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【報告】国際哲学オリンピック 2018 in Montenegro, Bar(2)

2018.06.18 梶谷真司, 榊原健太郎

このたび、5月23日から5月27日までモンテネグロのバールにて開催された第26回の国際哲学オリンピック((International Philosophy Olympiad:IPO)に日本代表団の引率教員の一人として参加した。例年、日本代表選手をIPOへ派遣するのに先立ち、国内選考会、日本倫理哲学グランプリ、高校生のための哲学サマーキャンプといった関連イベントが行われている。

これらに私はチューターや講師・審査員などとして関わる機会を得てきたが、IPO自体へ参加するのは初めてだった。以下では、今回のIPOへ参加して感じたことのいくつかを思いつくままに記したい。(なお、IPO2018モンテネグロ大会に関する基本的な情報については、「報告(1)」にくわしいので、そちらをご覧いただきたい。)

A report in English here.


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日本からモンテネグロへ。5月22日未明に羽田発。日本代表団代表の梶谷先生と代表選手の一人である高以良君とともに、フランクフルト、ウィーンをトランジットしてモンテネグロの首都ポドゴリツァの空港へ到着。イタリアより現地入りしたもうひとりの代表選手石川君と空港近くのホテルで合流した。冬の国内選考会以来の再会。互いに近況報告など。ポドゴリツァ市内を散策し夕食をとって一泊した。翌朝、南西部の町バールへ移動。バールへの出発前、ホテルのラウンジで、IPO 2日目に実施される哲学のエッセイライティングへ向けたミーティングを行う。高校生二人と教員たちのあいだでの活発な議論。事前に両者のあいだで行ってきたエッセイのトレーニングの成果も踏まえ、石川君も高以良君もそれぞれ自分の持ち味や課題などを整理する様子。あとは体調面など、良いコンディションで大会に臨んでほしいと願うばかり。

「いやぁ、なんていうか、学校って、一緒に考えてくれる先生がいないんですよ(…)」

「哲オリ[哲学オリンピック]に関わりはじめてから、ボク、暗記科目が苦手になりました(笑)」

いずれもモンテネグロへの道中やミーティングの途中などに、高校生二人から口々に語られた言葉である。なんという批評精神に満ちた、またユーモアを含んだ言葉であろうか。教員の私たちは、喝采(一部快笑)した。これらの言葉が、教育現場や哲学する営みを考察する際に示唆的である点はもちろん強調したいのであるが、それ以上に、エッセイトレーニングを通して哲学的な思索を試行錯誤するなかで、さりげなく語られていることに興味を抱いた。

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IPO 1日目。午後バールに到着。夜、オープニングセレモニーが開催された。ホスト国のモンテネグロのスタッフや後援者などからの様々な挨拶。市内の別会場へ徒歩で移動してディナー兼パーティー。50か国が参加しており、各国の代表選手(生徒)と教員たちで会場も盛況。生徒たちも互いにすぐに打ち解けた様子で、表情豊かに話したり耳を傾けあったりしていた。梶谷先生がたくさんのIPOメンバーを紹介してくださる。その先は、つぎつぎに互いが友人を紹介しあう。皆、とても自然に互いをファーストネームで呼び合う(昔からの友だちであるかのように)。参加している教員については、高校の教師が多い様子。日本を含め多くの国では、哲学はとくに高校の必修科目になっているわけではないのが実情らしい。けれども、哲学教育をめぐる制度・環境・歴史の違い、IPOへの参加回数や受賞歴の違い、あるいはIPO参加にあたっての公的支援の有無などを超えて、多くの教員たちが語る内容や表情から、若い人々に対して哲学教育の機会をもたらそうとする使命 感やパッションを感じ取ることができた。

