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梶谷真司 邂逅の記録96 日常世界としてのルワンダ

2018.06.20 梶谷真司

 2018年6月17日(日)14時から、「ルワンダへの恋、ルワンダからの問い」というイベントを行った。ゲストとしてお呼びした加藤雅子さんは、もともとホテリアーで、その後マナー講座の講師をなさっていた。他方で無類のアフリカ好きだったこともあって、ルワンダに行って、その魅力に“取り憑かれ”、現地の人と一緒に暮している。

 ルワンダと言うと、1994年に起きた大虐殺のイメージが強く、その関連のイベントになりがちだが、私自身は、そのようなルワンダのイベントがしたかったわけではなく、加藤さんという女性がほれ込んだ国としてルワンダに興味があった。それにルワンダ=虐殺の国と見なすのも、ある意味偏見であり、失礼な話である。だから、テーマは虐殺や人道支援ではなく、あくまで日常生活にスポットを当てたかった。
 今日はまた、加藤さんの知人で来られなかった人のためもあり、Facebookでライブ配信するという新たな試みも行った。
 加藤さん自身は、伝統文化、とくに伝統医療の調査を“仕事”(?)として行っている。しかも自ら治療を受ける、文字通り“体当たり”の調査である。ルワンダの伝統医学では、世界にあるあらゆるものを使い、呪術的な治療も行う。彼女も、足の傷が3か月治らなかったのをルワンダ屈指の伝統医に診てもらったとき、まずは治す気持ちができていないので、それをもてるように薬を処方される。そこで粘土の塊と炭2キロを渡され、さらに傷跡を槍で呪文を唱えながらつつかれた。粘土は医者の家からの帰りに拾った石で削って粉にして飲み、炭も2週間かけて全部で2キロ飲んだ。それで結局傷跡はきれいに治ったという。そのあと、加藤さんが生活の中で不思議に思ったことをいくつか挙げた。
 まず、子どもは、公共の場にかなり長い間連れられているのに、泣いたりぐずったりするのをほとんど見ない。日本で泣いたりぐずったりする子供をよく見るのと対照的で、「子どもが泣くってどういうこと?」というのが疑問だそうだ。
 また、地域や仕事ごとに踊りがあって、それは幼児から老人までみんなが楽しんでやっている。こういう「全世代が楽しいものって、どんなものがあるのか?」も、日本と比較して考えたくなる。
 さらに、電話やメッセージが特に用事がなくても頻繁に来る。それはただHi!とかHow are you?だけで、それがいろんな人から一日に何度も来る。そこで「用事がないのに」と多くの日本人が思うだろうが、逆にそもそも「用事って何だろう?」と問いたくなる。
 最初の2時間は、みんなが次々に加藤さんに質問したり、こうした問いについて、自由に意見を言っていた。また、こうした平和で平凡な日常の話の隙間から、時おり大虐殺の影が見える時があり、その点でもルワンダだからこそできる話も多かった。
 その後休憩をとって、哲学対話へ。初めての人もいたので、趣旨を説明して、今日の話を聞いて考えたい問いを出してもらった。すると次々にいろんな問いが出てくる――呪術は信仰か? 都市と地方の違いは? 望ましい生き方とは? 文化って何? 伝統って何? 国って何? 仕事って何? 社会の発展によって個人の生き方はどう変わるのか?
 結局「社会の発展によって個人の生き方はどのように変わるのか?」が選ばれ、対話を行った。
 世の中の変化によって、変わるものと変わらないものがあるのではないか?
そこから仕事、生き方、文化、伝統などに話が広がり、ルワンダを通して、近代化やこれからの社会について、どんなふうに変わるのか、何を大切にすべきなのかなど、話題は多岐にわたった。
 加藤さんのように、特別に社会的・学問的な意識が強いわけではない、ある意味普通の人でありながら、ルワンダの社会に深く入っている人と一緒だからこそできた、稀有なイベントであった。

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