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【報告】「言語、想像力、政治——東洋の民族的思考と実践における言語」ワークショップ

2018.06.04 中島隆博, 石井剛

 2018年5月19日(土)、台北の国立政治大学哲学系で「言語、想像力、政治——東洋の民族的思考と実践における言語」ワークショップが開かれた。国立政治大学は、中国語圏における仏教哲学の重鎮である林鎮国さんが中心となって、UTCPと過去に2回、ワークショップを行っている。

今回は3回目の開催となり、哲学系主任の林遠澤さんや、中山大学(広州)の廖欽彬さんら、旧知の友人との再会が果たされた。そもそも、今回の企画は、林鎮国さんが定年を迎えられた節目の年であり、それを記念したかったことに加え、林遠澤さんの新著『ヘルダーからミードまで:共同体へ向かうドイツ古典言語哲学の思考方向』、そしてUTCP中島隆博さんの『思想としての言語』(岩波書店、2017年)という二つの著作出版が重なったことから、わたしたち共通の関心において、これらの著作に関連するテーマを議論しあうことになったのだった。日本からは、前回の東京会議に引き続き志野好伸さん(明治大学)、そして今回初めて小野泰教さん(学習院大学)が加わった。

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 議論は必ずしもかみあっていたとは言えないだろう。だからといって生産的でなかったと言うことではなく、この微妙なすれ違いそれ自体が貴重な成果であったとわたしは思う。かみあわなかったことの原因を敢えて問うならば、そこに台湾なる政治文化のトポスが有形無形に作用していたからではないかと思われる。中華圏の周縁にありながら、いかなる主権と主体を確立することができるのかという、アクチュアリティの高い困難な課題は哲学において無化されることはなく、むしろ尖鋭化される。日本側からの報告が広い意味での翻訳を、主体の複層性と、それによって開かれる他者との共生可能性へとつなげて理解しようとするものが主だったのに比して、ワークショップのタイトルからも見て取れるように、東アジアにおけるネイションを、言語によって構造化された文化の側から構想しようとする意図が政治大学側には感じられた。おそらく、この懸隔を埋めるために必要なものの一つは、日本のモダニティを地域的視座から徹底的に問いなおすことではないだろうか。廖欽彬さんが田辺元にこだわりぬいたことの意味はたぶんそこにあるのだろう。しかし、わたしたちはまだこの点において緒に就いたばかりだというのに、その中で時代はわたしたちの思想の歩みを超えて急速に進みゆくようにも思われる。いや、ある段階までは、わたしたちの歩みがむしろ、この地域の歩みに比して速すぎたのだ。それが、いまだにモダニティが清算し切れていない原因なのだろう。
 会議の合間をぬって、わたしたちはギャラリーとサロンを兼ねた素敵な茶館を訪れることができた。そこはかつて、台北帝国大学からその後の台湾大学の時代まで、哲学の教鞭を執り続けた洪耀勲の住まいだったところだという。日本家屋の姿を当時のままに遺しているこの建物が面している街区を、いま「台北昭和町」として復興しようとしており、この茶館がその拠点となっているのだという。そこでは「町内会」の復興まで構想されているのだ。わたしはこれを基本的に芸術文化運動だと理解したが、しかし、この運動の原動力には巨大化する中国文化市場への対抗意識が強く働いているとも聞かされた。だとすると、これはいつか来た道ではないのか?台湾の多様性と多声性が、台湾のデモクラシーの高い成就を支えているのだとしたら、それがよって立つ危ういバランスの土台は、大陸文明の中国と東アジアにおける「半大陸文明」の日本に寄って支えられるしかないのだろうか。それではまた同じ悲劇がくり返されるのではないだろうか。中国のことは言うまい。少なくとも、日本において、日本に住む人々がなすべきことは多く、その道はたぶん、多くの迂回を迫るものであろうが、ともかく歩を進めていくことがなによりも大事であることは言うまでもない。

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(文責:石井剛)

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