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IPO 2日目。2日目からは教員と生徒は基本的に別々のプログラムが実施された。生徒は午前中から午後にかけて哲学のエッセイライティングのコンテスト本番。石川君と高以良君が実力を十分に発揮できるようにと祈る。コンテストは、母語以外の英独仏西のいずれかの言語で、4時間かけてコンピューターでエッセイを書く。語学辞書(本の辞書)のみ使うことが許されている。哲学書・思想書からの引用文が上記4つの言語で課題文として提示され、その中から一つ選び、その内容に関連するテーマで自由に書くというルール。(なお、今回の課題文は、報告(1)内に掲載されています。)
教員は、早朝に小規模の運営会議を行った後、午後にかけてバールの旧市街の遺跡などを訪問。現地でのワークショップや散策を行った。夕方には再び会場に戻って全体会議を実施し、次回以降のIPOの開催国のプレゼンテーションをはじめ、今後のIPOの進め方などが意見交換された。今回のモンテネグロ大会のあとは、ローマ、リスボン、カザフスタンなどと続く予定。カザフスタンの教員と後に話した際には、IPO開催に向けた準備段階としての関連イベントや教育・啓発プログラムをすでに開始しており、IPOを通して国内の教育へ「良い影響」を生み出したいとの意欲を語ってくれた。

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IPO 3日目。生徒は終日ワークショップや郊外の湖へ訪問などのプログラム。教員は、終日、エッセイ審査。午前中、評価の基準や審査プロセスについて話し合うワークショップ。審査の質の保証の一端 を担う役割を果たすため、このワークショップは重要だ。初めて審査にあたる教員にとっては特に重要であり、ここで基本的な方針を確認したり疑問点を解消したりすることができる。昨年のホスト国のオランダの教員が講師を担当していたが、行き届いたワークショップを展開していた ように見受けた。私からは、課題文の著者やその著者の思想についての知識を有しているか否かということはエッセイ評価の本質ではない、といった点について質してみた。毎年初参加の教員がいるため、評価基準 の運用を巡っては、繰り返し説明したり話し合ったりしなければならないが、例年この手順を大切に取り扱っているIPOの運営姿勢に敬意を表したい。午後、審査開始。エッセイ審査は、各国から来た教員が全員で当たる。エッセイには国籍・名前はいっさい分からないようにすべて通し番号がつけられ、教員が自分の国の選手のエッセイを審査しないように配慮される。4人一組のグループに5つのエッセイが割り当てられ、まずは教員各自で読んで評点し、その後、エッセイごとにコメントする場を設ける。これは、あくまで互いの意見を参考にして、偏った評価でないかどうか確認するために行っており、最終的には各自の判断で評点をつける。同じ点数をつける必要はない。ただし、あまりに評価が分かれている者に関しては、後でさらにもう一人査読者が読むことになっている。

評価は「課題文との関連性」、「課題文の哲学的理解」、「議論の説得力」、「議論の一貫性」、「オリジナリティ」の5つの基準に従って行われ、10点満点、0.5刻みで採点する。文法や語法のミス、表現の拙さなどは特に減点対象にはならず、あくまでこれらの項目に関して実質的な出来によって判断する。また、課題文の著者やその著者の思想についての知識を有しているか否かということはエッセイ評価の本質ではない。この審査で与えられた点数の平均値が、一定の水準に達しているものを一次審査合格とし、第二次審査にかける。第二次審査では、一次審査を合格したエッセイについて少数の運営委員(5名程度)で審査し、金銀銅及び奨励賞を決定する。今回私は一次審査に携わったが、審査員のあいだで評価がおおむね一致するエッセイもあれば、大きく異なるエッセイもあった。互いの読み方や評価基準との対応関係などについて、踏み込んだディスカッションを行った。この日は、審査作業やその結果についての評議を含め、すべての審査作業が終了したのが20時を過ぎていた。互いの労をねぎらいつつ、夕日に染まる海岸線を眺めながら宿泊するホテルまで教員みんなでゆっくり歩いて帰った。

