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【報告】ミニ・シンポジウム「漢字圏の教養教育:明治日本の“普通教育”から21世紀の古典教育へ」

2018.07.10 石井剛

さる6月2日土曜日、中国社会文化学会主催、UTCP共催のミニ・シンポジウム「漢字圏の教養教育:明治日本の“普通教育”から21世紀の古典教育へ」が東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1にて行われた。国際日本文化研究センターの伊藤貴之教授に司会を務めていただいた。

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今回の最初の報告者は華東師範大学教授・国際日本文化研究センター外国人研究員の潘世聖氏で、テーマは「弘文学院留学期の魯迅における日本受容――新発見の『宏文学院講義録』をめぐって」であった。潘氏はまず既存文献と先行研究に基づいて、魯迅が東京に滞在した時期の留学生活、弘文学院の基本状況を紹介した。魯迅は自ら日本への留学を「大失敗」だと考えており、生涯この時期についてほとんど言及することがなかった。それゆえ、魯迅の日本留学の実情と早期思想の変遷に関する研究も難しかったと潘氏は指摘した。続いて、中国で発見された孤本とみなされる『宏文学院講義録』の内容を学界で初めて公表した。その内容から、日本に着いたばかりの魯迅は、明治時代の学術的雰囲気から影響を受け、社会進化論、国民精神論などを吸収しつつ、これらを批判し、自身の早期思想の基盤を作ったと考えられる。東京大学の小島毅教授、UTCPの石井剛教授、伊藤貴之教授は各自の関心から、『宏文学院講義録』の内容についての事実確認、『宏文学院講義録』に見られる明治時代日本社会の思想傾向などについて、討論を行った。

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韓国朝鮮大学校の韓睿嫄教授は「東アジアの儒教教育と古典の再解釈について」をテーマに報告を行った。韓氏は儒教の経典である『大学』を中心に、現代教育の立場から儒学伝統の中の個人――家庭――社会という教育理念を整理した上で、儒教の社会教育精神の再評価を提起した。そして、韓国にもインパクトを与えた中国における「読経運動」から、古典のテキストの取り扱い方について論じた。清末以来の儒教の再解釈の流れから、「徳性学」的な解釈と「文献学」的解釈との間のバランスは長年続いた論争点であり、今後の古典解釈は「伝統」と「現代」を連結すべきだと韓氏は指摘した。テーブルから韓国古典教育の現状、中国現在の国学普及などの議論が出され、会場は盛り上がった。

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今回の発表者の二方は異なる時代・異なる人物・テキストを用い、シンポジウムのタイトル通り、教育が個人修養と思想の形成において大きな役割を果たしたことを立証した。しかし特定の言説では、「教育」は上から下まで一方的「改造」と理解され、「文明」が「野蛮」に勝ち、「良くないもの」は「良いもの」と入れ替えられ、そうした優越感が何度も自己中心意識を形成してきたのである。魯迅が明治日本で感じたのもそのような雰囲気であったのだろう。ここで人文学、特に古典テキストの吟味は、人々をその高揚した抽象的優越感から解放させ、他の時代、他の地域の人物や事件と出会うことによって、自己の存在様式を再確認し、さらに一歩進んで他人や社会の再考察を促すことになるだろう。
(文責:胡藤)

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