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【報告】2019年度キックオフシンポジウム「Ties of Reciprocity 共生の軌跡」

2019.05.08 梶谷真司, 中島隆博, 石原孝二, 川村覚文, 八幡さくら, 内藤久義, 山田理絵, 佐藤麻貴, 文景楠, 榊原健太郎

2019年4月29日、東京大学駒場キャンパスにおいて、2019年度UTCPのキックオフシンポジウムが開催されました。シンポジウムでは2つのセッションで発表、講演、ディスカッションが行われました。以下では、各セッションの概要について報告いたします。

 第1セッションでは、上廣共生哲学寄付研究部門が主催する「障害と共生」プロジェクトからの発表が行われた。同プロジェクトでは、2017年11月から「こまば当事者カレッジ」という試みを行っており、カレッジの様子を中心に、「障害と共生」プロジェクトの活動内容が報告された。

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 はじめに、同部門の部門長である石原孝二先生から、カレッジの主旨についての説明があり、その後、各企画の概要について時系列に沿ってお話が進められた。カレッジでは、2018年4月〜8月に夏期コース「認知症を考える」、2019年2月〜4月に冬期コース「生きづらさを考える」というタイトルのコースが設置され、あわせて10回の講座が行われた。講座の主な内容は、外部講師によるコースのテーマに沿ったレクチャーと、レクチャーに基づいた内容を参加者同士でディスカッションするワークショップである。また、一部の講座では、コースの受講者に企画を提案していただき、コースを通して考えたことや、コースに関連する経験についての共有を促すようなワークショップも開催された。カレッジでは、これまでに3回のコースを実施してきたが、受講者がより主体的にコースに参画してくださるようになったとの説明があった。

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 また、シンポジウム当日、会場には継続的にカレッジに参加されてきた方々もいらっしゃった。第1部の後半では、実際にカレッジに参加したり、カレッジの中で企画を実施してくださったりした方々から、イベントの様子や参加した感想などが共有された。「生きづらさ」のコースに参加された方からは、「生きづらさそれ自体があることは変わらないけれど、生きづらさについての受け止め方が変化したように思う」という感想をおっしゃった。また、こまば当事者カレッジに継続的に参加している方からは、自身のことを語れる大事な場である、との感想をいただいた。第1部の終了間際まで、カレッジ参加者や会場の方々との間で、意見・感想の共有や質疑応答が行われた。カレッジでは、受講者によるより主体的な参加によって、グループのダイナミズムが生まれつつあるように思う。そのことを、目の当たりにしたようなセッションであった。(文責:山田理絵)


 キックオフシンポジウムの後半は、「日本近世の思想世界」について、関西学院大学の山泰幸先生と二松学舎大学の町泉寿郎先生に登壇いただいた。山先生からは「贈与から見た江戸の思想闘争-鬼神・言語・秩序」、町先生からは「日本漢学という視座」と題して、それぞれ御講演を頂戴した。

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山先生からは、先生の御関心の鬼神論から着想され、本年1月に角川から上梓されたばかりの先生の御著書『江戸の思想闘争』について、概要を大変コンパクトにお話しいただいた。マルセル・モースの説明する「贈与」とは、「贈る義務、与える義務、受け取る義務」について論じており、贈与とは人間関係の基礎にあるものとされている。これに対し、モース自身も述べているが、贈物には、危険性が伴い、贈物を受け取る義務があるにも関わらず、贈物が毒なのか薬なのか、贈物の受け手側には受け取ってからでないと分からないという。この薬が毒かもしれないという論法は、鬼神論と並行して、江戸時代にも見られるようだ。新井白石は『鬼神論』において、「仏教を信ずることが難しいのは、それが薬なのか毒なのか知り得ないからだ」として、儒教擁護、仏教批判として、この薬と毒の論法を用いている。また逆に、新井白石の毒と薬の論法を応用して、仏教者が儒教を批判することも、後年の言説において散見されるようだ。平田篤胤の『新鬼神論』においては、白石の薬と毒の理論から一歩進み、鬼神が存在すると言っても、存在しないと言っても、いずれにせよ言い逃れであるとしている。そもそも、鬼神とは、自然の象徴であり、特別な言語で話す特権階級や支配者層を指したものであるが、儒教の文脈においては、鬼神とは祭祀のために聖人が作り出し、聖人が人間に贈与したものであるという前提がある。こうした薬と毒の論法と贈与論が、日本の近世における言説に一貫して見られるのではないだろうか、というのが山先生の本の着想点との事だった。

