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梶谷真司 邂逅の記録97 音楽と想起のコミュニティ

2018.10.19 梶谷真司

10月6日(土)、アーティスト、文筆家、研究者、そして自称“文化活動家”というアサダワタルさんとのコラボイベントを行った。これも〈哲学×デザイン〉プロジェクトの企画である。

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アサダさんとの出会いは2016年にさかのぼる。当時私は、夏から秋にかけて、「多様性と境界に関する対話と表現の研究所」×「東京迂回路研究」×「アーツカウンシル東京」のコラボ企画で、文章の書き方講座を担当した。それで最後授業で、受講生たちのプレゼンテーションのコメンテーターとして、アサダさんに来ていただいた。
そのおり私は初めてアサダさんの著作『コミュニティ難民のススメ』を読ませていただいた。それで経歴もスキルも全然違うけど、根っこのところが自分とつながってるなあと感じた。アサダさんは、もともとドラマーとして音楽活動をするミュージシャンであった(今もそうだ)。しかしその後、音楽をきっかけにして人の集まる場を作るコミュニティデザインのようなお仕事もなさってきた。そして被災地や地方の小学校、福祉施設などで音楽によるさまざまな場づくりを行ってきた。さらに2016年には、音楽と想起とコミュニティの関りをテーマに博士号まで取得。その後は研究者としての側面も持ち、もはや何者か分からない人になっている。

彼の活動が、最近私が関心を持っていることと重なる部分が多いのと、やはり自分自身、アサダさんが言うところの「コミュニティ難民」で、自分が何者なのかよく分からないので、とにかくこの人、気が合うなあということで、いっぺん何か一緒にやりたいと思っていた。事前に一回会って、お互いの活動のことでおしゃべりして意気投合。「駒場でなんかやって」という調子で、コラボイベントを企画。その後これと言った打ち合わせも下見もなく、「当日で何とかなるでしょ」という感じで、当日を迎えた。
さすがというべきか、当日は、遅刻やら機器の接続がうまくいかないやら、最初からトラブル続き。午後1時開始の予定が結局1時間くらい遅れて2時にスタート。それまでの時間、音楽活動をしている学生がその場で一曲歌ってくれて(歌わせて?)、他にも芸人の人がいてネタを披露してくれたり、さらには、自己紹介をみんなにやってもらったりと、遅れたおかげでかえって盛り上がった。トラブルがいいハプニングになり、それがサプライズにつながり、開始時間には、場がうまい具合にできあがっていた。

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アサダさんはこれまでの活動について、パワポを使って説明した。まず、彼は自分の活動の目的は「人々の個性と創造性がのびのびと生かされるコミュニティ・コミュニケーションを立ち上げること」だという。そしてその活動の軸になっているのが、彼の場合、音楽なのである。
そこでアサダさんは、自分がこれまでやってきた様々なイベントの紹介をした。借りっぱなしになって返していないCDを集めて、そのエピソードと共に展示するイベント「借りパクプレイリスト(KPPL)」。ここではCDという商品としてはまったく同じものが、人々の記憶を介して別のものになっているさまが現れる。みんな同じ曲を違ったふうに聞いている。
ある意味でそれは当たり前のことだ。しかし音楽は何かを想起させ、人をつなぐ力がある。それをはっきり示しているのは、釜ヶ崎の商店街に街頭テレビを出して行った「カマン!TV」である。近所の人が街頭テレビを見て、思い出の曲をリクエストし、それをYoutubeで流す音楽プログラム番組を週替わりで作った。すると歌を介して、立場や世代を超えて記憶が喚起され、そこからおしゃべりが広がり、想い出や思いが共有され、コミュニティができていく。
また、企業のCSR活動に協力し、高知の小学校で、家族への音楽インタビューをもとに、子どもたちでコピーバンドを作り、コンサートを行った。名付けて「歌と記憶のファクトリー」。ここでも音楽を介して、記憶が共有され、それがコンサートという形に結実するのだが、その過程で親や地域の人が子供に演奏や歌を教えるという多世代・地域交流が生まれている。
北海道の小学校では、校歌のプロモーションビデオを子どもたちで作るという活動も行っている。他にも、被災地の避難地域の一つ下神白では、住民(多くが高齢者)にインタビューをし、想い出の曲やそれにまつわるエピソードを話してもらい、ラジオ番組を作っている。この「ラジオ下神白」は、テーマでまとめてCDにしてプレゼントするという形で記憶を共有するものとなった。
アサダさんはこうした説明の合間で、そのつど関連する質問をその場にいる参加者にした――「人から借りたまま返せなくなってしまった思い出の楽曲を1曲、教えてください」、「子どものころ好きだった思い出の曲を1曲教えてください」というリクエストをして、参加者がそれを紙に書いて出す。それを書いた人を次々選んで、「ゲスト」としてアサダさんの横に来てもらい、インタビューを受ける。そして曲をYoutubeで流す、という具合に。イベントじたいがラジオ番組のように進行し、その場にいた私たちは、いつの間にか音楽を通して即興で結びついたコミュニティとなった。