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IPO 4日目。朝食時、モンテネグロの高校生のひとりが一緒のテーブルで食べていいか、と声をかけてきた。他国の教員らと、もう少し話しをしたかったらしかった。こちらはパンやベーコンを食べたり、アップルジュースを飲んだりしながら話していたのだけれど、彼は朝食をとることも忘れるほどに黙々と、そして静かに話し続けた。そんなか、彼が不意に語った「ぼくが思うに、人々はみんな考えることを恐れているんじゃないか」という言葉が印象的だった。考えることは、試行錯誤を繰り返してばかりの退屈でタフなことのようでもあるだろうし、あるいははっきりとした考えを示すことはある意味でリスキーなことでもあるだろうから、といった文脈をもっていたとおもうが、とても瑞々しい感性に出会った気がした。彼のユニークな雰囲気もまた好ましく感じられたこともあいまって、生徒と教員とのディスカッションのプログラムもより充実化すると望ましいように思われた。
午前中、二つのレクチャーと一つのワークショップが行われた。午後のプログラムはキャンセルとなったため、夜の授賞式が始まるまでの時間、バングラデシュの先生と梶谷先生とともに郊外のSkadar湖まで足をのばす。リラックスした午後を過ごした。会場にもどって授賞式に出席。石川君が銅メダルを獲得し、高以良君は奨励賞に手が届く最も近い位置に立った。石川君、高以良君、ご健闘おめでとう。二人の健闘を祝いつつ関係する方々への謝意を新たにしながら、授賞式後、会場近くの海辺を梶谷先生と歩いた。

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IPOを終えて。IPOの哲学エッセイコンテストの最も優れた点の一つは、「問題」そのものを見出す能力を問うコンテストの成立を追求している点であると思う。あるいは、「問題を立てよ!」という問題への応答のあり方について、その無限の可能性を純粋に競っているようにも見える。審査プロセスや評価基準をめぐる評価者側の腐心も、こうした追求を支えるものであるだろう。しかし、このような追求の方向は、問題・課題・テーマを与え答えさせるいわゆる学力検査や選抜試験の方向とは異なるものであるといわなければならない。「哲オリ[哲学オリンピック]に関わりはじめてから、ボク、暗記科目が苦手になりました(笑)」という表現も、この線で読めば、おのずと理解できるものである。
翻って、こうした哲学エッセイコンテストの経験が、各国の国内予選へエントリーした生徒も含む若い人たちへもたらすものは何だろうか。哲学エッセイコンテストを経験した生徒たちが、哲学専門家の道へ進む率は決して高くないであろう。むしろ哲学以外の領域や現場で活動したり生活したりすることが多いであろう。けれども、いずれの領域や現場においても、哲学的な課題、あるいは、問題そのもの見出す能力が求められる場面が成立することも確かだろう。IPOや哲学エッセイコンテストに関わって過ごした時間が、若い人たちのこの先の人生に対して、良い影響をおよぼす経験や思い出のとしての価値が与えられ続けられることを願ってやまない。

以上で私のIPO記を終えたい。その他、IPOの人びとが、日本のIPOをずっと率いてこられた北垣先生のことをいまも深く慕っておられたこと、また梶谷先生がShinjiの愛称でIPO friendsのなかで大変に愛されていたことなど、本来なら詳しく記しておくべきこともあるはずである。私が初めての参加でありながら、ほとんどすべての国の参加者と親しく話せたことは、これらのことと無関係ではないと思う。ただ、今はこれを割愛し、別の機会に譲らせていただきたい。

最後に、今回のホスト国であるモンテネグロのオーガナイザーJasminka氏とスタッフのみんなに感謝申し上げたい。また日本のIPO参加を率いてこられた北垣先生とその関係者の方々、また国内での指導等を共にしてきた林さんへ感謝を申し上げます。そして本事業を長きにわたり全面的 に支援してくださっている公益財団法人上廣倫理財団へ感謝申し上げます。
(文責:榊原健太郎)

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