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梶谷真司 邂逅の記録109 公開哲学セミナー「コロナ危機と来るべき世界を考える」

2020.05.19 梶谷真司

コロナウィルスの影響で通常のイベントが軒並み中止となっている。UTCPも例外ではない。とはいえ、このまま活動を休止することもない。今まで哲学を新しい形で発信してきたUTCPとしては、これも新たな試みをするきっかけにしたい。

そこで今年の四月に着任した國分功一郎さんが、さっそく「遠隔授業」をテーマに、現在日本各地で行われているネットによる授業が持っている可能性と問題についてシンポジウムを行った(これについては別にブログ報告がある)。これは定員500人をはるかに超える800人もの登録があり、当日申し込んだのに視聴できないという想定外の“トラブル”まで発生した。
オンラインでのイベントは、まだ私たちも慣れておらず、まさに今が実験の時である。そこでさらに「公開哲学セミナー」というシリーズを立ち上げ、それで様々なオンラインイベントを開催していくことにした。
最初に企画したのは、ユヴァル・ノア・ハラリがFinancial Timesに寄稿したThe World After Coronavirus(コロナウィルス後の世界)という記事を手がかりにして、現在全世界を覆っているコロナ危機とはいったい何か? それは何をもたらし、何をどのように変えるのか? 私たちは、この危機にどのように向き合い、どのように乗り越えるのか ? この危機が去った後、世界はどうなっているのか?といった問いについて考えるイベントである。Zoomで登録制にしたが、申し込みは170人を超え、当日も160人ほどが参加した。
このイベントのポイントは、ハラリの記事を取り上げるが、ハラリ自身は登壇しない。ハラリはたんなる出発点、素材であって、ハラリの考えについて議論するわけでもない。もし実際にハラリが登場したら、多くの人はハラリを見に来るだろう。それはたんなる見物にすぎない。しかもハラリについて“お勉強”などせず、彼の記事を読んで、共に考える場を作る。それはハラリの書いていることをより正面から受け取ることになるとも言えるだろう。実際に行ったのは、ハラリの記事を読んで、そこから疑問に思うことをグループワークでみんな出し合すというワークショップである。
告知のさいには、ハラリの記事の原文と日本語訳(たまたま翻訳者が河出書房新社のHPで全訳を公開してくださっていた)のリンク先も出して、読んでから参加という形をとった。読んでない人もいるだろうし、とりあえず共通理解を作るために、大学院生の宮田晃碩氏に記事のポイントをまとめてもらったうえで彼に問いを出してもらった。さらにもう一人、同じく大学院生の山野弘樹氏にもコメントと問いを出してもらった。
宮田氏が出した問いは、
・どうすれば「信頼」は築けるのか?何を「信頼」すべきなのか? 
・何を知ることが大事なのだろうか? 科学的知識だけが「知識」なのか?
・「危機」は共有できるのだろうか? 共有すべきなのだろうか?
山野氏が出した問いは、
・コロナ禍の中で、どうすれば「妥当な判断」をくだせるのか?
・「体についての情報」から、どこまで「その人の心」を知ることができるのか?
・独裁や独断は避けられるべきだが、常に「合意」が目標とされるべきなのか?
これをいわば“見本”として、参加者にはグループワークをしてもらった。Zoomにはブレイクアウトセッションという便利な機能があり、参加者を自動で設定した数のグループに分けてくれる。7~8人で16グループ作り、みんなで考えるべき問いを見つけてもらい、1グループあたり3つずつ選んで、全員で問いのリストを共有する。そして、その問いを見ながら、自由に発言してもらうという仕方で進行した。
次のような興味深い問いがいくつもあった。
・個人の権利とコロナ対策は両立するのか?
・清潔すぎる社会を目指すべきか?(多様性も大事ではないか?)
・身体性を伴う体験をどう得ていくのか?(リアルで集まることの価値をどうしていくか?)
・信頼できるマスメディアをどう獲得するか?
・人は何があると信頼できるのか?
・「信頼」の先に「同意」があるのか?
・連帯するのはよいことか?
・「会う」とはどういうことか?
・コロナ危機でどれだけ地域のために自分は頑張れば良いのか?
・コロナ以後の教育をどう考えたらいいのか?
このようにグループで、素材となる文章について問いを出すのは、私が今までいろんな高校で文章講座をする時にやってきた手法を応用したものである。それがオンラインイベントで行かせたのはよかった。また、ハラリ自身を招聘しなくても、ハラリのイベントができることも分かった(しかも予算がかからない)。
また当然のことだが、オンラインだと、地理的な制約を受けないため、北海道の人も九州の人も参加していた。特に印象的だったのは、住んでいる地域によって、コロナ禍のリアリティ、報道と実生活との距離が違うことだった。遠く離れた所に住んでいる人たちが話をし、それぞれの疑問や経験を共有できたことは、リアルなイベントでは不可能なことだろう。
さらに、オンラインであるおかげで、参加のハードルが一気に下がり、子育てで家から出られない人や、普通なら大学の学術イベントには来ないような人も来ていたようだった。多様な人が出会い、語り合う場を作るには、インターネットは、やはりまだまだいろんな可能性を秘めている。

(梶谷真司)

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