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そして最後の1時間は、フリーディスカッション。アサダさんへの質問もあれば、自分の体験談を話す人もいたりして、5時半まで、最初の準備も含めると4時間半にわたる充実のイベントであった。
最後にイベントの最中、その後に考えたことを綴っておこう(一部はディスカッションの内容)。最近は多世代交流や異文化交流、異なる立場の人たちが関わり合う場、コミュニティを作るイベントや活動が多い。私の関心もそこにある。
だが、それはその場だけの、意図された(イベントであれば企画された)ものであってはならない。それは相互理解や寛容さ、親切心や優しさのような道徳的規範を要求するものでもいけない。もっと自然で、何気ないものでなければ、長続きしない。そうでなければ、本当の意味でいろんな人は参加できない。なぜなら、世の中は善人だけでできているわけではないからだ。
アサダさんによれば、そのために必要なのは、記憶ないし想起だ。それは個人的であると同時に、語ることによって共有できるものでもある。さらにそれがきっかけとなって、個人と共同の両方で想起がさらに展開する。人はモラルやルール以前に、意味を共有する。そうやって自分の物語を、周りの人と一緒に作る。そうでなければ一緒にいられない。
それは普段の人間関係の中では難しい。親子は親子の関係でしかない。先生と生徒の関係、上司と部下の関係、近所の人の関係、見知らぬ人どうしの関係、どれも通常のルールによって決められている。それ以外の関わり方は、普通はできない。それは社会的なマナーであり、効率よく、スムーズにお互いが関わるための規範である。だがそれは同時に、お互いの関係を固定し、互いをそれぞれの立場に追いやり、その関係に入れない人たちを排除する。それは住み分けの論理ではあっても、共にいるための論理ではない。

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このような固定した規範を一時的にせよ崩すには、互いが普段では関わり合わないような場が必要だ。それは予期しない、偶然的な要素がないといけない。予想できれば、いつもの規範がすぐに持ち込まれるからだ。
そのためには普段は一緒にいない、いろんな人がいることが重要だ。「いろんな立場の人が共にいるためにいろんな人が必要だ」というのは、当たり前のような、論点先取のような話だ。しかし、通常の発想はそうではない。違う人が一緒になるために、前もって勉強する。それぞれがお互いの立場を学んで、「さあ、一緒にやりましょう!」となる。しかしそんなことはしなくてもいい。はじめから一緒になればいい。
とはいえ、そもそもそれが難しい。だから、そういう差異が気にならないことをしなければいけない。音楽にはその力がある(もう一つは「食べ物」というのが私の持論だ)。芸術でもいいが、日常生活には少し縁遠い。誰でも何かしら知っているというほどでもない。その点で音楽は優れている。
そこに予期しない、偶然的な要素を入れるのが「即興」である。コミュニティの場は、その場その場でまったく性格が違う。同じ手法を使ってもうまくいかない。ベースは何かあるのだが、それをその場に合わせて変えていく柔軟さが必要だ。そういうのがアサダさんは抜群にうまいし、そういう即興が可能で生きてくるような場の作り方を彼はしてきている。
やはり私たちは似ている。で、彼からはいっぱい学ぶことがあった。今度彼の現場を見に行こっと。


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