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時間の都合もあり、御著書『江戸の思想闘争』については、多岐に渡る話題について、駆け足で説明された。以下、ハイライトを簡潔に記してみたい。本居宣長における「言葉と文字の問題」-漢字や漢文に汚染されていない日本語(大和言葉)を探る試みから、漢心(からごころ)という視点を獲得し、仏教と儒教を毒酒としたのに対し、国学を解毒剤とした上で、大和に対し漢心を立てることにより「他者問題」へと発展させた。次に、荻生徂徠における「翻訳問題」として、吉備真備によって確立された漢文訓練法の功罪を指摘し、翻訳をするという行為自体が空間軸・時間軸の両者において言語を変化させてしまうことを指摘された。また、徂徠と伊藤仁斎を比較することによって、近世には二つの秩序観があったことに言及された。すなわち、徂徠が、儀礼による秩序無しには人間は自然状態に戻ってしまいがちだということを主張することによって、儀礼による秩序回復説を試みたことに対し、仁斎は自然状態こそ秩序状態であると主張する。加え、太宰春台と賀茂真淵を引き、中国のおかげで日本は文明を持ちえたのか?という問いに対し、訓読の問題を持ち出して論じた春台(訓読が無いものは日本には無い概念だったという主張)と日本の古代こそを自然状態であると主張する真淵(真淵の主張は後年、平田篤胤に引継がれる)を比較した。

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町先生からは、日本における漢文(Literary Sinitic)研究や、漢学全般の歴史と現状について「日本漢学という視座」と題して御講演いただいた。漢学とは、いわゆる漢文による学びとは異なる和漢古典籍の研究を指し、近年、日本において近世までに研究されていた自然科学業績が日本古典に入っていないことから、日本には科学の萌芽が無かったかのように理解されていることに問題があると指摘された。こうしたことの背景は、明治期の東京帝大の設立時における学問の定義の仕方に遡求できるとし、中国哲学(当時は支那哲学)と漢学が分離された経緯について島田重礼(志那哲学史)と井上哲次郎(志那哲学、東西比較哲学)を挙げながら、1920年代頃には、漢学が日本思想史の範疇となり、学問対象として脱落していった経緯を説明された。

一方、近代漢文教育においては、渋沢栄一や福沢諭吉の官尊民卑の打破と中間層の育成を目指した思想が取り入れられ、不思議な形で『論語』や漢詩文が義務教育の中にも取り込まれていく。新紙幣に渋沢栄一が使われることから、渋沢栄一は経済人として『論語』を読み、斯文会の結成(大正7年、1918年)に尽力したこと。また、斯文学会を東京帝大に寄付し儒学科を新設しようとした服部宇之吉に対し、渋沢が大変反対したエピソードが紹介された。また、渋沢の影響なのか、近代経済人にも『論語』を中心とした儒学思想が大変受け入れられており、儒学に影響を受けた主な経済人として渋沢の他に、安川電機創設者の安川敬一郎がいることなどを挙げられた。

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お二人の提題を受け、中島先生は、今回の二つの講演に共通する問題として次の二点を指摘された。1)主体と言語の問題として捉えることはできないだろうか、2)礼とはある種の人間行為の破壊と再構築であることをMichael Puettは指摘し、正しい贈物でないと受け取ってはいけないとするが、礼における贈与とは正しい贈物なのだろうか。この問いに対し、町先生は、江戸中期以降の藩校と明治期以降の漢学の普及に言及され、日本の大学には日本哲学、日本思想を専攻として教える大学が存在しないことを指摘された。すなわち、問題の根底にあるのは、主体である日本をどう扱うのか?日本をどこに位置付ければ良いのか?という問題が、江戸期以降、現代に至るまで、ずっと存在している。主体と言語の問題とは、江戸期以降、何度も繰り返し問題にされているのだが、それに対し、我々は未だ回答できていない。しかし、こうした問題は日本以外の周縁国、例えば琉球やベトナム、あるいはヨーロッパの周縁として位置づけられる国々にも共通する問題であろうことも指摘された。山先生は、主に日清・日露戦時中の鬼神論として見られる現象に、碑文や弔辞文が漢文で書かれていることを指摘された。なぜ、亡くなった人々への儀礼的言語として漢文性が必要だったのか?これに対し、町先生は碑文の作成者は多くの場合、漢学者であり、漢学者は教養者であったことから、明治期には公的に役人であった場合が多く、必然として漢文での弔文が多かったのではないかと指摘された。中島先生は、井上円了(東洋大創設者)と中江兆民(二松学舎大学創設者)に言及され、日清・日露戦争で露呈したのは、戦死した者を国家は祀れるのか?という問いだったのではないだろうか、と指摘された。これに対し、山先生は英霊という思想自体が第二次世界大戦末期に出てきた概念であることに言及され、町先生は儒学や国学というよりも神道思想が英霊祭祀には強く関係しているのではないかと指摘された。これをもって、御登壇いただいた山先生、町先生とコメンテーターの中島先生のディスカッションは終了した。

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その後、いくつかの質問がフロアから出された。吉見副学長からは、今回の議論をまとめるようなコメントを頂戴した。すなわち、共同体における他者性として、贈与する他者が垂直の関係なのか水平の関係なのか。また鬼神と贈与のメタ認知として薬と毒の二元論のみならず、日本古来からある神と鬼の二面性、すなわち神も鬼も鎌倉時代までは「もののけ」として捉えられており、二元論的に捉えられることは、その相反する二面性にも着目する契機となることを指摘された。最後に梶谷先生からは、昨年12月にHMCの共催を受け「世界哲学としてのアジア思想」シンポジウムを開催したことに言及され、学問的挑戦が互いに連携しているということ、また、それをUTCPが基盤となり築いていければと思うとの、力強いコメント頂戴した。
(文責:佐藤麻貴)

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