答された。その後、3名の先生方の対談では、ギリシャの言語とヨーロッパの言語との差異、近代におけるギリシャ哲学の位置付け、ギリシャとエジプトとの関係、そして中国哲学の位置付けや中国的固有と見做されているものへの懐疑といったテーマについての議論が展開された。
 本セッションの終盤に、日本、フランス、中国の思想や哲学について、「誰が(nativeとして)語ることができるのか」という問いが提示された。これに関連して、中島先生は「これまで『土着的』や『土着する』ということが、きちんと精査せずに語られてきたのではないか」と述べ、改めて「固有性」というものが問われる時期であろうことを示唆された。國分先生は、本セッションのタイトルである「世界を旅する概念とともに」に触れ、COVID-19の世界的な流行により、我々はいま旅に出られない状態であるが、概念の旅はとどまらないということを示唆された。最後に中島先生から、旅して歩かないことには「道」は作られず、歩き続けることで異なる風景が立ち現れるとのお話があったところで、セッションが終了となった。

 全てのセッション終了後には、本シンポジウムの後援である公益財団法人西原育英文化事業団の西原彰一代表理事、上廣倫理財団の丸山登事務局長からコメントをいただいた。また、セッション毎に、参加者の方々から沢山のご質問をいただき、登壇者と参加者の方々とのやりとりを通じて、シンポジウムでの議論がより一層深まったと思う。本シンポジウムでは、様々な専門のバックグラウンドを持つ先生方が登壇され、それぞれのテーマについての問題提起や考察についてのお話をしてくださった。シンポジウムに参加して、私は、それぞれの先生方のご専門、扱われている具体的なテーマは異なれど、テーマを通じて取り組まれている大きな問い、基本的な問題意識には少なからぬ共通点があるのだということを改めて実感した。
 4時間にわたるシンポジウムの閉会時には、UTCPセンター長の梶谷真司先生からご挨拶をいただいた。梶谷先生は、「UTCPという場が東大の中で土着してきたのではないか」とおっしゃり、このような状況下で、オンラインの開催となったからこそご参加いただけた方もいるのではないかということもあり、「今後のUTCPではより広いかたちでの哲学の活動を進めていきたい」と締め括られた。
 長時間のシンポジウムでしたが、参加してくださった皆様に改めてお礼を申し上げます。

(報告:山田理絵)

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